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Wednesday, June 29, 2011

友人と、二年半前の私

学生時代からの友人の娘さんが、急性の心臓病で亡くなった。一ヶ月足らずの闘病生活。その前には全然元気なふつうの高校生だったのに。
友人とは長年の家族ぐるみの付き合い。娘さんが幼い頃、一緒に泊り、BBQをしたこともあった。優子の葬儀にもいち早く駆けつけ、このブログも熱心にフォローしてくれた。そして今、彼自身のブログに悲しみを綴っている。
あの時と、立場が逆じゃないか!

二年半前を昨日のことのように思い出す。
優子を亡くした3日後からブログを書き始めた。そうせざるを得なかった。
まだ、悲しみが大きすぎて、自分の悲しみを、悲しみとして実感することができなかった。
自分の人生・存在にとって、とてつもない出来事が起きたらしいということは理解できた。
弔問客が来れば泣き、葬儀屋と打ち合わせをすれば泣き、それが終われば普通の顔をして子どもたちや応援に来てくれた友人たちと対応し、歯が痛くなったので歯医者に行ったり。
悲しいことは悲しいのだが、その時点で感じることができた悲しみは、大きな感情のかたまりから漏れ出してくるごく一部であり、じっさい、悲しみの全体がどれくらいの大きさなのかすらわからなかった。それがわかりはじめたのは1-2ヶ月くらい経ってからだったと思う。

気持ちが落ち込むのが怖くて、ぐいぐい、半ば強制的に気持ちを前に進めていた。
経済的に貧窮するわけではない。生活は前と同じように進んでいく。ちゅけの受験ももうすぐだ。祐馬の中学の制服も注文しなくてはいけない。たくさんの人たちに応援を頼み、支えてもらい、ブログを書きまくり、、、そういう姿を痛々しく見ていた人もいた。その人は10年前に奥さんを亡くした同僚だ。
今、友人を見ていて、同じように感じる。
津波のように押し寄せてくるであろう悲しみの塊に対抗するために、何が何だかわからないけど、今できることを必死にやるしかない。普段の活動性が先鋭化し、hyper-activeになっていた。
Tikiさん、大丈夫?ちょっと休んだら?
そんなまわりの声に耳を傾ける余裕もなく前に進んでいた。
そうするしかないんだよね。そうしないと、自転車が失速して倒れてしまうのが不安だった。

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追伸⇒あの頃の気持ちを蘇らせてみた。
とにかく、未分化な、圧倒されるような感情の塊が胸の上に重くのしかかって苦しかった。
気持ちが重く詰まっていて、寝ようとしてもザワザワ心の中で何かがなびいて眠れない。
それをどうにかしたかった。絞れ出せばよいというのがセオリー。
少しでも楽になりたかったから、必死に絞り出していた。今から思えば、そんな危なっかしく焦らなくても良かったのに。でも焦るしかなかった。
気持ちを絞り出してみれば、それは誰にでも共感できる、純粋で、深く、大きな悲しみだった。泣きじゃくりながら、ブログや仲間や西魔女に受け取ってもらった。出してみれば、恐くも苦しくもない。単純に悲しいだけ。私にとっては、気持ちを感じるという出口を通過させる方が、溜め込んで抑え込むより楽だった。感情の便秘症。出してしまえば、なんのことはない。
でも、溜め込んでいたら、心がパンクしてしまう。それが怖かった。

2 comments:

  1. まさにその友人のM.W.です。
    応援メッセージを有難うございます。

    正にその通り、前に進まないと、自転車が失速して倒れそうです。
    何とか難場を乗り切りたいものです。

    その一方で、娘は幸せに天国に旅立ったと信じています。
    あの子は天使でした。そして本当に天使になりました。

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  2. 大丈夫。
    難場はまだまだこれからです。
    私のピークは2-3ヶ月だったかな。
    スピード出したってそれは早まりません。
    ゆっくり、out of controlにならないよう気をつけながら、焦らず、乗り切ってください。ご家族と一緒に、安全な場所で純粋な涙をたくさん流してください。

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