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Wednesday, May 23, 2018

自由(自分でいる喜び)vs.献身(他者に必要とされる喜び)

「献身」と訳すとしっくりこないな。
Freedom vs. Commitment.

このふたつの間を行ったり来たりしている。
優子を選んだのは僕の自由意志だった。
家族を作り、commitした。家族のために献身(?)したのかな。父親役割・夫役割を必要とされることで自分が成り立ってきた。
そしたら、自由を欲しくなる。ゴルフに行ったり、スキーに行ったり、ひとりになりたい!ってね。
やっと「ひとり」になれた。
そしたら、人を求める。
いったい、どっちが欲しいのか?

Freedom vs. Commitmentという対立構造で考えたらうまく説明できないんだ。
両方とも欲しいのだと思う。
僕にとってのCommitmentは説明しやすい。
家族人(父親・夫・息子)として必要とされる喜び。
社会人(精神科医・教授・地域の人?)として必要とされる喜び。
そこに自分の存在価値(生きていることに意味があるんだよ)が生まれる。

僕にとってのFreedomって何?
自分の思いどおりになること。自分で自分の行動を選択できること。
じゃあ、思いどおりになって、何をしたいの?
〇美味しいものを食べる。
〇スキーや登山や自転車に行く。
〇旅行や海外に行く。
〇友だちと出会ったり、飲みに行ったり。
→美味しいものをひとりで食べても美味しいって言えないじゃん。「美味しいね」と言える相手がいて美味しくなるんでしょ。
→スキーや登山。大自然の中で自分の立ち位置を確認できる。mother natureとの一体感を味わえる。Backcountry Skiはホント自由だよね。大自然の中を自由に滑れる。危険だからひとりじゃ行かないけど。夏山なら仲間と行くより単独行が良い。テント場ではひとりでメシ食っても旨いかな。自転車は、ひとりでしまなみ海道やふだんの通勤チャリしても、それなりに楽しい。自分の身体と向き合えるからね。でも、イベントに参加した方が楽しいかな。別に誰かと一緒に走るわけでもないけど、周りにおんなじような人がいて、時には「がんばれ」と声を掛け合ったりする距離感が面白いかな。エイドステーションで地元のね~ちゃんから食べ物をもらうのも楽しいし。
→旅行や海外にひとりで行ったってつまらないし。一緒に行く人が欲しいし。
→友だちという意味では、一番わかりやすいのは、学会のinternational consultation groupやMen's InstituteやMKP groupだったり。そこでは、自分の内面を出し、理解し、受け止めてもらう体験。それが自分のliberationに繋がるんだ。否定されることがないというのが大切だね。

個 vs. 関係性
ということ?
自分でありたい。自由でありたい。
でも、結局自分で何をしたいかというと、関係性の中の自分を成就したいわけでしょ。
自分で自由に関係性を選べるということ?
ひとつの関係性にイヤになっちゃったら、別の関係性を選ぶってこと?
本当に安心できる関係性って、裏切られない関係性。
個を犠牲にして、関係性にcommitするっていうこと?
両者はバッティングするの?
両方を同時にうまく成就できないの?
個を求めるためにひとりっきりだと孤独でしょう。
自分の意思で、自分の求める関係性を成就できることでしょ。
自分の求める関係性とは?
自己を展開して(ありのままの自分を出して)、それをスルーせずにちゃんと受け止めてくれる他者がいること。無視しちゃいけない。否定もしない。
かといって、無条件の肯定とかいって、そのまま傷つけずにまるごと受け止めるのではなく、ちゃんと突っ込み、鎧を脱がせて、素の自分を出したうえで、それを受け止める。
だからかなり葛藤するんだよね。
葛藤を通り越した先にある真の安心感。Secure Attachmentだ。
優子との関係がそうだった。
でも、生きている時はそうは感じなかった。ずっとひっついていると、お互いを縛り合うことになってしまうのかね。離れているからこそ、真の親密性は成就できるのか?
International Consultation GroupやMen's Groupはairplane intimacy。日常生活はcommitせず、たまに会うからこそ真に向き合えるのか。
祐馬がそうだ。パパと一緒にいるのは4日が限度だそうだから。でも、時間限定でも(時間限定だからこそ)貴重な愛着だ。
子どもたちが小さい時はそうはいかない。常時一緒にいて守らねばならない。

夫婦は、安心のcontextが生まれれば、常時ひっついている必要はない。Insecureだと引っ付いて(clinging)いなければならない。それは束縛でしょ。
力の差によるcomplementary(相補的)な関係性だと、一方が成就し、もう一方は犠牲になる。Win/Winの関係にならねばいけない。その調整は難しいね。

スルーせず、ちゃんと向き合い、葛藤しても、相手を受け止められる。
そういう関係性が安心を生む。
それが家族だし、クライエントとの関係性であるべきだし、
僕が求めているFreedomと Commitmentの両立なのかなぁ。
どうやって、安心の文脈contextを作っていくか。
よくわかんなくなってきたから、とりあえずここでやめよう。

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