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Saturday, December 31, 2011

満たされつつ満たされていない状態

この10日間、ずっと書けなかった。
旅行に行っていたし、帰ってからは2日間診療で大忙し。そして昨日は大掃除。
ブログを書けるためには微妙な塩梅が必要なんだ。

人で満たされ、仕事(やること)で満たされ、幸せで満たされると書く必要がなくなる。読む必要もなくなる。痛みを感じなくなるから。
適度に孤独で、幸せに陰りがある状況で痛みが見えてくる。適度に時間があると、それを整理して書くことが出来る、というか書きたくなる。
この塩梅をキープしておくことが、作家にとっても、Wounded Healerにとっても重要なんだ。

逆にその痛みが大きすぎると書けない。
書くこと(表現すること)って結局その部分を手放すことだから。自分がしがみつき、手放すことが出来ない部分は書けない。
それに替わるアイデンティティを持っていないと書けない。

父との往復書簡が書けたのは、僕が40歳を過ぎ、父親との関係を手放すことが出来るようになったからだ。あるいは、書くことで最終的に手放す作業を完了したかったのかもしれない。自分に必要な大切な父親役割はもう父親から得る必要はなくなった。父親はいる。でも父親はもういらない。
その本のまえがきにも書いたが、生きている優子との往復書簡は書けなかった。父親との関係は卒業したが、優子とは夫婦という関係が現在進行中だった。書くと、つまりふたりの関係を相対化すると、本音を語っちゃうと、その関係が変わっちゃうでしょ。隠しておきたいこともあった。夫婦関係は微妙な戦略バランスの上に成り立っていたから、情報を開示してしまうと関係性が変わってしまう。例えば浮気してたこと(してないけど)、昔の彼女と密かに会ったこと(会ってないけど)なんか伝えられないじゃん。伝えたら間違いなくケンカになるし、優子を失うかもしれない、少なくとも平穏な夫婦関係は一時的にせよ失うだろう。優子を失いたくないから、優子のことについて何も書けなかった。

優子を亡くしてからは、逆に一生懸命優子のことを、そして優子を失った自分の気持ちを書いてきた。物理的な優子を失ったからには、心の中の優子も空に放ち、追い出してゆかねばならない。「Tikiさん、やり過ぎ!」とまわりから心配されながらも、亡くなった直後から書き始めちゃったのは、優子なしでもやっていける自分があったからだろう。子どもたちも、両親も、多くの友人たちも、仕事も、収入もあった。心の中の優子を失っても、自分が成り立たなくなるわけではない。というか、成り立たせていかねばならない。〜ねばならない、の背後には、〜できるはず、という確信みたいなのがあったのだろう。

優子と過ごした自分のアイデンティティを手放していくために書いている。
その前提には、優子がいなくてもやっていける基底のアイデンティティをしっかり確保しているから書けるんだ。

思春期の子どもは、自立した大人の部分と、依存した子どもの部分が共存している。臨床では、際限なく子どものことを心配する親によく出会う。彼らは「子ども」を手放すことが出来ない。「子どもの親」としてのアイデンティティを再構成することができない。なぜ出来ないのか、再構成するリスクは何なのか。親自身が崩壊してしまうのか、孤立するのか。そのあたりを解き明かしながら、子どもへの不安を取り除き、自立しつつある子どもを放す手助けをしなければ。

基底のアイデンティティは子ども時代に作られる。しかし、大きくなってからでも育成できる。過去の子ども時代にミスっても、後から十分回復できる。そういう意味で、人はいつまでたっても成長し続けるんでしょうね。

さて、こんなことしていられないんだ。
ぼちぼち子どもたちが起きてくるし。
祐馬の小論文の添削もしてやらないと。
お節は何を作り、何を買おうか?
今年は年賀状さえまだ書けてないんだ!

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