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Monday, July 4, 2011

2年6ヶ月

どうしてこんなことになってしまったんでしょう!?

お別れの会でのお母さまの言葉は、2年半前の私の言葉でもあった。
全く突然に襲ってくる家族の死。

でも、優子には心臓病の既往という伏線はあった。理性の上でも、ある程度ストーリーを組み立てることはできた。

しかし、生命力がみなぎる10代、1ヶ月前は病気の片りんさえなかったあっぴが突然の死を迎えるなんて、青天の霹靂。理性の上でさえ、とても受け入れることはできない。

優子の死を理性で受け入れたとしても、心情レベルで受け入れるまで、時間がかかった。夢に出てきた優子は本当に生きていた。ああ、やっと現実に戻って来たとホッとして、目が覚めるとまた現実が入れ替わる。その落差がとても悲しかった。
そういう体験を何度も繰り返した。
最近でも夢に優子は出てくる。でも、その悲しみは色あせ、セピア色になった。

お葬式は、絶好の喪の仕事場だった。
お葬式の前は、優子を考えるエネルギーをお葬式のことを考えるエネルギーに転換できた。葬儀屋さんや保育園仲間たちと打合せ、たくさん話した。自分の悲しみを多くの人に伝え、多くの人の悲しみを受け取ることができた。
お葬式が終わると、喪の仕事場を失ってしまった。父親として、職業人として、日常の仕事が戻ってくる。そこで喪の仕事の内職はできない(いや、実は一度授業中に内職しちゃったんですけど=学生たちに語り、悲しみを受け取ってもらいました)。

仕方がないので、意図的に仕事場を作った。
優子石を作りに、ちゅけと大阪に行った。
リカちゃんに会いに、九州へ行った。
西魔女。それにブログ。
読書もそうだった。小説や手記、一般書から専門書まで、喪の仕事に関する本を買いまくった。
悲しみ、流した涙の分だけ、少しずつ、心の中の喪失を受け入れていったと思う。
語ること、表出すること。それが優子を失った僕のサバイバル術だった。

喪の仕事は、人によりみな異なる。それぞれに合ったユニークな方法を見出してほしい。
ただ言えることは、喪失の痛みをマヒさせ、感じなくさせるために無理やり補てん物を詰め込んではいけない。感情麻痺、代償としての怒り、アルコール、仕事中毒、、、
まず、しっかり痛みを治療しなくちゃ。
といっても何をするわけではない。自然治癒力に期待して、自然に乾くまで待たなければならない。

傷口が乾いてくれば、自然に次の希望が生えてくる。
補てん物を詰め込んじゃったら、自然に生えてこなくなっちゃうから。

あっぴの遺影に、隣にたたずむ祐馬を重ねてみたら、涙があふれてきた。

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