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Sunday, March 11, 2012

自分の思い通りにならない世界(3)

ちゅけは今、思いっきり幸せな選択肢を手中に収めていることを自分で分かってるのか?
受かった第二志望のY学部に進むか。
Y学部をけって、来年、第一志望のX学部を挑戦するか。
第二志望が保障されたからこそ、来年チャレンジの見通しが高まったんだ。でもそうするためには、保障を捨てなければならない。それは辛いよな。

大学をゲットするプロセス(受験勉強)は思いっきり辛い。ゲットした時(合格通知)は幸せだ。そして大学生活が始まればまた辛くなる。
仕事だって、結婚だって、人生だってそうなんだよ。
得るまでは辛く、
得た瞬間は至福の幸せだ。
しかし、得たものを維持するのは再び辛くなる。
今が一番幸せなはずなのに、なんでそんなに自信をなくして迷っているんだ!?

現状を肯定する力が大切なんだよ。
東大を卒業して、高級官僚や医者や弁護士になったって、
3高のステキなダンナと結婚して子どもに恵まれたって、
自分のことを不幸と思っている人をパパはたくさん知ってる。
その逆に貧乏だって、病気持ちだって、奥さんが死んじゃったって、
自分が幸せだと思ってる人もたくさんいるんだ。

そう考えれば、X学部、Y学部の入り口やそれに対する世間的な評価なんて些細なことなんだ。
昔とは違って、就職活動がそれによって左右されるなんてまずないぞ。卒業大学よりも人間性の中身で判断されるんだ。
それより、選択(入学)した後、どれだけ学生生活で自分を貫き通すかということの方がずっと大切なんだよ。入口をどこから入るかで迷うよりは、入ってからの中身で迷う方が良いんだ。

ちゅけは自分がまだ青いと思っているだろ?
大学を決めるという選択(自分の進路を決めちゃうこと)なんかまだできないと思っているんだろ。

ちゅけの年代では、自分の人生の選択に責任を持つって、かなりきついことだろう。
まわりの人が承認してくれて、自分で自分のことを承認する。
世間や友達レベルからみれば、全の迷っている選択肢(X学部かY学部か)はどちらも十分に承認されるレベルに達しているんだ。でも、大切なのは身近な人、つまり父親と母親の眼差しが一番だよな。親の達成レベルと比較しちゃうんだと思う、どうしても。ちゅけ自身としては、そんなこと気にしてないよと言うだろうけど、結構深層心理ではそうなんだよな。
そういう意味では第一志望のX学部は多分文句ないだろう。でも、今回受かったY学部だと微妙かなと感じるんだろ?
でも、パパ的にはそうは思わないぞ。X学部でもY学部でも、親の期待値に十分すぎるぐらい達成しているんだぞ。パパの医学部とか、おじいちゃんの東大とかと比較する必要なんかないんだ。ぜんぜん時代が違うだろ!
あとは、自分自身で当初設定した期待値との折り合いなんだ。X学部の8割掛けのY学部だと、80%の自分に自己修正しなくちゃいけないんだ。80%の自分を認めることができれば、上出来じゃないか!
あとは自分との戦いなんだ。プライドの設定値を自己修正できたら、大人になれるんだぞ。
ちゅけはまだ大人になりたくないか?
ちゅけは大人になってよいと、パパは考えているぞ。

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パパもそういうことがあったんだ。
大学の2年生から3年生に進むとき、担任の教授に留年したいと相談したんだ。
当時、パパはアメフト部ばかりやっていて大学の勉強についていけてなかった。
今から考えると、アメフトやってなくたって多分ついていけなかったと思うんだけど。
このままの状態で専門科目に入っていくのはヤバい。
留年して、しっかり勉強して、自分を納得させてから先に進みたいと思ったんだ。
先に進むこと(大人になっちゃうこと)が怖かったんだよね。
でも、教授は「おまえそんなバカなこと言うな!」と一蹴されてしまった。
大人になって当時を振り返ればバカだったことはよくわかるけど、21歳のパパはいくら考えてもバカだとは思えなかったからね。親の承認とかそんなことは関係ない。自分で自分のことを納得させられるかってことなんだよな。
その迷いは仕方がないんだ。ちゅけの年代は自信も持てないし、迷うしかないんだよ。

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