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Wednesday, June 3, 2009

5ヶ月目

優子、、、

という具合に、ここで優子に呼び掛けるの5ヶ月の間、続けてきたけど、どうしたものか考えちゃうよ。
いやね、まだまだ僕の中に優子は満ちているから、優子のことを書き出し(掻きだし)たいのだけど、別に優子と対話しているふりしなくてもいいじゃん。
もうそろそろ、ゆっくり優子を離していってもいいかなと思えてきた。
それほど、優子を呼び込み、しがみつかなくてもいいじゃない。

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というわけで、
読んでくれているみなさん

タイトルを変えます。
今まで⇒妻との往復書簡 Letter to Wife in the Wind
これから⇒優子とみんなの往復書簡 Letter to Yuko in the Wind
これからも、優子にまつわる僕の気持ちは書くけど、みんなもね。
祐馬(ユウマと読むそうです)も時々乱入してきそうだし。

6月14日(日)に、お墓参りに行こうと思います。ちゅけは部活で忙しいから、祐馬とじんと一緒に。
来て下さる方がいたら、ご連絡ください。

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マリちゃん
とても心温まるお手紙、ありがとう。
2か月前にこのお手紙を戴いたら、ポロポロ泣きながら読んでいたと思います。でもその悲しみも、ようやく最近落ち着いてきました。
 マリちゃんは、僕が優子と付き合い始めて、一番はじめに紹介してくれた親友のひとりでした。私にとって、マリちゃんや理香ちゃんは、若かったころの優子の思い出そのものです。覚えていますよ、たしか、渋谷でしたっけ。マリちゃんと始めてお会いたのは。その後も優子からはたくさんマリちゃんのことを聞かされていたので、お目にかかった時間以上に、私の中でマリちゃんのイメージは大きかったように思います。

臨床で、危機に直面している人たちと多く接していると、誰でもその人が元来持っている性格傾向を無意識のうちに尖鋭化させることによって、危機に対処しようとするみたいです。落ち込み気味だった人はますます落ち込み、怒りっぽい人はますます怒りだし、依存的な人はますます依存するという具合に。僕の場合、優子の突然の死に直面し、もともとactiveな性格がますますひどくなり、hyper-activeになり、その状態が今でも続いているように思います。たくさんの人に救いを求めました。最もきつかったお葬式までの1週間は、子どもの保育園仲間の親たちに毎日来てもらい、優子の親友だった理香ちゃんに九州まで会いに行ったりもしました。仕事は結局、忌引きで1週間休んだだけで、すぐに職場に復帰しました。さすがに辛かったけど。

多分、僕はまわりの人から相変わらず元気に見えると思います。事実、そのようにふるまっていますので。しかし優子を失った深い悲しみは、hyper-activeな表層の振る舞いとは別の次元で、僕の心の中にずっと潜んでいます。よく、ニュースなどで、災害や犯罪にまきこまれた遺族たちの、「あの日から、時間が止まったままです」というようなコメントを耳にしますね。今まで、理屈でしかわからなかったその気持ちがよくわかるようになりました。5ヶ月経った今でも、誰かと一緒にいたり、仕事などの作業をしている時以外は、好むと好まざるとにかかわらず、優子のことを自然と思い出してしまいます。変ですよね、結婚して優子とふたりの生活が安定している時はぜんぜんそんなことはなかったのに。いつも優子を思っているというこの状況は、付き合い始めた頃以来のことです。その当時は楽しい思いでした。しかし、今思い出すのは悲しい思いばかりです。1月3日、スキー場で優子が突然倒れ、必死で人工呼吸を続けているあのシーンが繰り返し想起されます。自分自身、思い出すことを禁じていないので、意図せず突然襲ってくるようなflashbackではないのですが、そのシーンが心の中に留まり、流れていってくれません。結局、そうやって優子のことに気持ちが戻っていくと、あの日、もしくはそれよりも前の過去に戻っていってしまいます。あの日以降、優子は存在しなくなっちゃったので。

確かに、客観的に考えれば、優子は幸せな人生を全うしたのだと思います。僕は自己の死を恐れる人間です。優子はその点、淡泊というか心臓の病以降、自分の死をすごく身近に感じていたし、そのことに執着も恐怖もあまりないようでした。自分の命はそんなに長くはないということは、時々発する言葉の端々にも表れていました。残された家族の悲しみを別にすれば、優子は幸せだったと思います。逝き方も最高ですよね。スキーを最後まで楽しみ、痛みも苦しみもないままに天国へ瞬間移動しましたから。僕にとっても、ふたりだけの時間に、必死にキスする中で最後の時間を過ごせたのは、最高に幸せなことなのかもしれません。ようやく、こんな風に考えることもできるようになりました。

