Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Tuesday, February 7, 2012

続エンディングノート

ドキュメンタリー映画だとは聴いていましたが、実在の方が癌になられ、痩せてやつれて最後は家族に見守られながら亡くなっていくところまで、あんなに現実をシビアに映画化したものだとは思ってなかったです。病とはこんなにも人に待つ時間を与えることなく強引に死に引きずり込む」ものなのかということを目の当たりにし、現実をしっかり見せられた気がします。


私はこの三年間、二人称の死にずいぶん向き合ってきましたが、それ以前から一人称の死についてもそれなりに向き合ってきたつもりです。いつそれが近づいてくるか一抹の不安はありながらも、まだ「遠い先」とのんびり構えています。優子のようにポックリいく手もありますが、いつか近づいてくるのでしょう。
いろいろな悲しみや不安に「向き合う」ことを良しとして支援してきたつもりですけど、一人称の死と向き合うのはとりわけ辛いですね。でもその辛さを受け止めていると、限られた生の時間の意味にも必然的に向き合えるように思います。
この気持ちの辛さはどうしようもなく、唯一緩和できるのはその気持ちをを受け止めてくれる親密な人との交流でしょうか。映画の中で、子どもたちを病室から追い出し、夫婦で交わされた会話のシーンが一番印象に残っています。もっとも、ビデオカメラを残して盗撮された場面の上映を許可したお母さんの太っ腹もたいしたものだと思いますが。
精神科医のトレーニングの中で、自分の気持ちと向き合う術を学び、それを臨床でも生かしてきました。若い頃思春期を専門にしていたある先輩は、晩年ターミナルの心のケアをやっていました。人生の第4コーナーはゴールが見えてきて、今までを振り返ることができるチャンスですね。私も今後、そちらの方面に興味をシフトしていこうかとも考えています。

先生とこんな話ができるのは、私にとって貴重なことです。


私も同じ、最後の夫婦の会話が一番こころに染みました。Tikiさんはこのような時間がなかったのでより辛い時を過ごされたと思います。私も今からもう一度関係を大切にしながら過ごそうと思っています。


そうですね。最後の会話を残す間もなく、素早く逝っちゃいましたから。
しかたなく、あれが最後の会話だったんじゃないかと自分で創り出して、自分の気持ちの整理をつけてきたと思います。
最後となったふたりの韓国旅行。
亡くなるまえの月に突然優子が「Tikiと一緒になってホント良かったのよ。」と言ったこと。
ブログのどこかに書いたけど、今その場所が見つからない。


自分の死と向き合うってそういうことなのかもしれませんね。
最後に、伝えたい言葉は何?
誰に伝えたいの?
それは、あなたの人生にとってどれほど大切だったの?
大切な人との関係性の中で、自分の人生に意味を見出して、closureにもってゆけるのかな。


ということは、次の瞬間大津波が押し寄せるか人工衛星が落ちてきて、これが最後の会話になるかもしれないと思えば、大切なはずの人をホントに大切にできるのかもしれませんね。
まだ先があると思うから、戦略上、本音は見せられないもの。
見せてしまったら、自分の立場が弱くなりますからね。

No comments:

Post a Comment