優子を失って心にぽっかり空いた大きな穴を、一生懸命埋め合わせようとしてきた。
たとえば、人たちとのつながり。
それはそれで良いのだけど、その一方で、穴は穴。ぽっかり空いていることを恐れず、空けたままでもいいんじゃないか。それも、人生を深く味会うためにあっても良いんじゃないかと思うようになった。
悲しく、辛い。こんな気持ち、味わいたくない。でも、それって、人生でしょ。
本来、人生って辛く、悲しいじゃない!人は皆、それを視界から外すためにいろいろ努力して、幸せをつかもうとやっきになっている。
優子を失ったからといって、僕は不幸になったわけじゃありませんよ。優子がいなくたって、幸せに繋げるネタはある。子どもたち、そして仕事(社会の中の役割)、友人たち、家族(親と妹)。でも、そうやって取り繕っても、本当は人生はかないんですよ。
二人称の死は、一人称の死:自己の生命の儚さ、死を想い出させてくれる。
そりゃあ辛く、悲しいよ。でも、優子の死を乗り越えられたんだから、自己の死の恐怖も乗り越えられるんじゃない、なんて自分のことを考えられるようになった。今までは避けていたことを、ここまで深めることはあまりなかった。
大きな穴を埋め合わせようとする試みは、悪くはない。それと同時に、方向としては逆だが、心の穴を埋めず、そのまま悲しみ・孤独を残しておきたい。それは、自分の心の深層へ降りてゆくことができるpathwayでもある。
可能性としては、もっと直接的に穴を埋めちゃうことだってできるはずだ。この一年余り、僕の主観の中にいた優子という存在を見つめ、吐き出してきた。その結果、かなり彼女を相対化できつつあると思う(ホントかな?)。
そう、優子はこの20年あまり、僕の存在の一部だった。でも、僕は僕。優子は優子。たったひとりの人間じゃん!人間なんて、何億人もいる。その中で、とてもattractiveで、素敵な人だった。でも、優子だけが素敵なわけじゃない。この世界には、素敵な人がたくさんいる。別に優子と比べてどうのこうの比較する必要なない。
なぜ、優子が素敵だったかと言うと、それは僕の主観的な世界の中に唯一、ひとりだけ入れ込んだから。受精卵みたいに。卵子は、一つの精子を受け入れ受精したとたん、まわりにバリアを張り、他の精子の侵入を拒む。優子と僕は、お互いにcouplingしたために、他の親密性の可能性を閉ざした。
ひとりだけ、僕の内部に包み込んだのが優子だったからね。その喪失は耐えがたいんだ。
でも、優子は突然、勝手に消滅しちゃったから、僕の心の中の特等席は空席になった。この一年あまりは、今まで20年間座っていた優子が下に落とした食べ残しを掃除していたからお待ちいただいたけど、もうそろそろOKだよ。優子が座っていた温もりも冷め、食器も片付けてテーブルも拭いたから、どうぞ次の人、座ってください。
もしかしたら優子よりもっと素敵な人が来るかもしれない。そしたらすごいじゃん!天国の優子が嫉妬するよ。でも、優子には気兼ねしないからね。優子は勝手にあっちに行っちゃって、僕から離れたんだろ?僕は僕で、自分の人生を、優子がいないところで再構成するから。退職した人は、後任人事に口を出さないでください。
優子の次の、新しいパートナーさんいらっしゃい!
そんな人、この世の中にいるの?
いるという保証はないし、いないという保証もない。Optimisticな僕としては後者に期待したいんだけど。
でも、空席は、新しい人で満たそうとしなくても、空席のままでも意味があるということに、最近気がついた。
Yuko. November 12th, 1963 to January 3rd, 2009. Died at the age of 45.
Send your message to lettertoyuko@gmail.com
Sunday, May 23, 2010
Survive(喪失の再構成)
ブログをいつも楽しみに拝見させて頂いています。
しばらく更新されていらっしゃらずどうされたかと心配しておりました。
また、再開され、ほっと致しました。
今後も楽しみに拝見させていただきます。
どうもありがとう!
読んでくれている事が、とても大きな支えになります。
優子を失ってから、たくさんの喪失・悲嘆に関する本を読んだのですけど、そのひとつ、ニーマイア編「喪失と悲嘆の心理療法:構成主義からみた意味の探求」を1年ほど前に手に取ってみたんですよ。悲嘆の心理療法は、従来、大きく空いた心の穴を埋め、もとの状態まで回復することを目標としていました。僕は社会構成主義が好きなのだけど、この本の言わんとしている事は、喪失から回復していく過程で、自己の意味と他者との関係性を再構成(作り直す)し、新たに見出すことなんです。
でも、それを読んだ1年ほど前は、始めの2-3章しか読み進めませんでした。「新たな意味」なんて考えたくなかったから。確かに、得たものはいろいろあるということはわかっていた。でも、それはあくまで突然あいた大きく深い穴を埋めるための手段にすぎず、良いことなんかじゃない。そんな風には考えたくないと、思考を停止させていました。大きなマイナスのために必死に補ったモノであり、プラスなんかじゃないと。
最近、ようやく穴はなんだかんだ言いながら、かなり埋まってきて、補ってきたモノ自体に意味があると認められるようになってきました。この1年4ヶ月体験を、UPs & DOWNsとしてまとめようかな。
The First Yearに考えていたこと
DOWNsだけだった。
UPsも見ようと思えば見えなくはなかったが、見ること、つまりそれに価値を与えることを拒否していた。
DOWNs
・今までの人生で体験したことのない深い悲しみ。優子は僕の身体の、identityの重要な一部分だった。それを失った痛み。それを想起すると圧倒的な感情に押しつぶされた。
・生活の変化。2人で切り盛りしていた家族マネージメントをひとりでやらなくてはならない。
収入の大きな部分を優子は担っていた。それがなくなった。だからといって貧しくなったわけではなにのだが、子どもたちは、「パパ、うちは大丈夫なの?」と結構心配していた。
家事(掃除、洗濯、食事、家のメンテナンス):掃除と家のメンテは確実に後退した。もともと優子がいるときでも、それほどきれいにやっていたわけではないが、さらに悪化した。洗濯⇒おばあちゃんに全面的に依存している。食事⇒朝食、弁当づくり、時間がある休日の夕食などは僕がやってるけど、それ以外はおばあちゃんにやってもらっている。
Now (The Second Year)
DOWNsとUPsの両者を客観的に考えられるようになった。
DOWNs
今までより増えることはない。一年目が、優子を失った底だった。それ以降は、もっと下がることはなく、上がることのみ。DOWNsについて、もう恐れることはない。
UPs
Survive(喪失の再構成)
生き永らえたという自信。
今までにない経験。それを経験する前は、自分がいったいどうなるのか分からなかった未体験ゾーン。それが既知のゾーンに変化した。
うつ症状、行動異常、異常思考、生活上の機能不全、家族の問題・・・何も出現しなかった。生きる気力も低下しなかった。その自身。
悲しみ・苦しみをどうにかするために、心のバランスを保とうとするために、今まで理屈では知っていて、精神科医として患者さんたちに進めてきたことを自分で総動員した。気持ちを封じ込めず、あらゆる機会を利用して表現してきた。それによって、いろんな人たちとの出会いがあった。
既知の人たちとの交流を深めた。
保育園の仲間たち。子育てという共通体験を介して、夫婦ともに築いてきた関係。優子との関係も、僕との関係も同等に(優子の方が多いかな?)あった人たち。相手も男性・女性、夫婦ペアでよく知っている。彼らとの縁を深めた。
友人たち。疎遠になっていた昔の友だちとの交流が再開した。
多くの人たちとのネットワーク。危機に陥ったからこそ、賦活できた絆。
しばらく更新されていらっしゃらずどうされたかと心配しておりました。
また、再開され、ほっと致しました。
今後も楽しみに拝見させていただきます。
どうもありがとう!
