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Thursday, April 29, 2010

方向転換と優子

Q)やっぱり、先生が大きな方向転換をしたのは、奥さまが亡くなったことが関係しているんですか?

Yes and Noですねえ。
No。
なぜなら、もう10年くらい前から、いつかは方向転換したいなというビジョンをずっと暖めていたんです。妻が生きていようが死んでいようが、僕自身の問題として、妻の存在とは関係なく考えることですから。もともと妻とは全然別の仕事内容だったからね。よく、夫婦で同じような関連した近接領域で仕事やってる夫婦がいますよね。あれは、あれで楽しいだろうけど、仕事内容まで良い意味・悪い意味を含め夫婦関係に入ってきちゃうでしょうね。そういう意味で、僕らの場合は、僕が心の医療、妻が国際機関ないしは通訳:ほとんど接点はないんですよ(多少はあったけど)。だから優子の仕事内容には関知できないし、結果outputとして、優子が生き生きやりがいを持って仕事して、見あった収入もあり、家族に費やす時間が十分確保されれば、何をやっても構わない(というかわからない)し、と思っていた。優子にとっても、僕の仕事がどういう内容で、どんな方向転換をしようが、現状維持だろうが関知しなかったです。そういう意味で冒頭の質問はNoです。


その一方で、Yes。
新しい道に乗り出すのは不安です。今まで、まったく関わらなかったお金(経済)の心配とか算段、それにひとつの組織をマネージすること。でも、やり始めればきっと何とかうまくいくだろうという根拠のない楽観的予測はあった。じゃあ、やればいいじゃない!
でも今までは、現在持っているものを失うこと・捨てることができなかったわけ。今、持っているものだって、全然悪くはないもの。安定して、確実だし。それを生きがい的・経済的にリターンが見込める新たな株と交換して、今持っている株を手放すことができなかった。もし仮にセクハラ(アカハラ)か公金使い込みとかで、今の職場を去る必然性があったら、躊躇せずに出て行けたと思う。
ここで、優子を失った体験が大きく関与してくる。優子を失うことと比較すれば、何だって手放すことができる。というと語弊があるが、優子を手放した痛みに耐えて、乗り越えたんだから、(子どもたちを失うこと以外は)どんなものも失う痛みに耐える自信がついた。何でも手放すことができるぞ。

だから、今、手放すんです。

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