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Wednesday, June 1, 2016

久々に読み返してみたら、、、

母が、父の遺品を整理していて「これ、Tikiのでしょ!」と渡してくれたのが、このブログの原稿。父が読みたくて、私がプリントアウトして渡したんだよ。ブログを始めてから半年分くらいなんだけど、A4のコピー用紙に100枚以上。随分と書いたもんだねえ。
読み返しても、まあよく書けたもんだ。すごいintensityだよね。我ながらびっくりしたよ。
もちろん、書いてある出来事も、その時、そういう心情だったということも覚えてはいる。でも、相当悲しかったんだねえ。。。その気持ちは主観的に呼び戻すことはできない。
Men's group (MKP)の仲間たちの助けも借りて、当時の悲しみの気持ちを蘇らせようとしたんだけど、残念ながらもうできない。悲しみのタオルがカラカラに乾いて、いくら絞りだそうとしても何も出てこない。
書いていた当時は絞らなくてもちょっと触れればポタポタ垂れてくるほど悲しみの水で溢れていたんでしょうね。今は、それがなくなっちゃった。これも、一つの喪失体験かね。当時の気持ちに戻ることができなくなっちゃった。

それは、残念なことじゃあないんだよ!、、、と仲間が指摘してくれた。
彼は優子のお葬式にも来てくれて、僕のmourning processにずっと付き合ってくれていた。つまり、Tikiは悲哀の仕事をうまくこなしたってことだよ。
確かにそうなんだよね。もうあの当時の悲しみの世界には戻れない。それは良いことなんだ。

そろそろ、このブログを本にまとめてみたらどうだろう?
世の中にはこの種の、家族喪失の体験本がたくさん出ているからね。優子を失った直後は読む気がしなかったけど、しばらくしてから随分読んだ。今は、もう読む気しないけど。ってことは、こういう本を必要としている人は常にいるわけで。
中には、喪のプロセスの現在進行形で書かれた本も結構あった。要するに、僕のブログがまだ熱い頃に出版されたような本で、ああ、こうやって本を出すことで喪の仕事を進めているんだなってのがよくわかる。
僕の場合は、もうその時期は過ぎてしまった。悲しみのタオルが乾いてしまっているから、そういう意味では本を出す必要性もないんだけど。
むしろ、乾いた立場、そして喪の仕事を支援する心の専門家の立場から、僕のmourning processを客観的に解説するみたいな二重構造で書けば面白いんじゃないかってね。そうすれば、僕自身の当事者としての心の姿と、支援者としての姿の両方を見せられるから、営業的にもなりたつんだ。僕自身のニーズというよりは、そっちのニーズから書こうということなんだ。

でも、その前に、一向に進まない本の原稿があるから、まずそっちを仕上げなくちゃダメでしょ。そっちを早々に仕上げて、こっちの方は今が優子喪失7年目で、べつにもう少し後でも、タオルの乾き具合はもう変わんないのだから、待っても構わないでしょ。

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