読んでくれている事が、とても大きな支えになります。
優子を失ってから、たくさんの喪失・悲嘆に関する本を読んだのですけど、そのひとつ、ニーマイア編「喪失と悲嘆の心理療法:構成主義からみた意味の探求」を1年ほど前に手に取ってみたんですよ。悲嘆の心理療法は、従来、大きく空いた心の穴を埋め、もとの状態まで回復することを目標としていました。僕は社会構成主義が好きなのだけど、この本の言わんとしている事は、喪失から回復していく過程で、自己の意味と他者との関係性を再構成(作り直す)し、新たに見出すことなんです。
でも、それを読んだ1年ほど前は、始めの2-3章しか読み進めませんでした。「新たな意味」なんて考えたくなかったから。確かに、得たものはいろいろあるということはわかっていた。でも、それはあくまで突然あいた大きく深い穴を埋めるための手段にすぎず、良いことなんかじゃない。そんな風には考えたくないと、思考を停止させていました。大きなマイナスのために必死に補ったモノであり、プラスなんかじゃないと。
最近、ようやく穴はなんだかんだ言いながら、かなり埋まってきて、補ってきたモノ自体に意味があると認められるようになってきました。この1年4ヶ月体験を、UPs & DOWNsとしてまとめようかな。
The First Yearに考えていたこと
DOWNsだけだった。
UPsも見ようと思えば見えなくはなかったが、見ること、つまりそれに価値を与えることを拒否していた。
DOWNs
・今までの人生で体験したことのない深い悲しみ。優子は僕の身体の、identityの重要な一部分だった。それを失った痛み。それを想起すると圧倒的な感情に押しつぶされた。
・生活の変化。2人で切り盛りしていた家族マネージメントをひとりでやらなくてはならない。
収入の大きな部分を優子は担っていた。それがなくなった。だからといって貧しくなったわけではなにのだが、子どもたちは、「パパ、うちは大丈夫なの?」と結構心配していた。
家事(掃除、洗濯、食事、家のメンテナンス):掃除と家のメンテは確実に後退した。もともと優子がいるときでも、それほどきれいにやっていたわけではないが、さらに悪化した。洗濯⇒おばあちゃんに全面的に依存している。食事⇒朝食、弁当づくり、時間がある休日の夕食などは僕がやってるけど、それ以外はおばあちゃんにやってもらっている。
Now (The Second Year)
DOWNsとUPsの両者を客観的に考えられるようになった。
DOWNs
今までより増えることはない。一年目が、優子を失った底だった。それ以降は、もっと下がることはなく、上がることのみ。DOWNsについて、もう恐れることはない。
UPs
Survive(喪失の再構成)
生き永らえたという自信。
今までにない経験。それを経験する前は、自分がいったいどうなるのか分からなかった未体験ゾーン。それが既知のゾーンに変化した。
うつ症状、行動異常、異常思考、生活上の機能不全、家族の問題・・・何も出現しなかった。生きる気力も低下しなかった。その自身。
悲しみ・苦しみをどうにかするために、心のバランスを保とうとするために、今まで理屈では知っていて、精神科医として患者さんたちに進めてきたことを自分で総動員した。気持ちを封じ込めず、あらゆる機会を利用して表現してきた。それによって、いろんな人たちとの出会いがあった。
既知の人たちとの交流を深めた。
保育園の仲間たち。子育てという共通体験を介して、夫婦ともに築いてきた関係。優子との関係も、僕との関係も同等に(優子の方が多いかな?)あった人たち。相手も男性・女性、夫婦ペアでよく知っている。彼らとの縁を深めた。
友人たち。疎遠になっていた昔の友だちとの交流が再開した。
多くの人たちとのネットワーク。危機に陥ったからこそ、賦活できた絆。
Friday, May 21, 2010
ホッとしました
しばらくブログがアップされていなかったので( こちらのサーバーがおかしか ったのでしょうか?)、 体調でも崩されたのかとちょっと心配しておりました がお元気そうで何よりです。 優子ちゃんの記事が掲載される書籍が出版された らお知らせ下さいね。
最近、ブログの書き方を変えたんですよ。まず、紙に万年筆でアナログ手書きして、あとでPCに打ち込むという風に。連休中なんかも、ずっと紙には書いていたんですけど、デジタル化してブログに挙げるのが遅くなっちゃって。ブログは、過去の日付で掲載できるので、そちらのサーバのせいではありません、僕の事情です。
ずっと見ていてくれているんですね。
優子を失わなければ、できなかった人との縁。
優子が遺してくれた貴重な財産です。
本は、夏くらいにできるとか言ってたけど、こういうのは多分延びるでしょう。発行されたらお知らせします!
最近、ブログの書き方を変えたんですよ。まず、紙に万年筆でアナログ手書きして、あとでPCに打ち込むという風に。連休中なんかも、ずっと紙には書いていたんですけど、デジタル化してブログに挙げるのが遅くなっちゃって。ブログは、過去の日付で掲載できるので、そちらのサーバのせいではありません、僕の事情です。
ずっと見ていてくれているんですね。
優子を失わなければ、できなかった人との縁。
優子が遺してくれた貴重な財産です。
本は、夏くらいにできるとか言ってたけど、こういうのは多分延びるでしょう。発行されたらお知らせします!
