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Monday, February 1, 2016

母親の物語(生きがい)

なんか、おばあちゃんが急に可愛くなっちゃったよ。
可愛く、というのも変な表現だけど、すごく落ち着いたというか、素直になった。
私はよく出かけるように週末2日ほど家を空けたんだ。
じいちゃんがいたころは、私が出かけるとすごく嫌がって、不安になっていた。
でも、今回は全然反応が違うんだ。ぜんぜん心配していない。
じいちゃんがいなくなったら、心配する必要がなくなったんだ。ということは、今までもばあちゃんは自分のことを心配していたんじゃなかった。じいちゃんに何かあった時、自分一人じゃ対応できないから息子にいてほしい、息子がいないと困る、という心配だったんだ。
今の穏やかな姿を見ると、今までは必死に戦っていたように見える。じいちゃんや家族のことを心配し、家庭介護でたくさんの人たちが来たら神経を使ってヘトヘトになって、がんばってきたよね。
今は全然がんばっていない。力が抜けて、人の心配や気を遣うこともない。
気が抜けちゃって、落ち込んでいるように見えないこともないけど、なんか違うように思う。あまりメソメソ泣いたりもしないし、おじいちゃんのことを思い出して語ったりということもあまりしない。まだ初期ショック状態で、これからそうなるかもということはあり得るけれど、今のところ、とっても楽なように見える。
今晩も、夕食を一緒に誘ったんだ。初めは遠慮して「自分ひとりで作るから」と言う。「でもせっかくおばあちゃんの分も作ったから」と勧めれば、それ以上自分を主張することもせず素直に従う。ばあちゃんの好物のお魚を出したら、美味しい、美味しいと子どものようによく食べる。食欲もちゃんとあるよ。
この前は、ラザニア、ちょっとばあちゃんの口には合わないかなと思ったんだけど、それも美味しい、美味しいと食べていた。
ばあちゃんはずっと家族の中で生きてきた。儒教の三従の教えのとおり、子ども時代は父親には従い、結婚して夫に従い、これからは息子に従う準備も、すっかり出来ているように振る舞っている。

おばあちゃんの生き甲斐って何だろう?
「生き甲斐」って、自分単体では生まれてこないんだ。
人がいて、その人にとって自分がいることに意味がある、いてくれて助かる、いてくれないと困る、、、
それは夫婦や親子の家族の中でも、仕事とか社会の中とか色々あるけどどっちでもいいから。
ばあちゃんは生き甲斐が何かとか考えたり、生きがいを求めたりってしたことないんじゃないかな。なぜならばあちゃんにとって自分から求めるものではなく、まわりから与えられるものを受け取るだけだから。そんなこといちいち考える意味がないんだ。
じいちゃんは退職してからも囲碁、和歌、書道、パソコン、キーボード、いろんなことやってたでしょ。百科辞典とか園芸とか世界旅行とか訳のわからんシリーズ物のビデオ買っていた。じいちゃんは生きていくために生き甲斐が必要だったんだ。夫や父親という家族の一員として、そして職業を通じて社会の一員として、どうやったら生きてる意味があるのかって常に考えていた。多くの男性は社会生活が中心だけど、じいちゃんは家族生活もよく考えてくれていたよ。
ばあちゃんはじいちゃんに付き合って囲碁とか短歌とかやってたけど、別に自分からやりたくてというわけではなく、じいちゃんがやるなら自分も楽しもうか程度。まあ二人でやれば共通の話題や知人もできるから、そっちのほうが楽しくてやってるみたいな感じかな。多分じいちゃんがいなくなったから、囲碁も和歌も特にしなくてやめちゃうんじゃないかな。
ばあちゃんは生き甲斐とかを敢えて求めなくても、これからもひとりで普通に生きていけるんじゃないかな。ただ起きて、ご飯たべて、お風呂入って、それでいいじゃん。
こんな風に書くとなんかばあちゃんをバカにしてるように聞こえるけど、そうじゃなくて。

「生き甲斐」とか「自己実現」とかって単体としての生き方を前提とした個人主義が背景にあるんだ。
パパもじいちゃんもそういう考え方に取り込まれている。それが近代知性のあり方でもあるからね。
家族の中で一生を過ごしてきたばあちゃんにとって、自己実現とかが似合わない。そんなものは見いだすものでもなく、自然にしてれば十分、それで楽しいじゃんという感じかな。じいちゃんが一生懸命自分のことを書いたり、パパとじいちゃんが往復書簡したり、じいちゃんに元気になってもらおうと孫たちを集めても、ばあちゃんとってはそんなの意味がないんだ。じいちゃんやたけしがやりたければ勝手にやればっていう感じ。

人生は単体として成り立つのではなく関係性の中で成り立つ。ばあちゃんの生き方はまさにそれだ。どうしたら自分が楽しいか、嬉しいかということではなく、どうしたらみんなが楽しいか、嬉しいか。みんなが幸せなら、それが自分の幸せなんだ。ばあちゃんは与えられた家族の中でずっと生きてきた。社会がどうの、世の中がどうのということはあまり関係ない。
考えてみたら、それもすごく幸せな生き方だよね。

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