Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Thursday, October 21, 2010

カルティエのラブ・リング






悲しみと希望が交互に出てくる多摩サイ。
混乱するよ。優子と悲しみしか出てこないよりはよっぽどマシだけど、ジェットコースターのようだ。
こんなにナルシスティックに自分の心情にfocusしたこと、今までなかった。
エネルギーの励起状態。優子を失うというbottom lineをhitした今、何だってできるんだ。
悲しみは手離してはいけない。オレのidentityの重要な構成要素だから。問題は、その上に希望と喜びが乗っかるかだ。
まだ、primitiveで未分化な喜び。今後、どうなるかわからない。安定していた人生が、突如全くわからなくなってしまった。青年期に逆戻り。
その一方で、岩のような安定感を子どもたちやfellow colleague達に提供する。
矛盾してない?
いや、ぜんぜん。不安定な自己があればあるほど、意図的に他者との関係を安定させることができる。もう何だってできるよ。

カルティエのラブリングを2年ぶりに左手の薬指につけて一日過ごしてみた。今日はチャリ通勤ではなかったので、特に意味もなく。結婚10年目にふたりで作った新・結婚指輪。内面にはYukoの文字が刻まれている。もう一個の結婚時のオリジナル指輪はお墓の骨壺に入れ、優子に預けてある。優子のカルティエは祐馬が年頃になったら付ければ良い。
人に見せるわけじゃない。自分で確認するために、ふとつけてみた。今まではつけることができなかったけど。

もうつけちゃいけない?
そんなことない、このリングは僕のアイデンティティの一部なんだよな。過ぎ去った時代の大切な自分。優子を葬るために、リングまで葬る必要はないはずだ。
今までは、優子を思い出すため、悲しみと出会うためのアイテムだった。
今は悲しくないと言ったらウソだが、優子は過去の思い出ではない。今の自分を構成する大切な要素だ。ファッション・アイテムのひとつとして。

優子にしがみつかなくても良い。
無理に忘れようとしなくて良い。
特別扱いしなくたっていいじゃん。ふつうに優子をつけていれば。
悲しむことも、恐れることもない。
だれに見せることも、だれに隠す必要もない。
過去のidentityの基盤の上に、新たなidentityが築かれるんだ。

No comments:

Post a Comment