Wednesday, May 19, 2010
"You did a good job!" そんな一言が通訳の喜び
(仕事のあらまし)難しくも面白い「同時通訳」
フリーランスの通訳者である優子さんは、最大手の通訳会社に登録し、さまざまな会議や打ち合わせ、レセプション、交渉、取材、調査などにおける通訳を受託している。依頼主は官公庁や自治体、企業、学校など多彩。まれに個人から披露宴のスピーチの通訳を依頼されることもある。
通訳の方法は、話をある程度のまとまりで区切って訳す「逐語通訳」と、同時に訳す「同時通訳」に分かれる。
「逐語に場合は、話の意味を想像して訳す時間的余裕がありますが、同時の場合はそれができないスピードで進むので結構むずかしいですね。だからこそ面白いということもありますが、同時の場合は、話の流れをなるべく経ち切らないようにするのが大事です」と優子さんは言う。
(この仕事に就いた動機)専門的に学び面白さに目覚める
アメリカで小学校1年生から4年生までの3年半、そして20代半ばにイギリスで3年間を過ごした優子さんは、帰国後、労働関係の国際機関に勤めていた。そこで、英会話が得意である事から、海外から来客があった際によく通訳を頼まれていたという。
「英語が話せるので、当初は気軽に引き受けていたのですが、やってみるとなかなか難しい。お客様を連れて行った先で通訳をするのですが、相手はプロの通訳だと思っていろいろ話せるので、こちらは詰まってしまったり。また、別の時に上司から『通訳がなかなか上手だね』とほめてもらったこともあり、もう少しきちんと勉強しようと、仕事を続けながら1年半ほど通訳者を養成する学校に通ったのです。そこで勉強するうちに面白さに目覚めていきました」
勤務先には仕事時間を選べる制度があり、当時出産後ということもあって、所定労働時間の5割や8割の勤務時間を選択。その学校を修了後、勤務していない時間を活用して、通訳・翻訳を手掛ける、学校のグループ会社から通訳の仕事を受託するようになり、「二束のわらじ」を履く生活となった。
「いきなりフリーになるのは相当怖かったので、ソフトランディングできてよかったと思います。そうやって少しずつステップアップしていくうちに、迷いながらも通訳の仕事にシフトしたいと思うようになり、15年間勤めた国際機関を退職することにしました」
(これまでに体験した転機)独立と「意識の節目」
「国際機関を退職し、独立した時が一つの転機でした」という優子さん。もう一つ、「意識の節目」といった転機を感じる時もあったという。
「帰国子女なので、英語が多少人より得意なのは当たり前で、逆にそのことに引け目を感じることもありました。他の人は努力して勉強しているのに、自分は下駄を履かせてもらっているみたいで。そこを認めたくない自分がいたのですが、ある時、そこは自分の長所と認めて、そこから高めていけばいいんじゃないかと思い直すことができたのです。そこから次につながって行きましたね」
(仕事で大切にしていること)つくり上げる過程にかかわること
通訳の成果を認められ、"You did a good job"とか「あなたのおかげで話し合いがうまくいったよ」などと言ってもらえる時は喜びを感じる。そんな優子さんは、「プロジェクトなどに詰めて、何かを作り上げていく過程にかかわることが好き」という。
「通訳と言う重要な役割を持って参加できている感覚が、やりがいにつながっていると思います」
その反面、「あがってしまって相手の言ったことを十分に訳せなかったり、相手の言っていることと、自分の話していることにズレを感じたまま、通訳を続けなければならない状況に陥った時は苦しい」という。懇親会の時は、話題が広範囲に及んで詰まってしまうことも。「まわりの人が『どうしたんだ』といった感じになって、恥ずかしい思いをしたこともあります」
だからこそ、普段から英語放送のニュースを聴いたり、外国映画を見たり、「オーディオブック」をインターネットで購入してiPodで聴くといった努力を続けている。
通訳になりたいという中高生に対しては、「語学力の向上に努めるだけでなく、いろいろなことに興味を持って、見たり聞いたり読んだりという経験を積み重ねてほしい。それが自分の肥やしになる」とエールを送る。
(子どもたちへ)好きなことを突き詰めて仕事に
「自分の興味がどういう方面にあるのかというところから考え始めてほしい」と優子さん。そこを意識することから、徐々に興味の対象が広がり、また深まるからだ。
「それが、ひいては仕事につながっていくと思います」
また、優子さんは「仕事はやはり生活の中心にあると思う」と言う。そして、「今の日本には、仕事で潰されてしまっている人が多い。そんな大人を見て育った中高生は、仕事に対して夢を持てなくなっているのでは」と懸念する。
「本当はそうじゃないことをわかってほしい。仕事はきつくて大変で、生活の手段でしかないという考えもあるけれども、仕事を通じて得られるものは深くて豊かなものがある。そう気づいてほしいですね」
中高生向けのキャリアに関する本を作成しようと、様々な職業の方のインタビューを07年~09年にかけて行ないました。キャリア形成の考え方、親と子のコミュニケーションガイドなど含め、やっとこの夏に出版できる運びになりました。ICレコーダーに収録し、その「テープ起こし」から、プロのライターが原稿を書ました。
初校の確認を依頼したのですが、「お亡くなりになりました」とのこと。もし可能ならダンナさまの了承を得て掲載したいと考えています。もちろん、お亡くなりになった、ということは注として入れさせて頂きます。
もちろん!
