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Tuesday, January 26, 2016

父の終焉日記:1月26日

いつも見てる朝の連ドラ、消しちゃったよ。
人の物語を見てるより、自分の物語を消化するのが精一杯だから。

今は、正直ホッとしている。
良いお葬式だったよね。
子と孫だけで、ゆっくり悼む時間を取れたよ。
お葬式の前の「湯灌」ってああやるんだね。私も初めて見たよ。ひげを剃って、背広を着せて、じいちゃん、最後も男前にかっこ良くなっちゃって!

式は坊さんの読経の替わりに、喪主の私がたくさんしゃべったでしょ。
じいちゃんの病気の経緯を紹介して。
58歳で人間ドックで左腎臓ガンが発見されて以来、29年間がんばったんだよね。69歳ですい臓・十二指腸・胆のうを切除して、81歳の時に日赤にて肺転移が見つかったけど、もう手術はしないって。だいたい、膵臓がんの術後5年生存率は5%以下だからたいしたもんだよね。

去年の6月に頸椎への転移が見つかって、首のコルセットと在宅医療も始めたけど、まだそれなりに元気だったよね。10月、兄貴の新太郎おじさんの四十九日に四万温泉まで連れて行った時、「疲れた〜」とか言ってたくせに妹たちの前だと偉そうな兄貴風を吹かせてすごく元気になったんだ。じゃあそういう機会を作ろうと思ったのが12月6日の「じいちゃんの話を聞く会」ね。mp3で流したんだけど、ここにも張り付けられるかな?(ダメだ、音声ファイルは張り付けられない)
今年の元旦に集まったときも、まあ元気だったよね。でも、7日に転倒したのが命取りだった。右手が麻痺して、寝たきりになって。本格的に在宅医療を開始して、じいちゃん的には良かったけど、ばあちゃんにとってはえらいことになっちゃって。でもその期間も10日間ほどで、あっけなく天国に逝っちゃったよ。
最後の日も朝に、「じいちゃん、行ってくるからね!」と私が仕事に行ったときは、意識はちゃんとしていて、でも言葉がもう出なくなってたから、はぐはぐ口を動かすだけで、何を言ってるか分からなかった。まあ、この調子だとあと1-2週間かなとLINEで孫たちにメッセージを送ったよね。その直後、9時すぎにヘルパーさんから電話が入り、「世話していると、どうも様子がおかしいんです。息をしてないんです。」ということで、もう来ちゃった患者さんひとりだけ診て、その後の予約を全部電話でキャンセルして、急いで家に戻った時はすでに急遽往診してくれたお医者さんも帰っていて、じいちゃんの遺体と死亡診断書だけが残っていたよ。どうも看護師さんたちも含めて4-5人やってきて、身体もきれいにしてくれたらしい。さすが、慣れているよね。

ってなことを長々と私がしゃべって、あとはみんながお焼香して式はおしまい。
その後の会食が盛り上がったよね。
きょうだい会みたいになっちゃった。新太郎おじさんのお葬式の時もそうだったけど。
じいちゃんのきょうだいって仲が良いんだよ。私が子どもの頃はきょうだいたちが子どもたちを連れて四万温泉や交代でいろんなところに集まったんだ。そうすると、歳の似た20人くらいのいとこたちも集まるもんだからみんなで遊んで、幼い頃の楽しかった記憶なんだ。そういう親族の同窓会みたいな。おばさんたちだけを呼んだんだけど、いとこも4人くらいくっついてきてね。私とおばちゃんも含めて6人の「いとこ会」にもなっちゃった。ホントはもっとたくさんいるんだよ。
じんがいとこのねーちゃんたちと親しそうにしゃべってるのは見ていて感心したよ。ふだん家では見せない顔だからね。ちょっと離れたいとこたちとは良い感じになれるんだよな。子どもたちきょうだいもこれから離れていけば、もっと気楽に仲良くなれるようになるんだと思う。今は、まだライバルで競い合っているというか、まだ子どもの部分をぶら下げているんだ。と言いつつも、3人とも大人になって来てはいるけどね。

次の日(昨日)は妻・子・孫の6人だけで斎場へお見送りして、じいちゃんはお釜に入って50分くらいで焼き上がっちゃった。最近のオーブンはずいぶん進化しているんだねえ。昔はもっと時間がかかっていたのに。お昼には遺骨と一緒に家に戻ってきて、
はぁ〜、終わったねえ、、、。
あっという間の出来事だったよ。

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