 45歳で逝くなんて、ちょっと早すぎるよなあ
、、、とよく言われるし、僕自身もそう思います。でも、本当にそうだったんでしょうか?ずっと幸せだったとしても、45歳では早すぎて、90歳だったら十分に全うしたと言えるのでしょうか?それは、平均寿命と照らし合わせただけの基準であって、相対的なものなのじゃないでしょうか。
 まだ、子育ての途中だった?
 子どもたちは、14,12,10歳でした。あと5年早かったら、9,7,5歳。母親の喪失によるダメージは大きかったでしょう。あと5年遅かったら19,17,15歳。母親の喪失にも十分に耐えらえる年齢でしょう。そういう意味では、この年齢は微妙です。10歳は、子ども時代から思春期へ差しかかる入り口です。母親との愛着を緩め、分離・自立しはじめる時期です。第一の親(母)から、第二の親(父)へ、そして社会へとシフトしていく時期です。母親でなければダメだという時期は過ぎたはずです。母親不在で、父親ひとりの子育ても、父親さえ逃げずにしっかり親役割を担えば、問題ないはず。理論的にはそう言えます。
 優子自身の仕事、つまり個としての優子は、まだ途中だった?
 確かに、もっとやりたいこともあったでしょう。通訳として、あと20年は社会に貢献できたはずです。経験を積めば、さらに高いところに登れたかもしれないし、途中でコケたかもしれません。60歳を過ぎれば、だれでもゆっくり山を下り始めるのでしょう。そこまで全うした方が幸せで、途中で死んで全うしなかったら不幸だったんでしょうか。達成した結果にこだわるのではなく、活動するプロセスを重視するとすれば、優子は通訳の仕事や趣味の活動など、たいへんだ、たいへんだと苦労しながら成功と失敗を繰り返し、そのプロセスを楽しみ、また苦しんでいました。もしあと20年続けたとしても、それは変わらなかったでしょう。
 こんな風に考えれば、家庭生活の面でも、社会生活の面でも、45歳は早すぎるぞ、というのは残された僕らの悲しみの都合であって、優子本人にとってみれば、早いとか遅いとかは、あまり関係ないことなのかもしれません。
 優子と僕の関係が幸せであったのなら、もっとその幸せを長く続けたかった、、、なんてことも、今だから言えることです。優子が居る時には、幸せを感じたり、ケンカしたり、幸せかどうかなんて達観して考える余裕はなく、楽しみ、そして苦しみながら毎日の生活をやりくりしてました。

 幸せって、それを失ったときにに初めて気がつくものですね。僕は優子を喪失したことについては不幸だけど、他の面での幸せに気づいていないだけなのかもしれません。
ちゃんと普通に食事を楽しめる幸せは、健康な歯や消化器を失ったら気づくのでしょう。
ちゃんと普通に排尿できる幸せは、前立腺肥大症や尿閉になったら気づくのでしょう。
金持ちでなくても、普通にお金がある幸せも、お金がなくなったら気づくのでしょう。
子どもがいる幸せは、子どもを失ったら気づくのでしょう。(これは、今でも気づいているけど)

 しかし、いくらこんな風に考えても、自責の念が全くないわけではありません。なぜスキーに行ったのだろう、行かなければよかった。もう一本滑ってから上がろうと欲張らず、疲れた子どもたちと一緒に上がっていれば、、、あるいは、心臓の病をもっとちゃんとケアしていたら、、、など、考え始めたら尽きません。そう考えても仕方がないと理屈では理解しても、気持ちをなかなか切り換えられるものでもありません。

その一方で、日常生活はどんどん前に進んでいきます。3人の子どもたちは、新しい学校・学年に進みました。僕の仕事も相変わらずの忙しさです。家族と過ごす時間を確保するために、いくつもの仕事を昨年度末で切りましたが、別の新しい仕事が入ってきたり、なかなか思うようにいきません。元気にふるまい、どんどん前に進む自分と、優子に留まりちっとも前に進めない自分のふたつの間で引き裂かれる思いです。

 この5ヶ月間、もし仕事を休んでひとり落ち込んでいたとしても、現に行っているように元気なふりをして沢山の人に救いを求めたとしても、優子を失った悲しみの大きさは変わらなかったような気がします。ただ、時間の経過が救ってくれるように思います。

 喪失からの1ヶ月後、3ヶ月後、そして今5ヶ月後の自分を振り返っても、だいぶ回復してきたように思います。なにより力になったのは家族です。子どもたちの世話は大変ですが、祖父母にも手伝ってもらい、なんとかやってます。むしろ、子どもたちの存在が私の生きがいを支えてくれています。子どもたちはいろいろ要求してきて、決して僕をひとりにさせてくれません。優子が抜けた孤独を感じる余裕を与えてくれません。子どもたちの存在が、ある程度、優子の穴をカバーしてくれているように思います。

長くなってしまいましたが、これが喪失5か月後の気持ちです。
読んでくれてありがとう。

3 comments:

  1. こちらこそ読ませていただいてありがとうございます。
    ホント子ども達の存在は大きいです。毎日新しい気づきを与えてくれてます。

    わんちゃんの名前は決まりましたか?
    edohiさんの発想力、脱帽~。

    14日お伴したし!なのですが、今季区大会初戦なんです。
    お互い、お天気だといいですね~。

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  2. 祐馬がいろいろ候補を考えていますよ。一応、男の子を注文しているんですけど。来るのは、ちゅけと祐馬の期末試験が終わってからということで。

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  3. 5ヶ月、tikiさんの七転八倒を目の当たりにしながら、どれだけたくさんのことを考えたでしょう。このブログは読むひとたちにも多くを与えてくれています。ありがとう。
    「風のなかの優子さんへの手紙」かぁ、いいなぁ。
    14日には残念ながら行けないんだけど、優子さん。(あ、なかなか難しいですね、こういう場所で優子さんに語りかけるって。)素敵な娘をときどき借りるよ。私の最年少の友達ってことで。いいよね。

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