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Friday, March 16, 2012

父と息子の函館紀行(後日談)

自分の子どものこととなるとぶれまくってるなあ。
函館ではナイスな判断だと思ったのに、帰ってみると実はそうじゃなかったの?
ちゅけが入学後、即休学して1年間やりたいこととはアルバイト、被災地ボランティア、国内・国外を旅する、英語の勉強をするなどなど。いわゆる「自分探し」は良いと思ったんだけど。

みんなに聞くと、担任の先生も祖父も叔母も西魔女もそんなこと入学してやればいいじゃないと。Get on with it!
そうなんだけど、そうだとすれば父親としてのオレのぶれようはいったいなんだったのだろう?
子どもの気持ちに沿い、理解ある父親でいたかったのか。カウンセラーみたいだなあ。進路選択を子どもの意思に反して親が決めたために子どもがそれについてゆけず、ひきこもりになっちゃうような事例がたくさんあるんだ。
それとも、オレの学生時代の果たせなかったモラトリアム願望が投影されているのか。
西魔女:18歳はまだ自分の人生の選択をちゃんと判断できない。まだ子どもだ。親が判断してやることも必要なんだ。親のルールとして。
父性的だなあ。西魔女がそう言うとは思わなかったよ。
父性vs.母性。ふだんさんざん言っておきながら、自分の子どものこととなるとちゃんと与えられないんだ。
父性的に対応する不安感。もっと子どもを理解してあげたい。そう願ってしまうのはダメなのかなあ。
自分の父親が優しかったんだよ。しっかり見守ってくれていたし、今でも見守っている。
ちゅけを温かく見守るか。それはちゅけの意思・判断を尊重し、Yesと言うこと。
ちゅけを厳しく導くか。それはちゅけの意思・判断を排除し、Noと言うこと。
Acting outする行動に制限をかけるわけではない。巣立ちを躊躇する雛鳥を巣から追い出すこと。ライオンを崖から突き落とすこと。その根底には巣立つ若者を信頼しているから。本人はまだ自分を信頼できない。

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週末の函館は、親子の蜜月の時だったんだ。まわりから切り離された二人だけの世界。子どもの気持ちもよくわかる。自分の気持ちとシンクロしてしまう。
まだ、一歩を踏み出す、巣から離れる、大人になる自信なんかない。
という気持ちは、僕自身の大学の頃の体験と重なる。
自分も留年したかった。専門課程に入る自信なんかなかった。
まだ十分でない。こんな中途半端な自分が専門課程に入ってしまったら(大人になってしまったら)、取り返しのつかないことになる。まだまだ、自分はそんな価値がない。もうちょっと待ってよ。決心をつけるまで待ってよ。競泳の飛び込み台で躊躇するように。

客観的に考えれば、入学後即休学なんてありえないのかな。
隠れ浪人やってるやつは結構いるけどofficialではない。一応、授業料も払い在学している。わざと単位を取らないだけなんだ。

思春期の心の成長と自立。これは、俺の専門性の中心テーマのはずだろ。
人さまにはわかったフリして偉そうなことを言っておきながら、自分のことは全然ちゃんと判断できない。親子カプセルの中に入っちゃうんだよね。

彼は従順だ。パパがこうしろといえばそうする。だから自信がないんだ。反抗するためには自分の拠り所がいる。ちゅけはまだそれが育っていない。

ちゅけ、もう決心がついたか?
だってそうするしかないでしょ!?

そう来たかね、
まだ、自身の選択としての旅立ちじゃあないんだ。
もはや親が子どもの背中を押すしかない。

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臨床的教訓。
自信のない子は、親のinjunction(命令)にあえて逆らって自分の行動・価値観を作り出すことはできない。ひきこもりの親子関係。親の価値観の中に、どこかひきこもること(外に出ていかないこと)を許容するメッセージが隠されているのではないだろうか。

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