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Friday, November 27, 2009

幸せな最後?

優子さんと中学校の時、同級でした。卒業以来お会いしていませんでしたが、数年前から年賀状をやり取りしていました。

我が家も、毎年恒例、年末年始のスキーをしています。そんな日常の行事の最中に、何の前触れも無くそのような悲劇が起こるとは、、。優子さんとの思い出を大切にされ、そして、ずっと繋がっていこうとされているお姿に感動致しました。

中学生の優子ちゃんは、ぽっちゃりしていて、笑顔が可愛い、そして、もの静かで、お勉強ができて、誰からも好かれるあったかい女の子でした。でも、ときどきズバッと的を得た発言をして周囲を驚かせる一面もありました。(観察力が鋭かったのかな?)ちょっと大人っぽくて、一目置かれる存在でもありました。
年賀状を頂く度、素敵なご主人と出会って幸せな生活を送ってらっしゃるんだなぁ、また随分とアクティイブになったんだなぁと驚いたものです。

私も、優子ちゃん同様インドア派でしたが、体育会系の主人に振り回されキャンプ、スキー、etcに付き合っています。
それはそれで、楽しいものですよ

私の知らない優子の少女時代をお知らせいただき、ありがとうございます。
当時の写真を見ると、ずいぶんぽっちゃり、というか太ってましたね。
大人になっても、基本的にはポッチャリでしたが。

優子の心臓の病気がはっきりしたのは結婚した後でしたが、中学時代、原因不明の「肝臓の病気」でしばらく学校を休んで寝込んだと聞きました。その後、肝臓疾患の気配はなく、今から思えば、それは肝臓ではなく心臓の病気であった可能性もあります。スキー場での突然の発作の背後には、昔から徐々に病気は進行していたのかもしれません。今となっては推測にすぎませんが。

うちも、インドア派の優子がアウトドア派の私に引きだされて、というパターンだったと思います。付き合い始めた当初は、スキーも下手で一番下の初心者コースしか滑れなかったんですよ。でも、私が無理やり毎シーズン何度か連れだして、最近では上級者コースも十分滑れるようになっていました。
でも結果的には、そのために心臓発作を誘発してしまいました。

優子の内心はどうだったのかな?
楽しんでいたのでしょうか?
もしそうだったとしたら、最高の最後だったのかもしれません。

その日、疲れた子どもたちをホテルに残し、ふたりだけで白銀の世界を楽しんでいました。
午後3時を過ぎ、そろそろ上がろうかという最後の一本でした。
疲れたからか、あるいは既に前兆があったのか、「ゆっくり行くから、先に行って」という優子の先を一気に滑り降りました。
下で待っていると、優子が私のすぐ横までスムーズに滑り降りてきました。シャープに静止し、さあ、上がろうとリフト乗り場に進もうとした時、「あっ!」と短い声を上げ、そのまま倒れ込みました。駆け寄った時はすでに意識もなく、痛みで苦しむ間さえなかったと思います。
私は、夢中で人工呼吸を繰り返しましたが、息を吹き返すことはありませんでした。しかし、運ばれた病院の救急治療室で死亡診断を受けるまでは、まさかこれが優子の死だったとは全く考えが及びませんでした。これが私にとっての悲しみの始まりでした。

その直前までは、夫婦ふたりだけの幸せな時間でした。
優子もそのように感じて楽しんでいてくれていたとしたら、最高の亡くなり方だったのかもしれません。ただ、それが子どもたちが成長し、人生の仕事をやり遂げた後のことだったら申し分なかったのですが。

2 comments:

  1. ゲレンデの上から、Tikiさんの姿をめざして降りてきたんだよ。滑りながら、何度か夫の姿を確認して、そのかたわらまでちゃんとやってきた。
    それは幸せな時間としてしか想像できない。

    本当に、ある意味では最高の亡くなり方。早すぎて本人も驚いているだろうし、残されたものにとっては早すぎる別れはより辛いけど。

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  2. ありがとう!
    温かい涙が伝わってきます。

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