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Wednesday, September 30, 2009

今後のイメージトレーニング

Qさん、Tikiです。

Qさんのメールは、パートナーを亡くした先輩(そんなの、アリか!?)として、とても参考になります。

今日まで関西方面に出張中でした。旅に出て、普段のなじみの世界から切り離されると、否応なく自分と向き合いますよね。僕は孤独に弱いのかな。昨日も自転車を借りて、平城宮跡や奈良公園をひとりで回ったんですよ。ひとりの時間になると、どうしても優子が出てきてしまいます。最後の夫婦旅行となったソウルの景福宮と雰囲気が似ていたりして。

夜も久しぶりに優子の夢を見たんですよ。正月スキーよりちょっと前の時間にバックして、もう一度その時間をやり直したら、今度は心臓発作がおこらなかった。だから、死んだ方の優子はなしにして、もう一回リプレイした優子の方をとればいいんだよ、大丈夫だね、よかったね、、、みたいな。
でも、それができないんだということも夢の中でわかっていて、夢の中で泣いてました。

これでも、以前に比べれば進歩したんですよ。以前は、夢の中では泣けなかったんです。つまり、夢の中では優子が確実に生きていて、夢から覚めてから泣いてました。

優子を考えない時間は以前より増えているとは思うんだけど、まだまだ心の底にしっかり根付いていて、隙あらば出てきてしまいます。
それを、覆いかぶせるために新しいパートナーを見つけるってのはダメですよね。

優子を越えるような人って、ありえるんでしょうか?
客観的に考えれば、優子より素敵な人はいくらでもいるはずですよね。
でも、主観的には、優子がこうやって心の中を占めているうちは、そう見えてこないのかな?
いや、別に誰か具体的な人を想定しているわけじゃないですよ!
ただ、何となく将来のために心のありようをシミュレーションしてみているんですけど。イメージトレーニングというか。

Qさんの言うように、きっと何年たっても優子のことが心の中から抜けるってことはないんですよね。私としては、それで良いと思うんですけど。
でも、そんな状態で新しいパートナーとうまくやっていけるものなんでしょうか?
パートナーとの関係って山あり谷ありだから、山のときは良いとして、谷のとき、新しい関係の中に、優子の亡霊がすっと入ってきちゃうような。

書きながら思うんだけど、まあそこまで深く考えなくても良いのかな。
優子亡霊が、僕の中で十分に小さくなっていれば良いのかも知れないし、どちらにせよ、優子亡霊は僕に一生つきまとうわけだから、その存在に、新たな二人が怯えて怖がらなければいいのかも。ふと出てきちゃったら、押し隠そうとせず、「やあ、こんにちは。」みたいに。

どうやったら、優子と無理なく離れてゆけるんでしょう?
仕事とか、趣味とか、子どもたちとか、友人や新たなパートナーとか、別の(楽しい)ことを心の中に満たしてやれば、優子のことは相対的に小さくなっていくのでしょう。
でも、それでも良いのですけど、なんか、ちょっと違うような。

むしろ、心をわざと空っぽにして優子を甦らせ、心の中で自由に遊ばせたら、悲しくて辛いけど、自然に小さくなってくれるのかなとも思います。そのために、西魔女に会ったり、こうやってブログを書いたりしているんですけど。だから、今の僕にとっては、無理に心を何かで満たさず、空かしておくのも良いかなと思います。

それに、敢えて、パートナーを見つけなくてもいいのかなんて思うようにもなりました。
パートナーがいなくても、生活は十分成り立つし、子どもも3人作っちゃったし。求めるとしたら、寂しさという気持ちの理由だけなんですよ。
パートナーがいなくたって、十分に幸せになれますよね?
むしろ、人生を周到に幸せで満たすのではなく、少し欠乏させていたほうが創造性に結び付けられるのかなとも思います。
今までやってきた臨床経験や研究をまとめて本を書きたいと思っているんですよ。でも、こういうのって集中力とエネルギーが必要だから、あまり満ち足りてしまうのと、そっちまでエネルギーが回ってこないような気がします。今まで、そうだったから。
そういう意味では、自虐的だけど、ちょっと心を飢えさせておいたほうが良いかもしれない。ハングリーじゃないと、良い仕事って生まれてこないような気がします。
でも、わからない。そこまで強くはなれず、快楽の方に走った方が楽ですよね。そんなにマジメに突き詰めて考えなくても良いのかなとも思います。

ダラダラと済みませんでした。
Qさんへ伝えるという形で、今の自分の気持ちをちょっと映し出してみました。お付き合いくださってありがとうございます。

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