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Thursday, November 24, 2011

ラビット・ホール

祐馬に勧められて観たけど、、、、う~ん、微妙だな、、、!
いや、すごく良い映画だし、子どもを亡くした親なんか絶対みるべきだと思う。
でもなあ、なんかちょっと違うんだよな~。
アメリカ映画にありがちな、ハッピーエンド。喪失をくぐりぬけ、再生しました!ジャーン!
というのではないのはホッとした。
かといって、お涙ちょうだいもの的にたくさん涙を流して癒してくださいみたいな雰囲気でもない。

悲しみはずっと消えない。でも重さが変わるの。
のしかかっていた重い大きな石が、ポケットの小石に変わる。

っていうフレーズは全くそのとおりなんだけど、それをわざわざ伝えたいための映画なわけ?
そんなこと自明でしょ!?
批評家でもないのに、なにかひねくれてるね>自分。素人は素人らしく、素直に受け止めればいいじゃん!?
いや、家族の喪失に関しては素人とは思っていないんでしょうね。自分の経験第一主義。

家族自助グループを風刺してるのはまだ良い。それだけ、アメリカでは一般的になっているからなんでしょう。日本ではもっとやるべきだと思うから。
でも、あれほど悲しみと向き合うことを拒絶している妻が、なぜ加害青年にするするっと近づけるわけ?
子どもの喪失・悲しみは、夫婦関係の喪失にも繋がるところは、とてもよく描けている。でも、それがなぜ最後に手を握れちゃうの?そこに至るまでには、もっと何かがあるはずでしょ!?
再生なんかしていない。
Come to term with it.
ってとこかな。
そういうもんなんだよね。
下手に自分が経験しちゃってるものだから、それと比べてあーだこーだ批判したくなるんでしょう。喪の仕事は人それぞれ、みんな異なる、なんて言ってしまえばそうなんだけど。でも、もう一歩、何かが欲しい。
決してヘンな映画ではないけど、いまひとつしっくりこない感が残った。それは映画のせいではなく、私自身のせい?
もう一度、観た方が良いかもしれない。

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