私の知らなかった優子が甦ってきます。
子どもたちにとっても、とてもよい記念になります。
出版社の方、原稿をブログに載せるのは著作権に抵触すると思うので、問題あったら言ってください。ひっこめますから。
フリーランスの通訳者である優子さんは、最大手の通訳会社に登録し、さまざまな会議や打ち合わせ、レセプション、交渉、取材、調査などにおける通訳を受託している。依頼主は官公庁や自治体、企業、学校など多彩。まれに個人から披露宴のスピーチの通訳を依頼されることもある。
通訳の方法は、話をある程度のまとまりで区切って訳す「逐語通訳」と、同時に訳す「同時通訳」に分かれる。
「逐語に場合は、話の意味を想像して訳す時間的余裕がありますが、同時の場合はそれができないスピードで進むので結構むずかしいですね。だからこそ面白いということもありますが、同時の場合は、話の流れをなるべく経ち切らないようにするのが大事です」と優子さんは言う。
(この仕事に就いた動機)専門的に学び面白さに目覚める
アメリカで小学校1年生から4年生までの3年半、そして20代半ばにイギリスで3年間を過ごした優子さんは、帰国後、労働関係の国際機関に勤めていた。そこで、英会話が得意である事から、海外から来客があった際によく通訳を頼まれていたという。
「英語が話せるので、当初は気軽に引き受けていたのですが、やってみるとなかなか難しい。お客様を連れて行った先で通訳をするのですが、相手はプロの通訳だと思っていろいろ話せるので、こちらは詰まってしまったり。また、別の時に上司から『通訳がなかなか上手だね』とほめてもらったこともあり、もう少しきちんと勉強しようと、仕事を続けながら1年半ほど通訳者を養成する学校に通ったのです。そこで勉強するうちに面白さに目覚めていきました」
勤務先には仕事時間を選べる制度があり、当時出産後ということもあって、所定労働時間の5割や8割の勤務時間を選択。その学校を修了後、勤務していない時間を活用して、通訳・翻訳を手掛ける、学校のグループ会社から通訳の仕事を受託するようになり、「二束のわらじ」を履く生活となった。
「いきなりフリーになるのは相当怖かったので、ソフトランディングできてよかったと思います。そうやって少しずつステップアップしていくうちに、迷いながらも通訳の仕事にシフトしたいと思うようになり、15年間勤めた国際機関を退職することにしました」
(これまでに体験した転機)独立と「意識の節目」
「国際機関を退職し、独立した時が一つの転機でした」という優子さん。もう一つ、「意識の節目」といった転機を感じる時もあったという。
「帰国子女なので、英語が多少人より得意なのは当たり前で、逆にそのことに引け目を感じることもありました。他の人は努力して勉強しているのに、自分は下駄を履かせてもらっているみたいで。そこを認めたくない自分がいたのですが、ある時、そこは自分の長所と認めて、そこから高めていけばいいんじゃないかと思い直すことができたのです。そこから次につながって行きましたね」
(仕事で大切にしていること)つくり上げる過程にかかわること
通訳の成果を認められ、"You did a good job"とか「あなたのおかげで話し合いがうまくいったよ」などと言ってもらえる時は喜びを感じる。そんな優子さんは、「プロジェクトなどに詰めて、何かを作り上げていく過程にかかわることが好き」という。
「通訳と言う重要な役割を持って参加できている感覚が、やりがいにつながっていると思います」
その反面、「あがってしまって相手の言ったことを十分に訳せなかったり、相手の言っていることと、自分の話していることにズレを感じたまま、通訳を続けなければならない状況に陥った時は苦しい」という。懇親会の時は、話題が広範囲に及んで詰まってしまうことも。「まわりの人が『どうしたんだ』といった感じになって、恥ずかしい思いをしたこともあります」
だからこそ、普段から英語放送のニュースを聴いたり、外国映画を見たり、「オーディオブック」をインターネットで購入してiPodで聴くといった努力を続けている。
通訳になりたいという中高生に対しては、「語学力の向上に努めるだけでなく、いろいろなことに興味を持って、見たり聞いたり読んだりという経験を積み重ねてほしい。それが自分の肥やしになる」とエールを送る。
(子どもたちへ)好きなことを突き詰めて仕事に
「自分の興味がどういう方面にあるのかというところから考え始めてほしい」と優子さん。そこを意識することから、徐々に興味の対象が広がり、また深まるからだ。
「それが、ひいては仕事につながっていくと思います」
また、優子さんは「仕事はやはり生活の中心にあると思う」と言う。そして、「今の日本には、仕事で潰されてしまっている人が多い。そんな大人を見て育った中高生は、仕事に対して夢を持てなくなっているのでは」と懸念する。
「本当はそうじゃないことをわかってほしい。仕事はきつくて大変で、生活の手段でしかないという考えもあるけれども、仕事を通じて得られるものは深くて豊かなものがある。そう気づいてほしいですね」
(2008.4.4)
-------中高生向けのキャリアに関する本を作成しようと、様々な職業の方のインタビューを07年~09年にかけて行ないました。キャリア形成の考え方、親と子のコミュニケーションガイドなど含め、やっとこの夏に出版できる運びになりました。ICレコーダーに収録し、その「テープ起こし」から、プロのライターが原稿を書ました。
初校の確認を依頼したのですが、「お亡くなりになりました」とのこと。もし可能ならダンナさまの了承を得て掲載したいと考えています。もちろん、お亡くなりになった、ということは注として入れさせて頂きます。
もちろん!
私の知らなかった優子が甦ってきます。
子どもたちにとっても、とてもよい記念になります。
出版社の方、原稿をブログに載せるのは著作権に抵触すると思うので、問題あったら言ってください。ひっこめますから。
Sunday, May 16, 2010
おばけニョッキ
今晩はニョッキに初挑戦。ケンタロウのご飯本を頼りに、じゃがいもをつぶし、小麦粉をまぶしたところまではよかったのだが、小麦粉の分量が少なすぎて手にくっつき、丸くきれいにまとまらない。おばけスイトンみたいなニョッキになってしまった。ソラマメでとベーコンで作ったクリームスープの味は悪くはないと思うんだけど。
じん)気持ち悪~い!二度と食べたくない!
祐馬)そんなこと言っちゃダメだよ。パパが作ったんだから。
ちゅけ)これ、結構いけるじゃん!
夕食後、片づけをしながら明日の弁当のおかず(タケノコご飯と鮭の土佐酢漬け)の下ごしらえをしていた。
祐馬)パパ、よく働くね。
そうだよ。子どもたちに美味しいものを食べさせたいからね。
祐馬、そんなグルメじゃないもん。
...でも、パパ健康だね。
そうだね。ママは健康じゃなかったからね。パパの健康を少し分けてあげられれば良かったね。
祐馬は健康か?
うん。
歯に衣着せない子どもたちとの会話が、今の僕にとって、一番確かな現実。心の支え。
Wednesday, May 5, 2010
連休 in 草津
ふう、これでやっとひとりになれた。
連休は草津へ。ちゅけは班活でずっと来れない。中三で高校受験の夏からだから、もう2年になる。
祐馬とじんとパパ、3人で行こうね!
祐馬)ぜったいイヤだ!
あちこち連絡しまくって、昨年のGWと同様、祐馬の小学校時代の親友が一家4人で来てくれることになった。弟クンはじんと2歳違いだからうまい具合に遊び相手が二組出来た。
ここでは、思いきりアウトドア。
ベーコン作って、昼は3日ともBBQ。今回は、いつも定番のシュラスコはやらず、ダッチオーブン特集でした。ベーコンと野菜類の無水ナベ。鶏雑炊、そして3日目はベーコンとキャベツの丸ごとスープ。
食後は温泉へ。夜はベーコンと野菜でつまみを作ってパパ・ママとワインを酌み交わす。連休中はダイエットを中止して、ずいぶん飲んだなあ。ゴルフクラブも持ってきたが、振る時間がなく、ずっと子どもたちと一緒に過ごした。
帰りは、子どもたちを電車で先に帰し、僕はひとり渋滞を避け、深夜に帰る。子どもたちとのひと時を堪能した後の、ひとりの時間。優子がいればふたりの時間。ひとりの時間はなかった。
去年の今頃は、優子の想い出がいっぱい詰まった草津は売ってしまおうかと考えていた。それが、夏に西魔女の別荘を訪ね、気が変わった。彼女の親が建てた別荘を大切に使っている。エドヒさんだってそうだよな。僕にとって辛くても、子どもたちにとっては、大切な想い出の場所なんだ。もともと、優子とそう話して買ったんだよな。子どもたちの故郷を作ろうって。
家の壁にはお葬式のために友人たちが作ってくれたパネル写真を貼ってある。
祐馬)ねえ、この写真はいいけど、下の文字のやつだけ剥がそうよ!
