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Monday, May 30, 2011

道しるべ (milestone)

平日午前中のリゾート特急草津号の車内はがら空きだ。乗っているのは初老の温泉旅行風カップルがちょろちょろ居るくらいだ。前の座席を倒し、4人掛けボックスシートにひとり足を投げ出して座る。
のんびりした旅。

開業準備の合間、今日・明日は仕事の予定を入れなくても済みそうなので、別荘に地デジを入れるという口実で温泉ひとり旅。PCを旅館に持ち込み、集中して原稿書きだ。あるいは、温泉にノボせて効率が上がらないかもしれない。良い環境で、良い書き物をしたい。

準備は忙しい。あれやこれや、慣れない仕事ばかりだ。就職してからずっと親方日の丸サラリーマン生活だったから、自分で事業を興して経営を考えるなんて初めての体験だよ。これと似た経験は3年前の学会主催かな。あれやこれや、いろんなことが同時進行で、どれから手をつけて良いか混乱する。ひとつひとつの仕事の単位はそれほど難しいわけではない、着実にこなせばよいのだが、慣れていないと取り組むこと自体が不安で、面倒に感じる。

開院も近づき、急がねばならない。
でも、急ぎたくない。
自分の好きな仕事を、自分のペースでやるために、安定した大学教授のポジションをわざわざ捨てたんだもの。今までと同じようにあくせくしていたんじゃ意味がない。
いくら児童精神科医が足りないといったって、始めからたくさんの患者さんが押し寄せるわけではないだろう。ゆっくり自分の城を築いてゆけばよい。その中で、患者さんもだんだん増えてくれればいいんだ。経営だって、ウェブサイトだって、収入だって、始めから完璧を目指す必要はない。ゆっくりやろう!

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リカさん、今回はお目にかかれず残念でした。
でも、今、どうしても会いたいという必然性はないんですよ。
2年前は、会わずにはいられない必然性があったけど。

リカさんは、私にとって大切な人というよりもなんですよ。
ボクにとっての道しるべ=Milestone
優子と付き合い始めた頃、まだ結婚話が出る前だったかな、最初に紹介してくれた優子の親友がリカさんでしたね。新宿東口のカレー屋さんで初めてお会いしたのを覚えています。
その後、優子はしょっちゅう連絡していたと思うけど、僕は時々お会いするくらい。
結婚式に来てくれて、スピーチをしてくれましたね。
新居にも訪ねてきてくれました。
九州に引っ越された後も、赤ちゃんだった子どもたちを座敷の隅に寝かせて、美味しい九州のお魚を頂きました。
優子を亡くした時も九州から飛んできてくれて、お葬式には心のこもった弔辞の言葉を頂きました。
その2ヶ月後、どうすることもできずに日帰りで九州へ飛び、大宰府に向かう車の中から涙があふれ出し収拾がつかなくなりました。

それから2年が経過して、また会いたくなったんです。
次のturning pointに来ているからかもしれない。
今までの仕事を捨て、新しい仕事に向かおうとしています。
今までの愛着を捨て、新たな愛着に向かうことができるのか、まだよくわかりません。
オリエンテーリングのチェックポイントみたいに、あちこちさまよいながら道を見つけようとしている途中経過で、地図にチェックを入れてもらい、後から振り返られるように。

日常生活は共有していないけど、優子にとって(私にとっても)大切だったリカさんとの間欠的な思い出を寄せ集めて繋げると、優子とともに歩んできたボクの軌跡が地図のように見えてくるんですよ。ふだんは地図なんか見ている余裕はないけど、時々、立ち止り、地図を広げて、全体のオリエンテーションをつけるんです。ああ、オレは地図上のここにいるんだな。この先の目的地は見えないけど、今まで歩んできた道はこんな風だったんだ。ずいぶんと、紆余曲折があったもんだ。でも、足を踏み外して稜線から落ちたわけではない。大切な同行者はひとり滑落して谷底に(天国に)消えて行ったけど、残りのパーティーは、ちゃんと前に進んでいるよ。

オレの心の震災から2年あまりが経過した。
壊滅的に被災しても、大切なものを失っても、支援があれば復興できるんですよ。そんなこと、被災した時は信じられなかったけど、そういうもんなんです。被災地の方々、焦らなくてもいいから、ゆっくり落ち着いて、使える資源を最大限に利用して、復興の道を歩んでください。

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