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Sunday, June 12, 2011

ついに開業まで漕ぎつけた

開業、おめでとう。
だいぶ前から、ずっと言い続けてたよね。



そうなんだよな。
クラス会とか飲み会とか、昔の友人たちにはもう10年くらい前から言ってたかなあ。


私としては、数限りある目の前の患者さんだけを相手にしているより、大学にいて(新しい治療法を開発するなどで)その研究成果を社会に還元する方が、より社会に貢献できるのでは?と考えて大学にいます。なので、開業したがっていたオマエのことがちょっと不思議でした。


確かに、ふつうそう思うよな。
せっかく訊いてくれたから、少し整理して考えると、、、

★僕がやりたいことをできる大学じゃなかったから。
精神科の臨床、特にカウンセリング(心理療法)ってのが私のやりたいことなんだけど、務めていた大学とはちょっとミスマッチというか。医学部とか◎◎学部の心理学科で、臨床的な研究とか授業をやれれば結構マッチすると思うんだけど、教育学部でしょ。臨床とか治療とかはできないし、教える授業も教員養成系だから、臨床系とはちょっと違うんです。それに、会議とか委員会とか、いわゆる「雑務」が年々多くなってきて、やりたいことができない!みたいな閉塞感を感じてたんでしょうね。
そりゃ、贅沢だ!と言われればそうなんで、研究内容・授業内容は任されているし、自由に使える時間はたくさんあるから、ミスマッチなんか気にせず、努力すれば、自分のやりたいこともできるし、今まで、
ある程度はそうやってきたんだけどね。でも、やっぱり限界かな。
もっとやりたいことに集中したい!
やりたくないことはやりたくない!
本を読んだり、原稿を書く時間がほしい!
というあたりでしょうか。

★大学でなくてもできる。
じゃあ、医学部や心理学科の大学なら辞めずにずっといたかというと、
どうかなあ??
僕の研究は、いろんな患者さんの話を聞いて、いろいろ心理療法を試してみて、経験的に成果をまとめるみたいな感じだから、実験器具もいらないし、若い頃やっていたアンケート調査みたいな基礎的研究もやめたし、要するに患者さんと会う場所と、多少の文献と、落ち着いて執筆する場所があればこと足りるんですよ。科研費もずっともらってたけどPCとか出張旅費くらいで、あまり使わないんですよ。
日本じゃ少ないけど、欧米では個人開業して、学会に出て、臨床の本を書いている人もけっこういるからね。
5分診療で、たくさんの患者さんを診て、たくさんのスタッフを雇って、病院を広げて、ガッポガッポ儲けてみたいな消耗する拡大路線ではなく、少数の患者さんをじっくり時間をかけて診て、本を読んだり執筆する時間の余裕があって、たくさん儲けなくても、今の生活レベルが下がらなければ満足みたいなイメージなんですよ。だから、保険は一切使わず、自由診療で1時間3万円なんですよ!
強気でやってるけど、大丈夫かね?ホントに患者さん、来てくれるの?これから子どもたちが大学だよ。
まあ、そういう危機感があれば一般向けの啓発書とか書けるかもしれないし。

★職人芸
私のやってることは、新しい発見をするとか新薬を開発するみたいなことではなく、心理療法だから職人芸なんですよ。外科の医者みたいに、新しい治療手技に関する本や論文書いてみんなが救われるというよりは、「腕の良い先生」を頼って患者さんがやってきて、弟子たちに直接伝授してみたいな感じかな。そういう意味では開業したって弟子はとれるんですよ。だから、HPにあるように、いろいろ専門家向けセミナーとかスーパービジョンとかも考えているんです。だから屋号も「◎◎クリニック」ではなく、「◎◎研究室」にしたんですよね。