そうね。もう少ししたらとってもいいけど、まだ貼っておこうよ。
ひとり静かに庭の草の中にたたずんでいると、ふと優子が玄関から出てくる気配を感じる。優子が植えたクロッカスも咲いている。夏には優子が植えたブルーベリーが実をつけるかな。
寂しくたっていい。寂しさと悲しみは避けなくても良いことがわかった。ここに来れば、優子に出会える。悲しみだって味わい深いよ。手造りベーコンみたいだ。
パパ、祐馬たちが帰った後、ひとりで草津で何するの?
君たちと別れて、ひとり静かに過ごすんだよ。
友パパ)男ってのは結構ひとりが好きなんだよ。
なんか、さびしくない?何かやりたいことあるんでしょ?
そうだよ。
Thursday, April 29, 2010
方向転換と優子
Q)やっぱり、先生が大きな方向転換をしたのは、奥さまが亡くなったことが関係しているんですか?
Yes and Noですねえ。
No。
なぜなら、もう10年くらい前から、いつかは方向転換したいなというビジョンをずっと暖めていたんです。妻が生きていようが死んでいようが、僕自身の問題として、妻の存在とは関係なく考えることですから。もともと妻とは全然別の仕事内容だったからね。よく、夫婦で同じような関連した近接領域で仕事やってる夫婦がいますよね。あれは、あれで楽しいだろうけど、仕事内容まで良い意味・悪い意味を含め夫婦関係に入ってきちゃうでしょうね。そういう意味で、僕らの場合は、僕が心の医療、妻が国際機関ないしは通訳:ほとんど接点はないんですよ(多少はあったけど)。だから優子の仕事内容には関知できないし、結果outputとして、優子が生き生きやりがいを持って仕事して、見あった収入もあり、家族に費やす時間が十分確保されれば、何をやっても構わない(というかわからない)し、と思っていた。優子にとっても、僕の仕事がどういう内容で、どんな方向転換をしようが、現状維持だろうが関知しなかったです。そういう意味で冒頭の質問はNoです。
その一方で、Yes。
新しい道に乗り出すのは不安です。今まで、まったく関わらなかったお金(経済)の心配とか算段、それにひとつの組織をマネージすること。でも、やり始めればきっと何とかうまくいくだろうという根拠のない楽観的予測はあった。じゃあ、やればいいじゃない!
でも今までは、現在持っているものを失うこと・捨てることができなかったわけ。今、持っているものだって、全然悪くはないもの。安定して、確実だし。それを生きがい的・経済的にリターンが見込める新たな株と交換して、今持っている株を手放すことができなかった。もし仮にセクハラ(アカハラ)か公金使い込みとかで、今の職場を去る必然性があったら、躊躇せずに出て行けたと思う。
ここで、優子を失った体験が大きく関与してくる。優子を失うことと比較すれば、何だって手放すことができる。というと語弊があるが、優子を手放した痛みに耐えて、乗り越えたんだから、(子どもたちを失うこと以外は)どんなものも失う痛みに耐える自信がついた。何でも手放すことができるぞ。
だから、今、手放すんです。
Yes and Noですねえ。
No。
なぜなら、もう10年くらい前から、いつかは方向転換したいなというビジョンをずっと暖めていたんです。妻が生きていようが死んでいようが、僕自身の問題として、妻の存在とは関係なく考えることですから。もともと妻とは全然別の仕事内容だったからね。よく、夫婦で同じような関連した近接領域で仕事やってる夫婦がいますよね。あれは、あれで楽しいだろうけど、仕事内容まで良い意味・悪い意味を含め夫婦関係に入ってきちゃうでしょうね。そういう意味で、僕らの場合は、僕が心の医療、妻が国際機関ないしは通訳:ほとんど接点はないんですよ(多少はあったけど)。だから優子の仕事内容には関知できないし、結果outputとして、優子が生き生きやりがいを持って仕事して、見あった収入もあり、家族に費やす時間が十分確保されれば、何をやっても構わない(というかわからない)し、と思っていた。優子にとっても、僕の仕事がどういう内容で、どんな方向転換をしようが、現状維持だろうが関知しなかったです。そういう意味で冒頭の質問はNoです。
その一方で、Yes。
新しい道に乗り出すのは不安です。今まで、まったく関わらなかったお金(経済)の心配とか算段、それにひとつの組織をマネージすること。でも、やり始めればきっと何とかうまくいくだろうという根拠のない楽観的予測はあった。じゃあ、やればいいじゃない!
でも今までは、現在持っているものを失うこと・捨てることができなかったわけ。今、持っているものだって、全然悪くはないもの。安定して、確実だし。それを生きがい的・経済的にリターンが見込める新たな株と交換して、今持っている株を手放すことができなかった。もし仮にセクハラ(アカハラ)か公金使い込みとかで、今の職場を去る必然性があったら、躊躇せずに出て行けたと思う。
ここで、優子を失った体験が大きく関与してくる。優子を失うことと比較すれば、何だって手放すことができる。というと語弊があるが、優子を手放した痛みに耐えて、乗り越えたんだから、(子どもたちを失うこと以外は)どんなものも失う痛みに耐える自信がついた。何でも手放すことができるぞ。
だから、今、手放すんです。
Sunday, April 25, 2010
寂しさの効用
最近のブログを拝見していて、新しい道を進まれるのだなとは思っていましたが、ついに!と今朝のブログを拝見しました。
「最近、眠れなくて・・」という言葉に「いい薬があるみたい、お医者さんに行ってみたら」という会話が増えているとか。。
以前なら「眠れないの?どうしたの?」「実はね・・」が普通の会話だったような気がします。支援の形は様々ありますが、「十分な時間をかけての心から納得できるような支援」は多くの方たちが望んでいます。お金がかかるのは残念ですが(T T)、私も主治医ができた気になっています(^ ^)v
奥さまを亡くされた心の痛みは他人には測れないことと拝察いたします。「悲しみは薄れるんだけど、寂しさは・・・。」とどうしようもない寂しさを語る方もいました。悲しみと寂しさの話をうかがった時、胸が詰まる思いをしたのを覚えています。これからの一年、ますますお忙しいことと思いますが、お体にお気をつけてお過ごしください。
--
Qさん、メッセージありがとう!
他人には測れない...
こんな気持ちは、経験した人じゃないとわからない!
