Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Wednesday, June 8, 2011

当たり前の人生と内覧会スタート

28年前の創設以来、イギリス留学中の3年間を除いてほぼ毎年欠かさず参加しているこの学会には、長年の知り合いが多い。昨晩は懇親会と、その後の二次会で旧交を温めた。
「大学辞めて、開業するんですよ!来週から!」
新しい名刺と挨拶状を手渡すと、みな一様に驚く。
「えっ、それはすごい決心だったでしょう!!」
そう言われれば、そうなんだけど、私自身としては、そう大層な「決心」のつもりではないのですが。

Q) じゃあ、なぜ転職したの?アブラの乗りきっている50代でしょ。まだまだ若いのに?
別に、若いつもりでもないし、かと言って、年とったつもりでもないし。

・職場で不祥事を起こしたとか、上司とケンカしたとか、うつ病になって仕事に出て来れなくなったとか、今の職場に居られない事情があるの?
⇒というわけでもないし。

・最近、一部で流行っているdown shifter?
⇒人生=up gradingという高度成長時代に対するアンチテーゼというほど大げさではないが、確かに、大学教授⇒開業医は一般的に見ればダウンシフトなのかもしれない。働き過ぎ・もうけ過ぎを回避し、余裕ある本来の生活を取り戻す。そういう面もあるかもしれないけど、ちょっと違うんですよね。
もう、10年くらい前から、なんとなく精神科の臨床に戻りたいとは漠然と思っていた。研究や若い学生に教えるのは楽しいし、決してストレスが大きな仕事ではない。このまま65歳の定年まで勤め上げても、全然構わないが、本当に満足できる仕事かとは言えない。今まで、週1回、クリニックで診療していた。私の専門性を本当に生かせるのは大学での教育・研究ではなく、精神科の臨床なんだ。それは、前々からわかっていた。65歳で転身するよりは、50代で新しい道のルートは切り開いていた方がいいだろう。そんな風にも思いつつ、あえて転職するincentiveは持ち得なかった。

やはり、直接の誘因は妻を亡くしたことでしょうね。
この2年半、悲しみに直面し、乗り越えてきた作業の一部、、、という意味ではない。
妻を失うまでは、自分の人生は「当たり前」に過去・現在・未来と繋がっていた。
やがては仕事も人生も終末を迎えることはわかっていても、そのことは先延ばしにして、今は考えなくても良いことだった。
妻を失った体験は、被災地の体験と似ている。
当たり前に存在し、その存在に疑問の余地を挟む必要もない自分の一部が、突然、いとも簡単に失われてしまう。それを実感してから、自分の人生が当たり前ではなくなってしまった。


----
これ、二日前に下書きして、表のタム研ブログの方に投稿しようと思ってたんだけど。。。

昨日から内覧会が始まった。
いよいよだ~~!
火曜日から土曜日までの5日間。
初日は19人が来てくれた。
ずっと前の知り合い、ちょっと前の知り合い、そして現在の知り合い。
僕は、人との交流によってエネルギーがもらえるんだよね。
夜は学生時代の悪友としこたま飲んで、二日酔い状態。
肝臓には悪いが、気持ち的にはエネルギーをたくさんもらった。

あのさぁ。先生のブログだけどね。
読む人の立場からすれば、先生は尊敬する人でいてほしいと思うよ。
自分のことを相談するんだから、ちゃんとわかって聞いていてくれてい、しっかりした人じゃないと。
失敗とか、弱い部分とかは、会った時、話の中で語ればいいんだし。
表向きには偉そうにしていた方が良いかも。

う~ん、なるほど。そうかもね。
人間、強い部分と弱い部分があって、弱い部分を隠しているから心がおかしくなっちゃう。弱い部分も語って良いんですよ。ほら、私だって弱い部分はあるんだから。
ということを伝えたくて、自分の弱い部分もさらけだしてるんだけど、ちょっとやりすぎかね。
初めて私に会う人が、弱い部分から先に知っちゃったら良くないか。そんな人に、自分の話なんかしたくないよね。
じゃあ、陰の部分、弱い部分はこっちの優子ブログ。
偉そうな、強そうな、生意気な部分は表のブログ。
という風に使い分けます。
表のブログにも、こっちにリンクを貼ろうと思ってるから、私のことをディープに知りたいクライエントさんも、やがては知ると思うんですけどね。
それとも、あまりリンクしない方が良いかなぁ??
偉そうな部分だけで澄ましてる?
どうでしょうかねぇ?
いちいち、悩んでます。

No comments:

Post a Comment