★社会に貢献する。
なんてことをだいぶ前から考えつつもダラダラ大学人をやっていて、やっと転身する腰を上げたのは優子を亡くしたことですね、やっぱし。

社会に貢献するって、自分のやっていることが社会の人々の役に立つ、つまり自分の存在意義を他者の存在を通して証明するみたいなことじゃないですか。
私の分野は、精神的な危機を救うみたいなことですから、私自身が精神的な危機から立ち直れた(役立った)のは、薬を飲んだり、本を読んだりしたことではなく、家族とか友人とか、カウンセラー(グリーフ・カウンセリングを受けてるんです)の存在だったんですね。
うつ病とか統合失調症とか医学的病気としての精神的危機は薬で治すけど、
喪失とかトラウマとか不登校・ひきこもりとか夫婦不仲とか、私が関わる精神的危機は、身近な人との関係の中で生れ、身近な人との関係の中で癒されるんだなと実感したんですよ。
私が本や論文を書いて、数多くの人がフンフンと読んでくれて役立ててくれるのも良いなあとは思うんだけど、
数限りある患者さんしか関われなくても、「苦しいのが治りました!ありがとう!」みたいな方が私にとっては「社会に役立ってる」という実感を得ることができるんじゃないかなってね。

★定年後の見通し
65歳の定年後は、
体力の続く限り臨床に戻りたいなと思ってるんですよ。
65歳すぎてからよりは、今のうちに基盤を作っておいた方が良いでしょ。

これで答えになってる?



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優子さんと一緒にオフィス探しを始められ、良い物件にめぐり合えてよかったですね。


そうなんだよね~。
記録を振り返ってみると、具体的に動き出したのは、優子が亡くなるほんのひと月ちょっと前だったんですよ。自分でも気が付かなかった。
・2008年11月23日に優子と一緒に開業フェアみたいなのに行ったんですよ。
東京国際フォーラムの会場に、医院開業関連企業みたいなのがたくさんブースを出し、
これから開業しようとしてる医者が集まり打合せするわけ。
家を持とうとする人の住宅展示場みたいなもんだね。
開業とか僕はぜんぜんわからないから優子にもついて来てもらって、ふたりで見て回ったんだけど、いまいちピンとこなかったんだよね。医療器具とか、他の医院と重ならなくて人が集まる立地調査とか、看護師さん募集要領とか、僕の場合にはあまり関係ないことばかり。
今日、来ても収穫はあまりなかったね。これからどうしようかねえ。
なんて優子と昼ご飯を有楽町で食べながら相談していたことを覚えている。
その時点では、いつ開業しようかなんていう具体的なプランはなかった。


その2か月後に優子が亡くなり、開業どころじゃなくなった。
でも、記憶があいまいだけど、優子を失って3ヶ月後くらいには、具体的な時期を決心していたと思う。たしかリカちゃんにも話してたよね。
2009年度の新学期が始まり、まず学部長に話したんだ。人事関連はとても大変なことはよくわかってるから、早めに伝えとかないと大学に迷惑をかける。今年度、そして来年度の末に辞めさせてもらいますと、2年間弱の余裕をもってお伝えしたんだ。でも、その時点では学部長、どうせ妻を亡くしたショックで変なこと言ってんだろうみたいに思ってたんじゃないかな。


その秋には、一番近くで仕事をしている同じ分野の准教授に意向を伝えたら、とてもびっくりして、そんな~、絶対やめないでくださいと懇願されました。確かに僕の抜けた穴によって一番影響を受けるのは彼女でしょう。どうも済みません。


で、2010年度の新学期になり、学科会議で「辞めま~す!」とオープンにしたんだ。
さあ、具体的に動き出そう、と思ったけど、何から始めていいかよくわからない。
オフィス引っ越しのコンサルタント会社3つくらいと相談し、学生時代の友人の税理士さんとも相談したけど、そんなに急ぐ必要もないことがわかった。


忙しくなったのは2010年の暮から。
物件探しを始めた。不動産屋が見つけてきた物件を見て回り、20件くらい見た段階で、今の物件に決めて。
それから、契約(これも結構面倒で時間がかかる)、内装のプランニング、設計、そして工事。
仕上がったのが5月末で、今週が内覧会。来週から開院!
なんか、長いようで短い道のりだったなあ。


ついにやっちゃったよ、優子。
優子がいなくたって、できたぞ。
でもまあ、よりによって優子の喪失で人生一番つらい時期に、人生一番大きな転換期をぶつけなくたって良かったのに。
開業プランはもう少し塩漬けにして、2-3年引き延ばしても良かったのに。
そう、そうしても全然かまわなかったんですよ。
でも、心情的には、優子を失ったからこそ、今、動かざるを得なかった。動きたかったんでしょうね、きっと。

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