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Sunday, March 11, 2012

父と息子の函館紀行(1)

パパはなあ。
ちゅけと一緒だと何故か落ち着くんだ。なんかわからないけど、優しくなれる。
祐馬とは逆なんだ。一緒にいるとagitateされる。
祐馬とパパは同類だからエスカレーション。ちゅけとパパは異類だから相補的になる。

精神心理の専門家は結局自分の生き方を専門性に投影しているんだ。
アル中の専門家は、自分がアル中だし。
人格障害の研究者は、自分のパーソナリティを持て余している。
ひきこもりの専門家は、ひきこもり心性を持っている。
感情に焦点を当てるカウンセラーは、自分の感情を処理できないでいる。

私は青年期の自信獲得のプロセス、家族の力、異文化などの領域に自分の人生を投影しているんだろうね。
自信(自己肯定感)から、自分の生きる支えを得て来た。
だから、クライエントに向き合う時も、子どもたちに向き合う時も、その視点からチェックする。


ちゅけは自信なんてないよな。
祐馬はちゃんと自信を得ている。素晴らしいことだ!


でも、本当にそうなの?
自己肯定感がそんなに大切なの?それがないと息苦しくなるの?
まあそうだとは思うんだけど、ちゅけを見ていると、パパが気づかなかった何かを見せてくれる。祐馬からは自分の姿を見せてくれる。


ちゅけからは、自分の対極の姿を見せてくれる。
だから、パパにとって貴重なんだよ。
自己肯定感にこだわらなくても、生きてゆけるんだよな。


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羽田の出発ロビー。
日曜日午前のフライト情報は×が並んでいた。満席みたいだね。
隣の子を見ろよ。生物の受験参考書を広げている。ちゅけもああなる予定だったんだよな。
でも今日の荷物に参考書は入っていない。


ちゅけはマリちゃんと電話している。
ずいぶん長電話だなあ。マリちゃんは昔もしゃべり出すと止まらなかったから。
マリちゃんの存在は、ママが残してくれた宝物だよ。
もしママが生きていたら、きっとマリちゃんと思いっきり長電話のおしゃべりをして、同じことをやっていただろうね。


30年前。優子と付き合い始め、steadyになって間もなく紹介してくれた四人の親友のひとりがマリちゃん。
ESSのリカちゃんは福岡から飛んできて弔辞を詠んでくれた。その後、太宰府で優子の姿を投影することができた。
マリちゃんは国政研の仲間。偶然に同時期にイギリス留学して、ロンドンからCambridgeに遊びにいったよね。それ以来、ご無沙汰してたから「マリちゃん」のままだけど、今はC大法学部の教授。久しぶりに声を聞いたら昔のままのかん高い響きが懐かしかった。


マリ教授が仲間にX学部とY学部のことを聞いてくれるって。パンフや入試課に問い合わせても得られない本音情報だからありがたいぞ。
出来るだけ多くの情報を集めて、ちゅけが決めてごらん。パパの考えも、それらの情報源の中のたったひとつに過ぎないけどな。


あと、イスパのタミヤンとユカちゃんが優子の仲良し三人組だった。ユカちゃんは僕らの結婚式の受付係をやってくれた。振り袖姿がとても可愛かったなあ。今は子育てと仕事にがんばっている美人の中年おばさんだね。
タミヤンは偶然、僕の患者さんだった。優子の親友だなんて全然知らなかったよ。聡明でとても可愛い子だった。
でも優子が見せた彼氏の写真と先生がどう見ても同一人物らしく、クリニックに来なくなっちゃったよね。元気になったから来なくなったのなら良かったんだけど。
しばらくして、今はもうない皇居のほとりのホテルの一室で、自死を発見された。在学中だったっけ、卒後後だったっけ、よく覚えていないけど。
優子と一緒にお通夜に行ったね。お母様の涙が忘れられない。
次のデートでは、お酒が入った優子はタミヤンの喪失に泣きじゃくっていたね。一度思いっきり泣いて、その後はケロっとして触れなくなったけど。
やっぱ一番寂しいのはユカちゃんだよ。
学生時代の仲良し三人組。ひとりだけ残されちゃった。
でも、素敵なダンナさんとお子さんがいるから、そんなことは過ぎ去った感傷に過ぎないだろうけどね。

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