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Saturday, August 29, 2009

JASCのリユニオン

 第36回JASC(日米学生会議)の仲間がリユニオン(同窓会)を開いてくれた。
25年前、日米合わせて50名ほどの学生たちと夏の4週間アメリカを旅し、優子と出会った(詳細は1月28日参照)。だから、みんな優子と僕の共通の友人なんだ。亡くなった直後も真っ先に連絡して、お葬式に駆けつけてくれた。
 でも、それ以降、それぞれの道を進み、個別に会うことはあっても、みんなに知らせ、まとまった同窓会はやらなかった。お葬式の後、テッドが、
「僕が落ち着いたら、『Tikiを励ます会』をやろう!いつ頃がいい?」
と言ってくれて、夏か秋ごろとお願いしたんだ。春くらいまではまわりの人が関わってくれ、それがひと段落して、またさびしくなるのがその頃だろうと予想していた。
でも、その予想は当たらなかった。秋になっても、僕もまわりも相変わらずで、ひと段落していない。まわりの人は僕と優子を忘れることなく関わり続けていてくれるし、僕の心の寂しさは上がったり下がったりすることなく一定をキープしたままだ。この8ヶ月間、時間が経過した感覚はない。
みんなに声をかけてくれて、9名の旧友たちが集まり、もう10名の仲間が近況を知らせてくれた。みんな、25年前の自分にタイムスリップし、持ち寄った当時の写真を見ながら思い出話に花が咲いた。
歳とともに昔の記憶は断片化し、よく覚えている自分の持ちネタを何度も披露することになる。僕の持ちネタは、同じ分科会だったナオミちゃんをダシにつかって、優子をドライブに連れて行った話や、優子と一時期付き合っていたヒロシからの手紙を優子が保存していた話とか。両名とも来ていてね。大学生だったナオミとヒロシも今は大学教授と高級官僚。でも、そんなことは関係なく、ニックネームで呼び合う仲は懐かしさに満ちていた。
 ふだんは別々の人生を歩でいても、心のどこかで繋がっている。ブログにも来てくれて、応援してくれている。何もしてくれなくていい、思っていてくれること自体が、悼んでくれること。とても救われる。
次は、いつ集まれるのだろう?
 お葬式で会うのなら、集まらなくていい。

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この記事を書くのにずいぶん時間がかかったよ。
一週間後の金曜の晩に書いている。ブログ記事の日付は変更できるんだ。
JASCの話だから、絶対に書いておきたい。
と思っても、文章が出てこないんだ。
リユニオンは楽しかった。満ち足りていると、それで完結してしまって、書く動機が湧いてこない。書くためには、書く必然性=書かずにはいられない気持ちが必要みたい。

2 comments:

  1. 楽しかったね。しもゆうの思い出話なんかもしたかったけど、おしゃべりなみんなから次々と話題が出て、それはそれで楽しかったね。しもゆうは頭の上で聞いていた気がするね。一緒にテーブルにいたらもっと楽しかったのになぁ。Mr. Tのパンツ踊り、たしか、しもゆうと一緒に怒っていた気がするんだけど〜。

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  2. 楽しかったね。
    僕も、もっと優子の話をしたかった。お葬式に来てくれたお礼とも言いたかったし、みんなの中に生きている昔の優子を蘇らせたかった。でも、むずかしいよね。
    結局、Who gives you a permission to talk about negative subject?
    ということなんじゃないかな。
    悲しみにつながる話題はみんなにとっても心の負担だし、きっと「下手に出してTikiを傷つけるんじゃないか」という配慮はあると思う。僕の方から、もっと話すべきだったんだろうね。

    先日、20代の若い同僚と茶飲み話していて、とつぜん彼女の両親が離婚しそうという話が出たんだ。僕はその話題をスルーしてしまい、触れられなかった。もしかして、彼女はそのことを話したかったんじゃないかなと、後で気になってしまった。

    負の話題に踏みとどまるって難しいよね。同窓会の歓談の席では無理かも。でも、もし心の中の深いレベルまで落とすことができたら、グループの力ってすごいと思う。それを応用したのがグループ・カウンセリングなんですよ。一対一のカウンセリングで、長い時間かけてゆっくり深めるような深い感情が、安全に自分のことを話し、共感されるグループがあれば、一気に気持ちの奥までストンと出てきます。25年前、我々もJASCでそういうgroup workを体験したんだけどね。

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