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Sunday, October 18, 2009

寂しさの恩恵

Tikiは、ブログで寂しがりやだから人に囲まれていたい、って書いてるけど、呼んでもらっている私たちもTikiの寂しがりやの恩恵いっぱい受けている、っていうわけです。

そう言ってくれるのは嬉しいのですけど。
僕としてはドキドキ・ハラハラの綱渡り状態なんですよ。
確かにこうやって、寂しさのエネルギーをうまく利用してプラスに持っていくことは可能だと思うんです。
でも、ひとつ間違えたら恩恵迷惑になっちゃうからね。
寂しさの出し方の問題かな。
出しすぎす、ひっこめすぎず、蛇口を調整して、ちょうどよい分量を出すって難しいんですよ。

ひっこめすぎると、寂しさのエネルギーが自分の中にこもっちゃって、身体の中がパンパンになっちゃうんですよ。すると身体症状や精神症状(うつ状態とか)、あるいは逸脱行動に走ったり。

逆に、出しすぎると、人に迷惑をかけちゃうんですよね。期待しすぎたり、依存したり。だから、十兵衛さんみたいに、普段は遠くにいて、ネットだけとか、たまに会うだけくらいのほうが安全かもしれないよ。

Tikiは、ブログで寂しがりやだから人に囲まれていたい、って書いてるけど、呼んでもらっている私たちもTikiの寂しがりやの恩恵いっぱい受けている、っていうわけです。その証拠か、ブログを読んで大泣きした後、しばらくすると何故か安心感があります。人って本当に素晴らしい...ってじんわりします。これって何なのかしら、やっぱり、人だから・・ですね。

泣くって感情表出でしょ。
そのときは辛いけど、出しちゃった後は気持ちが楽になりますよね。
ゲロと似てるな。
子どもたちが小さい頃、マクドナルドのハンバーガーを食べて長距離ドライブしたら、ちゅけが車の中で吐いちゃったんですよ。それを見ていた祐馬が泣き出し、連鎖的に吐いちゃって。以来、子どもたちはマックが嫌いになりました。

詰まっているモノ(感情)が解放されるって感じでしょうかね。カタルシスcatharsis(感情浄化)とも言います。
ひとりでも泣けるよね。小説とか。
映画だとストーリー展開に加え、音とビジュアルが入ってくるから強烈だよね。
音楽でもあるかな。僕はミス・サイゴンのテーマを聞くとミュージカルで見たシーンを思い出して泣いたり。
祐馬はミスチルを聞いて、歌詞で感じてるって。
僕は歌詞よりも音そのものかな。20年以上前に青年の船に参加して、フィリピン沖を通過した時、大戦戦没者の洋上慰霊祭をやったんですよ。花束とお酒を海に捧げたところまではよかったのだけど、ボ~~~っという低く長い汽笛には参った。なぜか意味なくボロボロ涙が出てきたのを覚えている。

散歩していたり、チャリ通勤していたり、ブログを書いていても、時々ひとりで泣けてくるんですよ。
それなりにカタルシス効果はあるんだけど、誰か見守ってくれる人がいると効果倍増だよね。
さらけ出しちゃった自分の本性を受け入れてくれる、認められた、自分が肯定されたという感覚かな。

以前、映画館でクイールを見終わり、祐馬と顔を見合わせたら、お互い涙でボロボロだったね。
祐馬は「パパ、きもい!!」とかブーブー言ってたけど、パパはすごく何かを感じたよ。

クリニックでも、よく患者さんを泣かしているもんね。べつにイジメてるわけじゃなく、その反対のこと。
泣いてくれた時は、マッサージ屋じゃないけど、感情のツボをうまい具合に探し当てたな、シメシメという感じ。そのあとは、たいてい治療効果が上がるんですよ。

ケイさんとは現実でも接点があるから、よけい共感しやすいよね。これがもし知らない人のブログだったら、そう大泣きはしないんじゃない?
ケイさんが僕のブログで大泣きして、安心して、そのことを僕が知って、また安心するんですよ。
見守られているという安心感。

そうやって、ひとつひとつ、繋げていくことなんでしょうね。我々ができることは。

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