という前提があるんでしょうね。それほど痛いんだということの比喩なんでしょうか。
じゃあ、パートナーを亡くした人ならわかるのか、と聞かれても、きっとnoですよ。
僕が優子を失った悲しみは、優子と僕という固有な二人の関係性の延長線上にあるものだから、ひとみんなそれぞれ違うはず。
じゃあ、誰もわかるはずないじゃない!?
そういう問題でもないんですよね。
心の中身までわかってもらえなくていいんです。それは、ボク固有の問題だから。
共感するって、心の暗闇の深淵を一緒に覗きこんでくれることかな。暗すぎて、どれくらい深いのか、中がどうなってるのか、怖くて見たくない。でも、見てちゃんと確かめておかなければ、もっと怖い。結局、分け入るのは自分自身しかできないってことはわかっている。でも、ひとりっきりでは怖くてできないし、だれかそばにいてくれると、とても助かるんです。
そばにいるって、どういうこと?
深淵について、関心を持ってくれる。言及してくれる。尋ねてくれるってことかな。
○たとえば、葬儀に来てくれた方々。近い親戚とか、来るのが当然みたいな人ではなく、えっ、あなたまで来てくれたの?という遠い関係の人。時間と手間をかける価値がある出来事と捉えてくれたんだという支え。
○たとえば、そのひとりがゴルフのレッスンプロ。そんなに親しかったわけではないと思ってたけど。
えっ、来て下さったんだ!
「Tikiさん、こういうときは辛いけど、家になんかいないでゴルフに来て、たくさん打ち込むんだよ。何かやっていれば忘れられるから!」
忘れるわけじゃない、それは僕のセオリーではないんだけど、各論はどうでもいい。ふだんゴルフのことしか口にしない体育会系の彼が、僕のことを彼なりに精いっぱい考えてくれたんだよね。その行為自体が支えであり、その中身はどうでもいいんです。
○あるいは、Qさんみたいに1年たってもブログに来てくれて、ときどきメッセージをくれること。始めの頃はたくさんの人たちが見に来てくれて、たくさんメッセージをくれました。それは、僕へのメッセージでるとともに、彼ら自身の喪の作業でもあったのかもしれません。それが終わっても支えてくれているって、遠い人でも、すごく身近に感じます。
逆に、一番イヤなのが、避けて通り過ぎられてしまうことかな。過剰に寄り添ったり、無理に分け入ってくれなくていいんですよ。本人は、深い穴を遠くから眺めたり、もう少し近づいて覗きこんだり、懐中電灯を持ってロープを伝いながら下へ降りようとしたり、いろいろ人によって違うと思うんです。僕の場合、強力ヘッドライトで隅々まで照らそうとしてるけど、ふつうそこまではやらないでしょう。いずれにせよ、誰でも心にぽっかり穴があいているということ自体はどこかでわかっているんです。そこを通り過ぎずに、立ち止まり、いてくれることかな。
僕の場合、「君」をたくさんかき集めて強力ヘッドライトに組み込んだけど、これって、すべての人間関係に当てはまる基本ですよね。
それがあるから、人間、一歩前に進めるんですよ。
----
悲しみは薄れるんだけど、寂しさは・・・。
まさにそうなんですよ。
この寂しさはどうしようもないです。
寂しくはない。子どもたちや、たくさんの人たちに囲まれている。
でも、一番根っこの部分の寂しさは、誰も補えない。
でも、それでいいのかなと、最近は思ってます。むしろ、それがあった方が好都合なのでは。
始めの頃の悲しさ・寂しさは、手をつけられないくらい心の中で暴れまわっていたから、落ち着かせるのにずいぶん苦労した。でも、今はだいぶ大人しくなってきた。コントロールが効くようになり、ティシュにくるんで小さくたたみ、心のポケットに入れておくことができる。必要な時に取り出して、どうなってるか確認すればいいくらいになった。
○寂しさがあったほうが、創造性を持てる。
満ち足りていれば、たとえばブログなんか書く必要ないからね。できれば、ブログよりももう何冊か本を書ければもっと都合が良いのだけどね。
○寂しさがあれば、人の寂しさに興味を持てる。自分自身が心を覗きこむニーズがあれば、他者のニーズにも敏感になれる。心の支援者としての基本的な動機づけが確保されたようだ。
「最近、眠れなくて・・」という言葉に「いい薬があるみたい、お医者さんに行ってみたら」という会話が増えているとか。。
以前なら「眠れないの?どうしたの?」「実はね・・」が普通の会話だったような気がします。支援の形は様々ありますが、「十分な時間をかけての心から納得できるような支援」は多くの方たちが望んでいます。お金がかかるのは残念ですが(T T)、私も主治医ができた気になっています(^ ^)v
奥さまを亡くされた心の痛みは他人には測れないことと拝察いたします。「悲しみは薄れるんだけど、寂しさは・・・。」とどうしようもない寂しさを語る方もいました。悲しみと寂しさの話をうかがった時、胸が詰まる思いをしたのを覚えています。これからの一年、ますますお忙しいことと思いますが、お体にお気をつけてお過ごしください。
--
Qさん、メッセージありがとう!
他人には測れない...
こんな気持ちは、経験した人じゃないとわからない!
という前提があるんでしょうね。それほど痛いんだということの比喩なんでしょうか。
じゃあ、パートナーを亡くした人ならわかるのか、と聞かれても、きっとnoですよ。
僕が優子を失った悲しみは、優子と僕という固有な二人の関係性の延長線上にあるものだから、ひとみんなそれぞれ違うはず。
じゃあ、誰もわかるはずないじゃない!?
そういう問題でもないんですよね。
心の中身までわかってもらえなくていいんです。それは、ボク固有の問題だから。
共感するって、心の暗闇の深淵を一緒に覗きこんでくれることかな。暗すぎて、どれくらい深いのか、中がどうなってるのか、怖くて見たくない。でも、見てちゃんと確かめておかなければ、もっと怖い。結局、分け入るのは自分自身しかできないってことはわかっている。でも、ひとりっきりでは怖くてできないし、だれかそばにいてくれると、とても助かるんです。
そばにいるって、どういうこと?
深淵について、関心を持ってくれる。言及してくれる。尋ねてくれるってことかな。
○たとえば、葬儀に来てくれた方々。近い親戚とか、来るのが当然みたいな人ではなく、えっ、あなたまで来てくれたの?という遠い関係の人。時間と手間をかける価値がある出来事と捉えてくれたんだという支え。
○たとえば、そのひとりがゴルフのレッスンプロ。そんなに親しかったわけではないと思ってたけど。
えっ、来て下さったんだ!
