Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Thursday, August 19, 2010

沖縄2 <民謡酒場にて>

「元気だった母親が急に亡くなるなんて、子どもたちにとって、絶対考えられないほどのすごい出来事だったと思うの。それなのに、去年、お手伝いにおじゃました時、子どもたち3人とも健気に普通にしてたじゃない。おかしくなっちゃうとかじゃなくて、普通にしているのが考えられなかったの。」
泡盛も手伝い、しながら仲間のママさんが去年の気持ちを語ってくれた。

ありがとう。
そうなんですよね。僕もあのときは自分自身に精いっぱいで、子どもたちがどうなるか、それに対してどうすればよいかなんて考える余裕は全然なかったですよ。でも、幸い子どもたちは意外と平気だったですよね。僕もびっくりした。むしろ僕の方が全然ダメだったもの。

今から振り返るafter thoughts。
大人は、過去・今・未来の連続した流れの中で自分の存在・安定性を確保しているんじゃないかな。それが急に途切れたときのショックは大きく、悲しみは深いですよ。
それに比べると、子どもは、に生きているみたい。母親が亡くなった時、彼らはそれなりの反応を示したんですよ。祐馬は母の死を知らせたとき号泣し、じんは自宅に安置された冷たい母の顔に頬を押しつけ、「ねえ、はやく生き返ってよう!」と号泣した。ちゅけは、、、少なくとも僕には見せていない。でもその後は、悲しみを振り返ることもなく、あっけらかんとしている。ずっと僕の方が引きずってますね。
大きな喪失・悲しみを体験しても、その後、周りの人たちが支えてくれて、残った家族がバランスを崩さなければ、彼らは健やかに生きていけるみたい。逆に、喪失と悲しみのために、彼らの生きる生活が混乱したら、子どもたちもきっと混乱するんでしょうね。
そして、子どもから大人になっていく思春期に、今までバラバラだった過去の記憶と今の自分を結びつけ、未来へ向けた安定した自我像をつくっていくのでしょう。その時、近しい他者から愛され、受け入れられた過去の記憶がとても大切な肥しになると思います。

のんきなこと言ってられない、ちゅけと祐馬は、まさにその時期なんだよな。

No comments:

Post a Comment