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Saturday, February 13, 2010

糸まきまき

奥さまの件、あまりにも突然で、頂いたお葉書を何度読み返しても、しばらくは意味がわかりませんでした。ご家族の皆様には尚更のことだったろうと拝察いたします。


優子さんとは5~6年、机を並べておりました。優子さんは、職場ではクールな女性という印象でした。そう思っていたのは、たぶん私だけではなかったようです。ある時、後輩が、
「優子さんって、よく童謡歌ってらっしゃいますよね」
と言うと、そばにいた上司が、「あらほんとう?意外ねえ」と私を見やるので、
「ええ『糸まきまき』とかよく聞こえてきます」
とお答えしました。あれは、優子さんが一人目のお子さんの時だったでしょうか。優子さんが二人目のお嬢さんを授かった時、私も長女を出産し、産休後出社すると、優子さんが
「赤ちゃんを置いて働くのって、後ろ髪引かれない?私、なんか自分の肉の固まりをもぎ取られるような感じがするの」
と言うのでびっくりしました。私は忙しすぎて、そう感じる暇がなかったのかしら。しばらくして、私は退社したのですが、その折には、
「女の人って、なまじ選択肢がいくつもある分、悩んじゃうよね。私、あなたがうらやましいような気もするし、仕事も捨てられない気もするし」
とコメント。優子さんはそんなこと一顧だにしないタイプかと思っていたので、この時もまた驚かされたと同時に親近感を抱いたものです。


心温まるお手紙、ありがとうございます。
一周忌を済ませ、少しずつ心の中の優子も薄らいできているように思います。優子を悼む気持ちで集まってきてくれた人たちも、我々が落ち着いてきていることを確認しながらだんだんと離れていく中、お手紙は再び優子を想い出す機会を与えてくれました。

あなたがお持ちの優子のイメージは、私のそれと重なる部分も多々あります。しかし優子は、職場と家庭で、異なる側面を見せていたようです(だれでもそうだと思いますが)。優子は「クールな女性」という雰囲気を家族には見せませんでした。確かに、人なつっこく、誰にでも自分から近づいていくというタイプではありません。しかし、「来る人は拒まず」的に、自分が選んだ(選ばれた?)少数の人とはとても親しくしていたようです。

私は、妻が家庭だけではなく外の世界にも繋がっていてほしいと考えていました。それを優子が斟酌していたかどうかわかりませんが、彼女の心中に「仕事を辞めて家事・育児に専念する」という選択肢はなかったように思います。子どもが幼く世話が大変な時期は短縮勤務でしのいでいました。でも、優子は自分の選んだ道を確信するわけでもなく、いつも迷っていたようです。朝、ドタバタと幼い子どもたちと自分の準備をして急いで保育園に送り届け、そのまま職場に向います。子どもたちが親とすぐ別れてくれる時もあれば、ママに抱きつき、なかなか離してくれない時もありました。保母さんに助けてもらいながら、「あ~くしゅ~でバイバイバイ!」と歌で調子をつけ、手を思いっきり振りながら別れたりしていました。特に、長男を0歳からあずけ始めた新米ママの頃、
「こんな小さな子を人に預けて仕事をするなんて、私は悪い母親だ!」
と、最初の1ヶ月は毎晩泣いていました。

その後、娘と次男も同じ保育園に預け、お母さん仲間ができ、先生たちとも親しくなる中で、ゆっくり気持ちを割り切っていったのだと思います。残念ながら、父親である私には身体で感じるような子どもへの愛着はそこまで強くありませんでした。職場で母乳を冷凍パックして持ち帰り、翌朝保育園に届けていました。優子は職場でも、身体に感じる子どもたちに話しかけていたのでしょう。
優子は感情をストレートに表さず、クールにふるまっていても、内面ではさまざまな気持ちを抱え込んでいたのでしょう。私はどちらかというとその逆のタイプなので、このような優子の心の機微を見過ごしていたのかもしれません。

子どもたちは、現在高1、中1、小5です。母親という肉の塊から分かれてきた彼らが、優子が子どもに向けて抱いていたような喪失感を、今どれほど抱いているのか、身近にいる私でもよくわかりません。幸い多くの人たちの助けで生活自体は今までと変わらず成り立っていますし、一見元気に学校に通っています。しかし、これからも注意深く見守らなければ。心の底の悲しみを受け入れられるようになるのは、もう少し大きくなってからなのかもしれません。

一方、仕事がら人の心に接することの多い私は、必死に自分の喪失感に向き合おうとしています。母親と子どもはひとつだった塊から分かれてゆきますが、夫婦はもともと別だったふたつの塊を、愛情という絆を頼りに繋ぎ合わせてきました。今まで、それは自明のこととしてあえて意図しませんでしたが、突然パートナーをもぎ取られた痛みを体験し、初めてそのことの意味の深さに気づきました。

一年経っても悲しみは変わりませんが、このように何度も繰り返し優子を語る中で、徐々に気持ちを放してゆけるのではないかと思います。あとは時間に期待するしかありません。

長々と失礼いたしました。お返事を書く機会を与えて頂き、ありがとうございます。

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