「Tikiさん、こういうときは辛いけど、家になんかいないでゴルフに来て、たくさん打ち込むんだよ。何かやっていれば忘れられるから!」
忘れるわけじゃない、それは僕のセオリーではないんだけど、各論はどうでもいい。ふだんゴルフのことしか口にしない体育会系の彼が、僕のことを彼なりに精いっぱい考えてくれたんだよね。その行為自体が支えであり、その中身はどうでもいいんです。
○あるいは、Qさんみたいに1年たってもブログに来てくれて、ときどきメッセージをくれること。始めの頃はたくさんの人たちが見に来てくれて、たくさんメッセージをくれました。それは、僕へのメッセージでるとともに、彼ら自身の喪の作業でもあったのかもしれません。それが終わっても支えてくれているって、遠い人でも、すごく身近に感じます。
逆に、一番イヤなのが、避けて通り過ぎられてしまうことかな。過剰に寄り添ったり、無理に分け入ってくれなくていいんですよ。本人は、深い穴を遠くから眺めたり、もう少し近づいて覗きこんだり、懐中電灯を持ってロープを伝いながら下へ降りようとしたり、いろいろ人によって違うと思うんです。僕の場合、強力ヘッドライトで隅々まで照らそうとしてるけど、ふつうそこまではやらないでしょう。いずれにせよ、誰でも心にぽっかり穴があいているということ自体はどこかでわかっているんです。そこを通り過ぎずに、立ち止まり、いてくれることかな。
大きな闇取り囲まれても
君がいてくれることが光となり
一歩踏み出す勇気となる
僕の場合、「君」をたくさんかき集めて強力ヘッドライトに組み込んだけど、これって、すべての人間関係に当てはまる基本ですよね。
- 愛するパートナーがいてくれること
- 親がいてくれること
- 子どもがいてくれること
- 先生がいてくれること
- 部活の先輩と仲間がいてくれること
- 心の支援者がいてくれること
それがあるから、人間、一歩前に進めるんですよ。
----
悲しみは薄れるんだけど、寂しさは・・・。
まさにそうなんですよ。
この寂しさはどうしようもないです。
寂しくはない。子どもたちや、たくさんの人たちに囲まれている。
でも、一番根っこの部分の寂しさは、誰も補えない。
でも、それでいいのかなと、最近は思ってます。むしろ、それがあった方が好都合なのでは。
始めの頃の悲しさ・寂しさは、手をつけられないくらい心の中で暴れまわっていたから、落ち着かせるのにずいぶん苦労した。でも、今はだいぶ大人しくなってきた。コントロールが効くようになり、ティシュにくるんで小さくたたみ、心のポケットに入れておくことができる。必要な時に取り出して、どうなってるか確認すればいいくらいになった。
○寂しさがあったほうが、創造性を持てる。
満ち足りていれば、たとえばブログなんか書く必要ないからね。できれば、ブログよりももう何冊か本を書ければもっと都合が良いのだけどね。
○寂しさがあれば、人の寂しさに興味を持てる。自分自身が心を覗きこむニーズがあれば、他者のニーズにも敏感になれる。心の支援者としての基本的な動機づけが確保されたようだ。
Friday, April 23, 2010
TV見ました!
本当にご無沙汰です。
今朝、時間を知ろうとTVのスイッチを入れたら、画面にいきなり先生が!
ビックリしました!!!
でも、嬉しかったです、お元気そうで。
何度もご連絡しなくては、と頭には浮かんでくるのですが、何にも動きに移せず申し訳なく思っておりました。本当に色々な思いが浮かんできます。頂いたご家族の写真、ずっと大事にさせていただいています。
娘とも時々お子さま方の話をします。彼女も大学生になりました。元気に国際関係を学んでいます。お子達は皆さまお健やかにお過ごしでしょうか。ご一家と、カナダでご一緒できた時間が夢のようです。
先生もずっと若者支援を続けてくださっているのですね。でもくれぐれもご無理のないように。私たちには想像も出来ないような感情の波の中で過ごされた1年余り、ずっとひたむきに動き続けてこられたのではないかしら、ムリせずにはおられなかったのではないかしらと、勝手な心配もしております。
でもきっと先生のことだから、上手にさばいておられるのかなとも想像しますが、先生やご家族皆様の平安を何よりお祈りいたします。
先生の研究室は以前と同じですか?
ますますお忙しい事とは思いますが、お目にかかる機会があれば嬉しく存じます。
最後になりましたが、優子さまのご冥福を心からお祈りしております。突然のメールで、失礼いたしました。
心温まるメールありがとうございます。
TV出演依頼が来た時、本当は断ろうと思っていたんですよ。学者がメディアに晒されると、余計なお釣りがいろいろくっついてくるので。でも、祐馬に話したら、
「出て、出て!みのもんたのサインもらってきて!」
とせがまれ、しぶしぶ(でも、多少はやってみようかなという色気もあって)出演しました(サインはもらいませんでしたけど)。結果的に、子どもたちに父親の仕事ぶりを見せることができ、またこうやって何人かの親しくしていた方々から、「見たよ!」とご無沙汰の連絡をいただけるのが予想外の喜びです。
そうですか、娘さん、もう大学生なんですね。うちは長男が高2、祐馬が中2、じんが小6です。子どもたちの成長は目を見張りますね。幸い、彼らはとても元気に毎日を過ごしています。
私にとっても、この一年余り、「人には想像もできない」ような心の痛みの中で過ごしたことは、心の専門家としては貴重な体験でした。人って、どうにか生き永らえるものなんですね。私の場合、思いっきり無理して(もちろんバランスはとりながら)悲しみと向き合い、思いっきりたくさんの人たちに伝えまくりました。それが良いのか悪いのかは分かりません。でも、それが私のスタイルだったようです。人は、危機に直面して、本性(性格)が現れますね。この一年、私の本性がよく理解できました。私のやり方は、他の人にも勧められる方法かどうかはわかりませんが(多分、個人差が大きいと思います)、精神科医としての経験の幅がずいぶん広がったように思います。
実は、今年いっぱいで勤務している大学を退職し、精神科のクリニックを開業することにしました。以前から将来の夢として抱いていましたが、この1年、空の優子と一緒に熟考して決めました。お薬のみに偏った精神医療ではなく、多少、料金がかかってしまうのですが、十分な時間をかけ、心から納得できるような家族と若者の心の支援を目指そうと思います。この一年は、その準備と、今までの仕事の整理に忙殺されそうです。
来年の3月までは、今までの研究室にいます。また、お目にかかれれば嬉しく思います。
今朝、時間を知ろうとTVのスイッチを入れたら、画面にいきなり先生が!
ビックリしました!!!
