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Sunday, January 3, 2016

7年目

優子、草津に来ているよ。
7年前と全く同じなんだよ。
元日に親戚みんなで集まって。
二日から二泊三日で草津に来た。7年前は優子と祐馬とじんで来て、ちゅけは受験で留守番だった。
今回はちゅけと祐馬で来て、じんは家に居残った、あとカイも来てるよ。
二日の晩は草津の家に泊まり、三日に万座で滑って万座プリンスに泊まる予定だったんだ。
今回はスキーはしないよ。暖冬であまりできないみたいだし、出来たとしても今回はスキーはせずにのんびりするつもりだよ。
いつもの定番の草津生活。元気があれば朝風呂に出かけ、家の回りを散歩して、「そば処風」で十割そばを食べて、大滝の湯の熱い「合わせ湯」に入って。
7年前とやることは殆ど変わっていない。
変わったのは3人の子どもたちの成長ぶりだよ。あの時は中学生と小学生×2だった。今は大学生×2と高校生だぜ。ちゅけなんか久しぶりの草津だとか言ってるから、もしかしたらこの7年間来ていなかったんじゃないか?
ボクは毎年2−3回は来続けている。
ボクは変わったのか?
こうやって優子と向き合うボクの時間は7年間止まっている。
しかし、優子を抜かしたボクの人生はどんどん前に進んでいるよ。
優子がいなくなったおかげで、出合った人もいる。
べつに悲しんでいるヒマも必要性もなくなってきてはいる。
「7年前の今日にママが昇天した万座の場所に行ってみるか?」
子どもたちに提案しても良いけど、なんと答えるかな。「べつに良いよ」「パパ、まだそんなことにこだわっているの?」くらいの反応だろうか。

多分、今年中には父親を失うだろう。自宅での緩和ケアの段階だ。
「パパ、なんでそのことばかり言うの?しつこくて祐馬いやなんだけど、、、」
祐馬ね、こうやって前々から話していた方が楽なんだよ。ママの時は突然だったから大変だったじゃん!
父親は私の人生にとって過去に大切な人だったけど、今、生きていく上で必要な人ではない。むしろ、父親にとって自宅でケアする息子が必要な人だ。親子のケア関係が逆転した。
優子は私の人生にとって現在進行形で大切で、必要な人だった。

今日は草津でのんびりしよう。スキーはせずに、ゆっくりお風呂に浸かって。
今、ボクにとって一番大切な人は三人の子どもたちだ。
祐馬が帰って来ている。今は子ども時代と変わりなく、当たり前に普通に一緒にいるけど、5日後にはメルボルンに戻ってしまう。次に会えるのは来年になるかなぁ。もっともSkypeやLINEではしょっちゅう話しているけれど。彼女の居場所はもうここじゃないんだよ。世界なんだ。信じられないけど。

子どもたちに尋ねてみた。今日はママの命日だよ。
ちゅけ「7年かぁ。」
祐馬「ラッキー・セブン」
べつにラッキーでもないんですけど。
万座に行ってみるか?
祐馬「やだ!」
ちゅけ「そうさなあ。ボクはいなかったからなぁ。」
バパは別に行かなくてもいいかな。けっこう1時間くらいかかるし。
ちゅけ「なら、なぜ聞くんだよ!」

幸せって何?
どうやったら幸せになれるの?
人ひとりでは、幸せ感は成り立たない。そりゃ、美味しいものを食べたり、チャリやスキーそれ自体も楽しくはあるが、それを共に楽しむ人がいて、幸せは成り立つ。大切な人が幸せだと、自分も幸せになれる。幸せ感を具現化してくれる対象が必要なんだ。
そういう意味じゃ、私が幸せに出来る人はたくさんいる。幸せを見失ったクライエントとか。
大切な人と一緒にいること自体が幸せではない。
祐馬と離れていたって、遠くで祐馬が幸せであればパパも幸せだよ。それで良いんだ。
でも、大切な人を大切に感じるためには一緒にいないといけない。
子どもたちが小さい頃は、一緒にいないとどうしようもなかったからね。それが家族なんだよ。
でも、成長しつつある今は、一緒にいる必要もない。少なくとも上ふたりは。高校生のじんだって、一緒に生活しているからこそ、しゃべらなくても一体感が成り立つんだよ。

そうか、七回忌って仏教ではあったなぁ。実際は6年目らしいけど。
もうそんなに経っちゃったんだ。優子との時間は止まっているからわからない。
そんじゃ、やっぱ万座に今日行こうか?露天風呂にも入れるし。
でも、いいよね。草津の露天風呂と温泉まんじゅうでいいじゃん。万座まで行くの面倒だよ。
こうやって優子のことを想っていれば、それでいいし。
祐馬はすやすや昼寝している。ちゅけは外で焚き火している。

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