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Wednesday, July 27, 2011

産業医の研修と孤独な一週間

朝の8時から夜の7時まで缶詰状態。
600人の受講生。年一回だけの集中講義に全国から集まる。

大ホールに埋め尽くされた人たちは全員医者なんだよなあ。ふだんの生活や私の職場では、医者ひとりあたりの人口○人という世界だったから、自分が医者のくせにまわりみんんな医者という集団には違和感がある。春に日本医師会でやった講演会でも同じ感覚だったかな。
学会でも同じようだが、私の所属する学会は学際的、つまり多職種の人たちがまじっている。それに、学会なら誰かしら知り合いがいる。今回は600人中ひとりも知り合いがいない。大講堂で一方的に話を聞いているだけで、下手すると一日ひとこともしゃべらないかもしれない。講義をする側をずっとやってきたが、講義を受ける側をこれだけぶっとおしで体験するのは大学時代以来30年ぶりかもしれない。

話の内容は、、、面白くない。
もともと私は一方的に聞く形式の講義が嫌いだ。
資格取得が目的だから、講義内容は多岐にわたる概念を押さえておくというような感じだ。この歳になって、自分の専門性は確立しちゃってるから、今さら他の分野を熱心に学び直す気にはならない。明日のメンタルヘルスの話はきっと興味を持てるだろうけど、今日の話は一日すわったままの苦行だった。

普通の仕事や学会での地方出張は、楽しい「現実からの逃避」だ。仲間と連れだって現地の名産を食べに夜の街に繰り出す。
しかし、今回は付き合ってくれる仲間もいない。ひとりで美味しいものを食べても美味しくない。ならば、がらりと方針を変えて、修行の一週間にしよう。
村上春樹の作品には、よくひとりでトレーニングする描写が出てくる。村上自身、時々テレビで垣間見る体型を見るとトレーニング・マニアなんだろう。1Q84の青豆も、海辺のカフカの田村カフカ君も、ひとりでジムに通い、淡々と「全身の筋肉のひとつひとつを丁寧に伸ばして、鍛え上げていく」みたいな表現だったと記憶している。

ストレッチをして筋肉をほぐしているうちに、少しずつ落ち着きを取り戻してくる。僕は僕という入れ物の中にいる。僕という存在の輪郭が、かちんという小さな音をたててうまくひとつにかさなり、ロックされる。これでいい、僕はいつもの場所にいる。(村上春樹「海辺のカフカ」)

今回のホテルは豪華バージョンをやめて質素なウイークリーマンションタイプ。レストランはなく、部屋に冷蔵庫、レンジ、調理器具、洗濯機などが揃っている。近くのコンビニでひととおりの食材を買ってきた。朝はトーストとシリアルにベーコンエッグ。ちゃんと食べる。昼は会場で日替わり弁当が配給される。夜はアルコールも外食も避け、ホテルの部屋で自炊。夏野菜のカポナータにクラッカーとチーズのみ。低カロリーだが満足できる食事をつくる。
研修を終えた夕方、近くの市民プールでひと泳ぎ。部屋に戻って体幹トレーニングとストレッチング:村上春樹みたいに筋肉に十分な刺激を与える。

 今から百年後には、ここにいる人々はおそらくみんな(僕もふくめて)地上から消えて、塵か灰になってしまっているはずだ。そう考えると不思議な気持ちになる。そこにあるすべてのものごとがはかない幻みたいに見えてくる。...
僕はいったいなんのためにあくせくとこんなことをしているのだろう?どうしてこんなに必死に生きていかなくてはならないんだろう?(村上春樹「海辺のカフカ」)

家族も友人も誰もいない一週間なんて、とてもレアで貴重な体験だ。ひとり飲んだくれる一週間はもったいない。
ちゅけも勉強に集中する休日は、よく昼食を抜くよな。お腹がすごく減っても、減っていることに慣れてしまえば、それはそれで大丈夫になると、食べざかりのおまえの年代で考えるなんて大したもんだよ。
ひとりきりの孤独さに合わせて、食事も不足させる。それに適応できれば、それはそれで居心地がよくなるよな。
まだ始まったばかり。残りの4日間、どれほど孤独をエンジョイできるかな。でも「4日間」という期間限定だからこそ、そうしたいと思うし、できることなんだろう。

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