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Wednesday, December 14, 2011

エンディングノート

私は上手に死ねるだろうか?

というのがこの映画のキャッチコピーだ。
「死は恐れ、忌み嫌うもの。」
という普通の感覚を乗り越え、死に向き合おうとしている人に勇気を与えてくれる。
そういう作品はけっこうあるんじゃない?河邉さんの「ホスピス絵日記」もそうだし。

勤め上げた会社を無事に退職して癌が見つかった。営業マンにとって、死=恐れ、という感情の過程以前の問題として、段取りをつけて目的を達成するものであり、人生の最後を締めくくる一大プロジェクトだった。
そんなプライバシーをすべてビデオに撮り、映画にしたのは3人の子どもの末娘。自分は果たせなかったが、冥途の土産に孫たちをプレゼントした長男家族と父親の交流を丁寧に描いている。
結局、生も、死も、生き甲斐も、「家族」なんだよな。

監督、まだ若いのです。この映画の宣伝とかやるのは、辛かっただろうと思います。監督である前に遺族ですから。

さすが、監督目線(笑)。
でも私はそうでもないと思いますよ。子どもたちを育て上げ、定年までしっかり働き上げ、やるべきことはやった幸せな人生であれば、子どもが親を見送るのはそれほど辛くないはずです。それに、喪失の哀しみは共有してくれる人が多いほど癒されます。映画をつくるプロセス自体が彼女にとって良い喪の仕事になっていたと思います。

むしろ気になるのはお母さん。娘の仕事のためだから了承したものの、自分と夫の姿が公衆にexposeされるのは相当きつかったんじゃないかな。父からオフレコにしてくれと言われても、臨終の床で母が夫婦だけにしてくれと言われてもビデオを回し続ける娘の根性に負けた感じなのかね。これも家族愛として括ってしまえばまとまりがよい。
子どもたちを外に出し、夫婦だけの会話にもカメラは残された。「いっしょにいきたい」という妻の言葉はとても感動的だし、とても官能的だったよね。済みません、変態オヤジのつっこみでした。

俺は妻を亡くした悲しみの後片付けをやっている最中だけど、オレ自身のEnding Noteも書かなくちゃ。
というか、子どもの頃に「死を発見」してからずっと向き合い、書き続けているのかもしれない。
私が向き合って来たのは死への恐怖という感性の段取りであり、営業マンの段取りとは種類が異なる。
死って一番身近なことだよね!別に避けることないよ。いつも話題にすれば良いこと。恐れないで。というか恐れてもよい、その感情と向き合うこと。
Negativeな感情と向き合うのは、精神科医(心の支援者)の得意分野だから。その素地があったから、優子を失ったnegative emotion(悲しみ)にも、バカみたいに必死に向き合ってきたんだ。

蛇足)End Noteという論文の巻末に載せる文献リストを作成するデータベース・ソフトがずっと前からあったっけ。

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