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Friday, July 24, 2009

Single Fatherの子育て

いやあ、今日は疲れた!
忙しいのはいつものことだけど、9時から18時過ぎまで研修・面接・学生指導・授業・会議。
休む間もなく予定を入れちゃう僕の自業自得なんだけど。
研究室に居ながら、メールをチェックする時間さえなかったよ。

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昨日の朝の出来事
①朝、起きてみたら食卓に祐馬の私物が散乱している。いつも注意しているのに!これじゃあ、朝食ができないじゃないか!!

②まだ寝ている祐馬のところへ行き怒鳴る。「食卓を片付けなさい!」
寝た振りをして動かないので、さらに怒鳴る。

③渋々起きてきて、中途半端に片付け、また部屋に戻って寝る。
残りは僕がまとめて祐馬の机のところへ持ってゆく。さらに怒鳴ることもできただろうけど、それはやらなかった。

④8時、僕の出勤時間になっても、まだ寝ている。夏休みとはいえ、もう起きる時間だろう!
また怒鳴って、無理やり起こそうかなとも思ったが、、、

⑤気を取り直し、
「冷蔵庫にパンを戻しておいたから、自分で食べなさい!」
優しく伝え、子どもたちを残し仕事に出かける。

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ト書き(父親の心情)

①祐馬なりの価値観・理由づけがあるのだろう。食卓を自分の居場所として主張したい、子ども部屋は暑いし既に散らかってるから作業できない、明日も続きをするから置いといてよ、、、などなど。
自分を主張したい祐馬の気持ちはよくわかるよ。僕もその頃、そうだったから。
親の枠組みを受け入れたくない。あえて自分が作った枠組みをキープしたい。そのためには、親の枠組みを捨てるんだ。祐馬とパパは、考え方や性格がよく似てるからね。

②父親として、子どもとしっかり向き合いたい。子どもの近くに居て、有効な親でいたい。優子がいれば、ふたりで親をできたから余裕があったけど、今はパパひとりだからね。手を抜くわけにはいかないよ。
父性をしっかり与えてあげなくちゃ。
河合隼雄風にいえば、
父性=切る機能、行動基準、規範・善悪の判断、子どもを見捨て、分離・独立する。
母性=無条件の肯定、絶対的信頼、包み込む機能、安心感、関連性。

父性=父親、母性=母親ではない。
子どもへの関わり方のふたつの大切なヴァリエーション。両方のバランスが大切だ。
適切な父性が自信と自立を、適切な母性が豊かな人間関係を育む。
過剰な父性は断絶・孤独を、過剰な母性は密着・依存を生む。どちらもうまく成長できない。

祐馬の価値観は認めてあげたいけど、家の規範に反する。規範を曲げるのではなく、自分の欲求をコントロールする能力を身につけてほしい。祐馬が子どもから思春期に成長し、主張能力をつけてきた。それは嬉しいのだけど、自己の欲求のエネルギーは、他者と折り合う中で有効な力となる。家族から、社会から受け入れられる形で、自分のエネルギーを発揮してほしい。

③祐馬は自分の枠組みを取り下げることができたじゃん!でも、半分だけね。全部服従はムカつくから。
でも、パパも同じようにムカついていたんだよ。
「中途半端に片付けないで、ちゃんとやりなさい!!」
こんどは、僕自身がこぶしを振り下ろす先を探さなければならない。親としての感情のコントロールが求められている。

④親の規範をしっかり伝え、とことん子どもに従わせなくちゃ!と思う一方、ここは、祐麻のある程度の自己コントロールを認め、引き下がらなくちゃ!とも思う。どっちにしようかな。
自分の感情に任せるわけにもいかないし、さらに強く出たら、父娘関係の断絶が心配だ。
優子がいれば、ふたりタグマッチでできたんだけどなあ。

⑤、仕事に出かけ、ひとりで朝食をさせること自体、とても父性的だからね。
孤食は寂しくない!?
多少、母性の方へもスイッチしなくちゃ。
父親が厳しさを伝えた後、優しさを伝えるって、親側は混乱しそうだ。
祐馬側はどう受け取ってるのかねえ?
祐馬だって、パパしかいないもんね。
しっかりパパと向き合っているよね。多分、、、

3 comments:

  1. う~ん、難しいですね。

    うちも今はパパが単身赴任で不在。
    どんどん家の中がゆるくなっていることに気づく。
    なめられている、ということか。
    娘たちはそれなりに自分のことをちゃんとやるし、たのめば、ずいぶん手伝ってくれる。
    息子にはとてもイライラするし、憤慨するし、がっかりする。それで怒鳴ったりしてぶつかると、物凄い形相で睨んでくる。それが悲しくてね。
    怒りが増すより、ぐっと悲しくなってしまう。
    ああ、もうやだな、こんなの。と眼をそらしてしまう。それで、眼をそらしてしまうなんて、一番よくないと頭ではわかっているから、ぶつからないように、彼は生きていてくれるだけでいいのだ、と思うことにしてみた。
    とりあえず、すごく気持ちが楽になった。
    でもそれって、あきらめ、じゃないんだけど、あきらめられた、と子供は思わないものだろうか。それが心配。
    つねに期待され、それに応えようとどこかでがんばっていたのだろうから。

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  2. 昨日、小5のじんが夏のキャンプに先日買ったばかりの新しい水筒を持っていきたいと言ったんですよ。それはデカ過ぎるからダメとパパ。じんも主張するんだけど、まだパパの力にはかなわず、結局僕の言うことを聞いてくれました。

    子どもは成長するにつれ、だんだんと力をつけてきますよね。小さい頃は、親も余裕で向き合えるけど、だんだん余裕がなくなってくる。

    スキーで滑っていて、緩いスピードは楽勝でも、だんだんスピードが増してくる。余裕がなくなるある臨界点に達すると、ヤバイ!、と恐怖心が生まれ、するととたんにコケてしまう。その臨界点は人によってぜんぜん違ったりして。

    勝負どころは、子どものスピードにどこまで親がついてゆけるかですね。しっかりしつけつつ、どこか平常心を保っているというか。祐馬に足蹴りされても、逆上しないみたいな。
    子育ての臨界点を超えると、親はしつけるのをやめちゃって子どもの要求に迎合するか、伝家の宝刀を抜くかのどちらかですね。つまり、子どもとの対等の会話では負けちゃうから、親の持っている力、たとえば経済力(ワンちゃん買ってやらない、ディズニーランド連れて行かない、お小遣いやらない)とか腕力を使うとか。

    中にはずいぶんと低スピードで臨界に達しちゃって、子どもが小さいうちから殴って、虐待とか言われる親も多くなっているみたいです。

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  3. なるほど。
    「しっかりしつけつつ、平常心を保つ」か。
    難しいなぁ。
    しつけるのをやめちゃって子供の要求に迎合しているのかなぁ。
    とりあえず、少しずつ落ち着いてきたから、もう少し様子を見てみようと思ってます。

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