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Saturday, February 6, 2016

母親の物語(おばあちゃん語録)

「『老いては子に従えだねぇ。」
昼間におばちゃん(娘)が来て、いろいろアドバイスしてくれたんだって。
部屋の中の整理はこうしたらいいよとか、
親戚への連絡はああしたらいいよとか。
おばあちゃんは、それを素直に聴いて、ありがたがっているんだ。
ばあちゃんは認知は全然はいっていないからね。ものごとはちゃんと理解している。だけど、判断の自信がぜんぜんなくなっちゃったんだ。道理ではこうすればいいというのは当然わかるんだけど、ホントにそれでいいのかってのはぜんぜんわからない。だから、おばちゃんやパパが言うことに全部すなおに従うんだ。

「今晩はおばあちゃんはひとりで食べるからね。」
じいちゃんの死後、パパが何度か上で一緒に食べようと誘ったからね。すると、素直に「ありがとう」と言うんだけど、ホントは自分で食べたいみたい。
パパが朝にばあちゃんの所に行くと、パパから「上で食べよう」と誘う前に先手を打って、「ひとりで食べるよ」って宣言してるんだ。
おばあちゃんは、プライドはあるんだ。自分でできることは自分でやりたい。
ちょうど3-4歳の子どもが、今まで自分でできなかったことが出来るようになると、「自分でやる!」って主張するでしょ。それと同じ感じ。
おばあちゃんの場合は、今まで自分でできていたことがだんだん出来なくなるんだけど、出来るうちは自分でやりたいんだよ。人に生かされているんじゃなくて、自分で生きたいんだ。
といったって、自分で料理するわけじゃなくて、コンビニ弁当とか買ってくるんだけどね。それでも良いみたい。でも、「じんの分も作ってよ」とかパパから頼めば、オリジナルで料理もできるんだよ。
だから、今後は「上で一緒に食べようよ」とおばあちゃんの自立性を奪うのではなく、「僕らの分も作ってよ。お刺身とか一品持ってくるから下で一緒に食べようか。」みたいな誘い方のほうが良いのかもしれない。

「喪失感が大きくてね。」
初めの一週間は、そんなこと言わなかったんだけど、最近言うようになってきた。
しばらくして落ち着いてから、そういう気持ちが出て来るんだ。
そりゃそうだよ。喪失感は大きいよ。60年近く一心同体で一緒にいたんだから。

「気持ちを和歌に書いたら?」ってパパが勧めたら、
「まだ、とてもできないよ。」
そうだよね。気持ちを書き出したり、表現するのも、ある程度、時間が経って落ち着かないとできないんだ。そういうのを出来るようになると、だいぶ楽になるんだけど。
おばあちゃんは、おばあちゃんのペースでゆっくり喪失の悲しみを消化していくしかないね。

それに比べてママの時、パパは超スピードだったよ。
こう言っちゃあ何だが、ばあちゃんよりパパの方が悲しみの量ははるかに大きかったはずなんだ。だって、年齢も若かったし(40代 vs. 80代)、オトコだからね(一般に女性の方が感情の耐性が強い)。だからパパの方が感情表出が難しくて出し始めるまでに時間がかかるはずだったんだけど、そこはパパもすごく焦っていてね。どうしようもなかったし、スキルとしてどうすればよいのかわかっていたから、初めっからたくさん書いて、たくさん泣いていたでしょ。
そういえば、お葬式以降、ばあちゃんの涙はあまり見てないな。

でも、ばあちゃんは一番仲の良い四国の妹へ手紙を時間をかけて書いているんだよ。
他のきょうだいには簡単に知らせるけど、この妹だけには長く書くんだって。ずっと下書きを書いて、パパやおばちゃんにこれで良いか見せて、また書き直して。
それが、ここ3−4日のおばあちゃんの日課なんだ。それしかやってない。
まあ、それで良いんだろうね。そうやっておばあちゃんは気持ちを書き出しているんだよ。

だから、パパが別のお手紙を書いてあげた。これを同封しなよって。パパは30分で書いちゃったけどね。
◯◯おじさん、◯◯おばさん
ご無沙汰しております。
 母の手紙のとおり、父は去る1月23日に自宅にて安らかに逝去いたしました。葬儀は無宗教で、妻、子、孫、父の妹たちのみでしめやかに済ませました。
 父が58歳の時に人間ドックでガンが見つかり左の腎臓を、11年後の69歳にすい臓・十二指腸・胆のうを切除しました。81歳で肺にも転移が見つかりましたが、もともと進行の遅いタイプであったため、抗がん治療は一切行いませんでした。発見されて以来、29年間ガンと共生しました。
 去年6月に手のしびれと痛みから、第四頸椎への転移が見つかりました。放射線治療により痛みは緩和され、近くの日赤病院外来通院と、週1回の在宅医療を併用して、自宅で療養しておりました。お正月までは比較的元気で、自由に歩き回ったり、食事もしていたのですが、正月7日に転んでしまいました。その拍子に頸椎が崩れ、右手の麻痺と両下肢の脱力のためにベッドに寝たきりになりました。以来、ホームヘルパー、医師、看護師、医療マッサージ、訪問入浴など、本格的な在宅緩和ケアを開始しましたが、その10日後の1月23日の朝に、何の前触れもなく穏やかに息を引き取りました。
 父の意識レベルは穏やかに低下していったものの、最後まで痛みや不快感もなく、自宅で家族に見守られながら、穏やかに天寿を全うすることができました。
 残された母は聴力が低下しているために電話の対応も来客の対応もできませんが、元気で静かに過ごしております。数日前から◯◯おばさんへの手紙を何度も書き直し、ゆっくり喪の作業を行っているように見受けられます。
 父の生前の希望で、父の死は家族以外には誰にも知らせておりません。母のきょうだいにも、母のペースでこれからゆっくり知らせることになろうかと思います。
 以上、息子からの補足でした。

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