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Sunday, February 13, 2011

"長"になりたくなかった男

大森駅ビル内のカフェ Bagel & Bagel なう。
家の近所で、まったりひとり落ち着ける場所を確保した。スタバみたいに混んでせわしくない。広めのゆったりした空間。若い女性客が多いのも良い。オバタリアンのおしゃべりを回避するためにイヤフォンで好きな音楽を聞いているけど。ここは昼の居場所。夜バージョンはTenderlyがいいな。
こういう時は小説でも読めばいいのに、つい書いてしまう。情報のinputより、情動のoutputの方が、気分を落ち着けてくれる。

なだいなだが「"長"になりたくなかった男」を学士会会報に寄稿している。"長"になる資質を持ちながら、あえて"長"を避けた理由は...というわけだ。
オレも"長"にはなりたくない。中学の生徒会副会長と、高校山岳部の部長で十分だ。でも医師と大学教授をやってると、どうしても"長"の役割をやらされる。それが好きで教授になりたい人もたくさんいるのに。もし僕が大学教授になれなかったら、なりたがっていただろう。欲しいものを得てしまったら、もやはそれは喜びでも生きがいでもなく、お荷物にしか過ぎない。この先も大学に居続けたら、齢の順で○○委員長とかいろいろやらされる。それだけは避けたい。そうなる前に辞めるんだ。

集団主義的な"世間"に生きる根拠を置く日本人は、ムラ社会の"長"になることが成功の証しとなる。個人主義的なイギリスの医者は、年季が明けるとさっさと大病院を辞めてprivate practiceかearly retirementでパーソナルな充実を目指す。日本の医者はいつまでも大病院か大学のポストにしがみつく。

優子という最も身近な絆を失ったことで、親しいパーソナルな絆の中にこそ生き甲斐が存在することに気づいた。ムラ社会からの眼差しは、僕にとって何の意味も持たなくなった。

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