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Tuesday, May 22, 2012

帰国の機内にて(2)


今回のAFTAのテーマはFamily Resilience。
確かに、うちの家族はResilientだったのかもしれない。
母親・妻という最も大切なattachmentを失い、私と子どもたち3人のattachmentを強化することがどうしても必要だった。
祐馬は私と一緒に寝た。
ちゅけと一緒にピラミッド優子を作りにいった。
4人で優子のお墓に行く。
子どもたちにとって私がemotionally presentであること、私のケアする対象である子どもたちがちゃんと存在してることがどれほど貴重だったか、こうやって振り返ることで改めて思い知る。

妻を自死で亡くしたAさんは1年経ってもまだ写真を見ることができない。それがふつうだよね。
なのにうちの居間は写真だらけ。なぜそうしたんだろう?そう出来たんだろう?
私と子どもたちの中に優子を生かしておきたかった。大切な存在。それが心の中の上手い位置に落ち着くまで、亡くなった存在を補うため。

なぜ我々がresilientでいられたのか?

1)私の性格
外交的な性格が人と向き合う喪の仕事をやりやすくした。

2)心理学的な知識・経験
感情を出し切るやり方や経験を応用することができた。子どもの前で感情を出し切り、立て直し、また出し切り。その繰り返しを見せていた。子どもたち自身はそんなこと出来ない。できなくてもいい、父親がやっているのを見ているだけで良い。

3)でも、一番大きいのは前の世代から受け継がれた部分だろう
十分に安心し、secureな家族だった。両親がケンカする姿は子どもにとってストレスが大きかった。でも次の時間にはそれが修復されていた。心情的なストレスはあってもそれを乗り越えてまた安定が得られるんだという体験が安心感を生み出したのだろう。もしケンカしたままだったら、ストレスは持ち越されただろう。
私と優子の原家族の体験が組み合わさって、我々の家族が作られた。子どもたちにとって、両親がいたころの家族、そして母親を失った家族はどれほどsecureだったのだろう?今はどうなんだろう?
子どもたちに聞いても答えてくれない、というかわからない、多分わかるのは大人になってから。
でも、少なくとも私にとって両親との家族-アメリカでの1年間の家族-優子と築いた家族-優子を失ってからの家族には、一貫してsecure enough attachmentが存在していた。

これはあくまでも主観的な体験だからね。実際は違うのかもしれない。というか違うメンバーにとっては異なっているのかもしれない。たとえば、American Momはpsychiatrisに通い、薬を飲んでよく臥せっていた。Secureでなかったのかもしれない。でも、私にとってMom's psychiatristの存在はとてもpositiveだ。「東洋系で、休みの日には家族とテニスをするとても信頼できるドクター」のオフィスに私を連れてゆき、紹介してくれた。医者を目指していた私のためとは言っていたけど、今から思えばMomの治療の一環だったのかもしれない。少なくとも高校生の私にとっては日本の日陰の精神医療とは正反対の、家族に紹介したくなる素敵な人としての精神医療を植えつけてくれた。

優子を失っても、我々はずっとsecureだったのかもしれない。
喪失自体はとてもinsecureな体験だ。
でも、その悲しみを語り、共感して聞いてくれる人がいること自体はとてもsecureな体験だ。
悲しみを表現することはとても悲しい。でもそれを受け止めてくれる体験はとても嬉しい。
喪失体験にどのようなナラティヴを与えていくか。
悲しいから、大変だからこそ、みんなが集まってくれる。優子の場合も、大震災の場合も。
が回復を促す。

これは喪失体験ばかりではない。
クライエントが経験するさまざま辛い・痛い体験。そこにどうやってsecure narraitveを作り出していくか、それをどう支援するか。

ひきこもりだって、更なる痛みから身を守るためのaddiction、防衛反応かもしれない。
思春期のdevelopmental taskをこなしていくのはかなりchallengingなことだ。それでもSecure enough baseがあれば、それとなく乗り越えられることも、insecureな状況だと達成できない。

どうやってsecure baseを作ってゆけるか。
現在の状況がsecureであることがまず大事。Insecureな家族をどうempowerするか。
secureであるためには、enough attachmentが必要。
Attachmentとは、secure emotional connection。安全な感覚。絶対裏切らない、肯定してくれる、安心でいられる、自分の身が守られるような関係。まずそれをセラピストとクライエントの間につくる。
クライエント=思春期の子、つまり彼らがセラピーに来てくれて信頼関係を樹立できれば、それはそれで良い。Individual therapyになる。しかし多くの場合、primary attachment figureは親だから、親子関係にsecure attachmentを再構成する。それを支援するために、親とセラピストの間にsecure attacment、つまり十分な信頼関係をつくる。
それが出来てくれば、それをテコにsecure relationshipを家族間に伝播させてゆく。夫婦関係、親子関係などなど。

しかし、Dが言っていた。Insecureなtraumatic eventを語ることが如何に困難であるか。そのきっかけにEMDRみたいなテクニックを使っても良いのだけど、準備できてないうちに解除ししゃった危険でしょ。むしろ素手でじわじわやった方がよいのでは。

それを行うためにも、まずセラピスト自身が十分にsecureな状態でなければならない。支援者としての基礎をどう作っていくか。
それが、self of the therapist issueでもある。
それをどうやって作っていくか。
ケースを語る中で。
自分自身を語る中で。

3 comments:

  1. Tikiさん、このブログではお久しぶりです。Mikiです。

    家族を1人喪い、それを修復(?)していく作業って、本当に2年も3年もかかるのですね。

    このブログを3年半続けておられること自体、本当に立派だと思います。

    そのこと自体が、昨年6月末に娘を喪って、今、「アニヴァーサリー症候群」を怖れている私に、ずいぶん勇気と元気を与えてくれます♪

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  2. ずっと続くんじゃないでしょうかね。むしろ終わりたくないみたいな。
    Anniversaryは怖れるものではなく、むしろ積極的に利用するものですよ!

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    Replies
    1. 積極的に利用ですか!

      勇気百倍のコメントですね♪

      ありがとうございますm(_ _)w

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