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Friday, January 15, 2016

父の終焉日記(2015年分)

2015年6月17日
先週はシンガポールに出張だった。出張先からも毎朝定期便で両親に電話する。すると、手足がしびれるという。ボクがいなくなるといろんな症状が出て来るんだ。心気症か!?
日曜日に帰国して、念のため近所の日赤病院の休日診療に連れて行った。たいしたことないと思ったんだけど、当直医が首のレントゲンとCTとを撮ったら、頸椎のひとつが潰れていて、ガンの転移による圧迫骨折だろうということになった。 脊髄を圧迫したら四肢の痛みだけでなく麻痺がくるから絶対安静が必要だ。検査目的ということで入院したんだ。入院してからは自覚症状的には痛みはおさまり、今のところ個室の部屋で元気にしてる。

これから緩和ケアが始まる。

今までの肺の転移はほっておいても悪さをしなかったけど、今回のは悪さをするからね。脊髄が圧迫されないように放射線か薬を使うことになる。手術は父親自身もうしたくないと言うし、骨転移まできているから、医学的にも年齢的にも手術の適応外でしょう。いずれにせよ安静にしなくてはいけない。今後、進行が食い止められれば多少は動けるかもしれないけど、今までのような自由な日常生活ではなくなって、徐々に病人らしくなっていくのだろう。
カウントダウンが始まった。

6月23日
人は、だんだんとその機能を、それと共に人間らしさを失って行く。
父は30年前に片方の腎臓を、10年ほど(?)前に膵臓を失ったけど、人としてそれほど失ったものは少なかった、というか目立たなかった。
でも、今回の転移で、一気に失われた。
絶対安静。家に帰れるかもしれないけど、自由に動いて犬の散歩や外出できなくなる。
すぐに、あるいはしばらく先か、いずれにせよ手足の麻痺がくるだろう。そうすると寝たきりになる。日常生活の活動が大幅に失われる。
でも、思考能力とか意思の力とか現実検討能力とかは正常に保たれている。生きる気力も。
でも、これで寝たきりになれば、病人っぽくなるだろう。
あとは、痛みのコントロール、いわゆる緩和ケアだ。身体的な苦痛がなければまだいいのだが、痛みが出てくると生きながらえる気力もかなり減退する。そうやって最後は存在そのものが失われる。
少しずつ、部分的に失われていくんだよな。
優子は、その点ラッキーだよな。いきなり全部失ったから。自分が少しずつ失われて小さくなっていくななんて感じるヒマさえなかったもの。
でも、そのために、我々は大切な家族を失った。それも重大な喪失だった。
母親は思考能力・現実検討能力や生活能力(衣食住)は正常に保たれている。
しかし、聴力と運動能力(どこがどうということないけど、全体的にもうかなりよぼよぼしてる)、それに精神力が失われつつある。肯定的に見通すことができず、不安が先行して、心配ばかりしている。

6月26日
父親は頸椎の放射線治療を受けて退院になった。
今のところ痛みも治まり、特にイヤな症状もなくて家で普通に暮らしてる。
放射線治療は痛みを止める効果はあっても、腫瘍を縮める効果は少ない。やがて腫瘍が大きくなれば脊髄を圧迫して痛みや四肢麻痺がくる。早く来るか、遅く来るかは分からないけど、いずれは来るでしょう。もう麻薬系鎮痛剤も使っている。緩和医療もこれから本格化する。一旦、良くなった時期がしばらく続いて、次に悪くなった時はかなり悪くて、、、みたいな感じで進行するんじゃないかな。

ボクはこれから台北、イタリア、オーストラリア、トルコ、台湾、ハワイ、ベルリンと、海外出張は目白押しなんだ。
在宅看護・在宅医療をオヤジに勧めている。いわゆる在宅ホスピス、最後まで家で看取るってやつ。7−80年前まではもともと家で産まれて、家で死んでいた。その後、病院や施設でのケアが一般的になり、最近は、また家でやりましょう、その方が安らぐからって感じで、在宅医療(昔で言えば往診)してくれる医療機関もけっこう出てきた。週3回くらい看護師さんが往診してくれて、週1回くらい医者も来てくれる。いよいよになれば24時間耐性でやってくれるんだ。
そうしないと、ボクが出られないからね。ボクが不在だと、母親はあたふた、何も対応できない。前回だって、シンガポール中にオヤジの四肢の痛みが来て、帰国した日に救急外来に連れて行ったんだ。だからといって、ボクがやりたいことをやらずに親のそばに居るってわけにいかない。母親は家族のそばに居ることが生きがいだった。そのために生きてきた。自分のことなんかなくて、夫を看て、看取ることが唯一の使命だ。

Filial Piety(親孝行)
「孝」の考え方はアジアの家族に特徴的で、欧米には希薄だ。そのことはシンガポールや今回の台北でも講演するテーマのひとつだ。「親孝行」なんて古くさいイメージだけど、文化の根底に根づいているからしかたがな。アジアの国々もそのあたりは似ている。欧米では二十歳前後で親から自立して離れていく。アジアの親子は良い意味でも悪い意味で一生ものだ。家族の病理もみんな親子を基軸にしている。ひきこもりは、親がずっと子どもを面倒見続けている病理だ。
オレだってそうだ。二世帯家族で、優子が亡くなり、一世帯の大家族になり、孫のメシを作ってもらって、老親のケアをする。そういった親子の結びつきというプロセスはみな相似形で、そこに葛藤があるかないかだけの違いなんだ。

元気で健康な時はみんなソロでいられる。家族はバラバラでも構わない。誰かが弱くなった時に家族の凝集性は高まる。もともと弱者(子ども・高齢者)のケアは家族の役割だった。ボクの祖父母はそうやって大家族の中で看取られていった。祖父母も子ども・孫家族がみんな一緒にいた。家族はそうするものだったんだ。
もし優子がいたら、父親のケアについてもっと家族でガタガタしていたと思う。なにしろ、家族ケアは女性の役割だったから。母親も「優子さん」に期待していたと思う。息子のボクはオトコだから本来免除されているんだけど、ケアすれば「親孝行息子」としてedxtra creditがつくだけだ。お嫁さんがいるのに在宅看護なんて外注したら「そんなのいいわよ、お嫁さんに看てもらうから。」みたいな選択肢が出来てしまう。お嫁さんとしてはそんなことやりたくないけど、やらねばならないし、あなたがどうにかしてよ、、、という葛藤が生じる。

親子の伝統って、別にアジアだけでもない。欧米だって病院よりは、家にいて家族に看取られたいでしょ。そういう願いは世界共通なのだろう。

8月31日
朝、日赤へ父の付き添いで行く。
父親ひとりで行けるのだが、付いて来てほしいという希望だ。
父親は自分で判断する精神力を失いつつある。重要な判断はすべて息子に頼っている。まあ僕が医者だということもあるけど。
大森日赤は地域の中核病院だ。待合室には当然老人が多い。正面にも父・息子が坐っている。私と同年代らしき息子が車椅子の父親を連れている。何も会話するわけじゃない、ただ黙って父親のとなりにちょこんと座っているだけだ。僕と同じ姿だね。

父親はすっかり気が弱くなっている。身体の痛みにおびえている。
「ちょっと肩や手がしびれるんですけど。」
痛みに敏感になっている。

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