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Friday, February 3, 2012

3年1ヶ月

いつまで月命日を数えてるんだ!?

今日は、仕事関係のお葬式に参列した。
昔、お世話になったじゃん!?
なのに、その時の仲間はほとんど来ていない。そんなものかよ!?
まあ、平日の昼間なら仕方がないか。俺はたまたま都合をつけられたけど。
こんな程度なの?結構活躍した人なのに。
78歳なら、悲しくても、それほど痛くはない?
18歳は、親が愛した身体の一部が引きちぎられる痛みだ。
45歳だったらどうなの?

なんか、一度喪主席に座ったからって、葬式のプロみたいな顔をして、評論家気取りだね。

夫にとって、カップリングした身体の一部を喪失した痛みだってことは、くどいほど繰り返してきた。
子どもたちにとっても身体の一部だったはずだ。彼らにとって、母親を亡くすとはどういう体験だったんだろう?

セオリーからいけば、乳幼児期に親からの無条件の愛と承認によって、この世が安全だ、生きていてOKだという基本的信頼感を与えられる。その対象がいなくなっちゃうって、愛着障害attachment disorderなの?
学童期から思春期へ。他者と出会い、傷つき、それを修復してゆく経験によって自信を獲得していく。それと共に、自然に親を必要としなくなり、親を乗り越え、親を捨てさる。古い角質化した皮膚が自然と剥がれ落ちるように、子どもの成長のペースの中で親は自然に剥がれ落ちていく。子どもの準備が整っていないうちに急に居なくなってはいけない。

子どもたちの痛みはどうだったんだろう?
そして、今はどれほど回復しているんだろう?
少なくとも、表面的には元気だよね。
身体的、心理的にはOKだ。前向きに頑張っている。
でも、心の内面まではわからない。
娘は、まだわかりやすい。感情をストレートに表現してくれるから。
息子たちはぜんぜんわからない。おまえらどうなんだ?
小4で母を失ったじんは、いまだに自分のベッドを使わず、祖父母の畳の部屋で寝ている。じじばばがattachment figuresなの?それとも、じじばばのことを気遣ってるの?
ゲームしかやらなかったあいつが、最近急に村上春樹を読み始めた。海辺のカフカ1Q84
じん、どこが面白いの?
うーん、感情の表現とか、想像するのが面白いんだ。
感情が途切れないから飽きないんだ。

あいつ、村上春樹ばっかりじゃん。
僕は全然わからなかったけど。

おまえらが9歳、12歳、14歳だったからなあ。
思春期の成長プロセスで、親は絶対的な存在から相対的な存在へと、自然と矮小化していく。傷つき、幼児的万能感(自己愛)の世界から、人と折り合う世界へ引きずりおろされ、社会性を獲得していく。外傷体験のタイミングが早すぎると愛着障害を残し、適当だと自立への拍車となる。遅すぎるとひきこもりになる。

ちゅけは既に自立へのプロセスが始まっていたよな。
祐馬は、ママの死によって大人への扉がバタンと開いた感じかな。びっくりしたけど、それなりに付いていけているよな。
じんがどうなのかわからない。まだ子どもの世界にいて、自立は始まっていなかったよな。この3年間、ずっとその調子かと思っていたけど、ホント(内面)はそうでもなかったの?成長してるの?

母親の喪失を、肯定的な傷と捉えていいのだろうか?
そう見えるだけで、ホントはまだ閉ざされた傷を内面に抱えてるの?
傷が悪いわけじゃあない。むしろ良いこと(のはず)なんだ。
それが見えないから心配しているだけで、ホントは心配してないから。
村上春樹の青春三部作でも読もうかな。五木寛之は青春の頃読んだけど。

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