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Tuesday, April 17, 2018

ヒマになっちゃった

なんか時間が余っちゃうんだよね。
余裕が出来たといえば聞こえは良いが、人生もう終わっちゃったんじゃないかってね。

去年の今頃は、ばあちゃんの世話で大変だったよ。どんどん知性と生命力を失っていくばあちゃんを病院に連れて行って、ケアマネさんと相談して、デイケアから老健施設に入れて、毎日面会に行って、肺炎になって、大学病院に移して、そのまま見送ったのが半年前だった。

その前の年はじいちゃんだったよ。在宅ホスピスを整えてあげて、無事に天国に帰って行った。

去年までは、おちおち海外旅行もスキーも行けなかった。無理に行って家を空けたら誰かから文句が入っていた。優子が生きていたときは、いつも文句言われてた。

それが、今年はスキーに行き放題。だれも文句を言う人がいない。毎週末に行って、今シーズンは合計30日くらいになるだろう。そんなこと、僕の人生になかったよ。いつもそうしたかったけど、やっとそれが叶ったかって。この文章だって富山で書いている。明日は室堂に入り、立山BCだもんね!!

仕事だって全然忙しくない。
大学教授時代はとても忙しかった。
開業してからは自分のペースで、自分のやりたい仕事だけをやる。
べつに、事業を拡大したいなんて思ってはいない。

子どもたちも巣立っちゃった。
てか、まだ完全には巣立っていないけど、手間ヒマはかからない。息子二人は同居しているが、ちゅけはもう社会人。じんは毎晩、深夜までバイト。一緒に夕飯を食ことさえまれだし。息子たちとは気持ちさえ巣立って行った。
祐馬とが一番気持ちが繋がり、LINEでしょっちゅう連絡してくるけど、なんせ南半球にいるからねえ。

20数年前、子どもたちが生まれてからは、子育てに必死だったよ。ちゃんと子どもたちを育てる責任があるってね。優子がいる時は二人であーだこーだと喧嘩しながら。優子がいなくなってからはシングル・ファーザーとして責任重大だったよ。

優子と知り合い結婚するまでも必死だった。
優子以外にも何人かいたけどね。この人にしようかな、この人でいいのかなぁ。
パートナーをゲットするために必死だった。

勉強だって必死だったよ。中学・高校・大学、さらには大学院に留学。一生懸命勉強して、学歴つけて、良い仕事に就いて、、、まあ僕の場合、満足できる仕事に就けたから良かったけど、そこに至るまではやたら長かったなあ。アメリカから始まって、ロンドンまで行っちゃって。まあ、それも楽しかったけどね。必死だったよ。
いま、同じことを娘と姪がやっている。ふたりとも女子だな。

、、、てな人生を今までずっと送ってきた。
もの心ついた子ども時代から、つい半年前まで、一生懸命に生きてきたんだよ。

人にはやらなくちゃいけないことがある。
  1. 成長して、自立して、自分の力で生きていけること。そのための学校であり、しごとであり。
  2. 家族を作り、子どもを育て、自立させること。(このふたつができないのがひきこもりだからねえ。そりゃあ本人にとっても、家族にとっても深刻だよ)
  3. 弱っていく親を見守り、無事に人生を終えること。無から有を作るのが子育て(up bringing)だとすれば、有から無へ還元するのが親の見送り(down bringing)っていうのかね。これはアジアの家族主義に規定された責任なんだ。欧米では家族ではなく社会がその責任を果たすことになっている。
と考えると、これ全部済ませちゃったんだ。
  1. 仕事も安定しちゃってるからねぇ。開業の営業戦略的にはもっと宣伝して、本を書いて、顧客を増やして、収入を増やして、ということもありうるけど、別に必死にやらなくても良いでしょ。そんなにお金持ちになりたいとは思わないし、子どもの教育費を終えればそんなに金を使うこともない。豪華客船で世界一周しなくたって、海外にはしょっちゅう行っているし。トランプのフロリダ別荘みたいじゃないけど、草津には小さなのがあるし、十分でしょ。
  2. 子どもたち三人とも、もう成長の仕上げ段階。親として心配したり手をかけたりしたら、彼らの自立力を妨げてしまうからやることないんだ。多少の金と安心だけを用意しておけば良い。多少の責任は残っているけど、たいした責任じゃない。
  3. これがこの2年間で一気に済ませたのが大きいね。両親を喪失した悲しみはない。むしろ無事に終えた安堵感が大きい。
もちろん、まだやりたいこと、やりがいがあることはたくさんあるよ。
スキーだって自転車だって、熱中しているとすごい快感が襲ってくる。脳内エンドルフィンが出ているのかね。
子どもたちの成長する姿を見るのは楽しい(うまくいっていればの話だけど)。孫の顔を見れるかな?

家族以外の、社会の人々にも貢献できるよ。(1)と(2)が達成できず「不幸」な人は世の中にいっぱいいる。ぼくはそういう人たちの力になれる。技を持っている。人の幸せは自分の幸せになる。他者を少しでも幸せに近づけることが、僕自身の幸せに繋がる。
これからも僕が活躍するスペースはたくさんあるんだ。開業して、自分の根城を作っちゃったからね。定年もなく、体力と気力が続く限り人のために存在できるよ。

自分一人だけで、「幸せ」というのはありえない。美味しいものを食べれば幸せだけど、人と食べた方がもっと幸せだ。関係性の中で幸せは(不幸も)生まれる。

だから、まだやることはいっぱいある。生きがいはたくさん作れるんだ。生き続ける意味は十分にある。でも、それはオプションなんだ。それをしなければならない「責任」はない。(1), (2), (3)は僕の責任だった。家族を作った以上は。

これからは自由になる。
やらなくたって許される。やればもっと喜ばれるし、僕自身もうれしい。それは必要条件ではなく、十分条件なんだ。
だから、今までみたいに必死こいてやらなくてもいい。焦らなくても、ゆっくりやればいいんだ。

あっ、いけね。。。。もうひとつ大切なことを忘れていた、、、

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