でも、嬉しかったです、お元気そうで。
何度もご連絡しなくては、と頭には浮かんでくるのですが、何にも動きに移せず申し訳なく思っておりました。本当に色々な思いが浮かんできます。頂いたご家族の写真、ずっと大事にさせていただいています。
娘とも時々お子さま方の話をします。彼女も大学生になりました。元気に国際関係を学んでいます。お子達は皆さまお健やかにお過ごしでしょうか。ご一家と、カナダでご一緒できた時間が夢のようです。
先生もずっと若者支援を続けてくださっているのですね。でもくれぐれもご無理のないように。私たちには想像も出来ないような感情の波の中で過ごされた1年余り、ずっとひたむきに動き続けてこられたのではないかしら、ムリせずにはおられなかったのではないかしらと、勝手な心配もしております。
でもきっと先生のことだから、上手にさばいておられるのかなとも想像しますが、先生やご家族皆様の平安を何よりお祈りいたします。
先生の研究室は以前と同じですか?
ますますお忙しい事とは思いますが、お目にかかる機会があれば嬉しく存じます。
最後になりましたが、優子さまのご冥福を心からお祈りしております。突然のメールで、失礼いたしました。
心温まるメールありがとうございます。
TV出演依頼が来た時、本当は断ろうと思っていたんですよ。学者がメディアに晒されると、余計なお釣りがいろいろくっついてくるので。でも、祐馬に話したら、
「出て、出て!みのもんたのサインもらってきて!」
とせがまれ、しぶしぶ(でも、多少はやってみようかなという色気もあって)出演しました(サインはもらいませんでしたけど)。結果的に、子どもたちに父親の仕事ぶりを見せることができ、またこうやって何人かの親しくしていた方々から、「見たよ!」とご無沙汰の連絡をいただけるのが予想外の喜びです。
そうですか、娘さん、もう大学生なんですね。うちは長男が高2、祐馬が中2、じんが小6です。子どもたちの成長は目を見張りますね。幸い、彼らはとても元気に毎日を過ごしています。
私にとっても、この一年余り、「人には想像もできない」ような心の痛みの中で過ごしたことは、心の専門家としては貴重な体験でした。人って、どうにか生き永らえるものなんですね。私の場合、思いっきり無理して(もちろんバランスはとりながら)悲しみと向き合い、思いっきりたくさんの人たちに伝えまくりました。それが良いのか悪いのかは分かりません。でも、それが私のスタイルだったようです。人は、危機に直面して、本性(性格)が現れますね。この一年、私の本性がよく理解できました。私のやり方は、他の人にも勧められる方法かどうかはわかりませんが(多分、個人差が大きいと思います)、精神科医としての経験の幅がずいぶん広がったように思います。
実は、今年いっぱいで勤務している大学を退職し、精神科のクリニックを開業することにしました。以前から将来の夢として抱いていましたが、この1年、空の優子と一緒に熟考して決めました。お薬のみに偏った精神医療ではなく、多少、料金がかかってしまうのですが、十分な時間をかけ、心から納得できるような家族と若者の心の支援を目指そうと思います。この一年は、その準備と、今までの仕事の整理に忙殺されそうです。
来年の3月までは、今までの研究室にいます。また、お目にかかれれば嬉しく思います。
Wednesday, April 21, 2010
仕事の軌道修正
早朝覚醒。
朝、3時過ぎに目が覚めて、眠れなくなっちゃった。
大きな気持ちに揺さぶられるとこうなるんだよな。
「子どもの遠足の朝」状態。
あるいは、優子を亡くした1ヶ月もそうだった。
今朝目覚め、布団の中で今日やるべきことを繰り返して考えている自分に気づいた。
人生の方向転換。
月例の学科会で、正式に今後のことを職場のみんなに伝えるんだ。ここから、僕の新しい人生が始まる(みたいな気持ちです)。
優子を失い、今まで僕の人生を満たしてきた水が一気に抜けて、底をついてしまった。
お風呂の栓を取り換え、新たな水を入れ直すみたいに。全部、点検して、始めからやり直し。
今日も月1度の教授会がまわってくる。思えば大学に就任以来、義務の委員会報告を除けば、80人ほどのエライ先生方の前で一度も発言したことないんだよね。大学の予算も、将来計画も、カリキュラム改定も、学生の処分も、ぜんぜん興味ないし、どうなってるか知らないもん。よっぽど俺は会議が嫌いなんだと思ってたけど、よく考えれば、会議そのものの問題ではないんだよね。
25年来、僕のメインの学会である家族療法学会では、200名のエライ先生方の前でバンバン発言する。優子が亡くなる半年前には大会長もしたし。
月曜のナマ番組で、みのもんたからひきこもりの対応について想定外の質問を振られた時も、ぶれなかった。まかしてくれ、オレの得意分野だ。オレが一番よく知ってるんだ、みたいな。
地球をくるくる周回していた宇宙船が、小さな噴射で今までの軌道をヒョイと変更し、大気圏に降りるみたいに。あるいは、弾みをつけて月に向けて飛び立つように。
今日、職場で小さく噴射するんだ。
だから、眠れなくなっちゃったみたい。
朝、3時過ぎに目が覚めて、眠れなくなっちゃった。
大きな気持ちに揺さぶられるとこうなるんだよな。
「子どもの遠足の朝」状態。
あるいは、優子を亡くした1ヶ月もそうだった。
今朝目覚め、布団の中で今日やるべきことを繰り返して考えている自分に気づいた。
人生の方向転換。
月例の学科会で、正式に今後のことを職場のみんなに伝えるんだ。ここから、僕の新しい人生が始まる(みたいな気持ちです)。
優子を失い、今まで僕の人生を満たしてきた水が一気に抜けて、底をついてしまった。
お風呂の栓を取り換え、新たな水を入れ直すみたいに。全部、点検して、始めからやり直し。
- 家族が、僕にとって最も大切な水。優子が抜け、子どもたちとの関係は今まで以上に大切だ。しっかり父親をやることが、少なくまで彼らが巣立つまで最重要項目であることは、以前と変わらない。
- 趣味の世界:チャリにテニスにゴルフにスキー。身体を動かすことが僕のpower sourceになることは、この1年余、改めて確認した。
- あとは、仕事(=社会の中での役割)の点検。
今日も月1度の教授会がまわってくる。思えば大学に就任以来、義務の委員会報告を除けば、80人ほどのエライ先生方の前で一度も発言したことないんだよね。大学の予算も、将来計画も、カリキュラム改定も、学生の処分も、ぜんぜん興味ないし、どうなってるか知らないもん。よっぽど俺は会議が嫌いなんだと思ってたけど、よく考えれば、会議そのものの問題ではないんだよね。
25年来、僕のメインの学会である家族療法学会では、200名のエライ先生方の前でバンバン発言する。優子が亡くなる半年前には大会長もしたし。
月曜のナマ番組で、みのもんたからひきこもりの対応について想定外の質問を振られた時も、ぶれなかった。まかしてくれ、オレの得意分野だ。オレが一番よく知ってるんだ、みたいな。
地球をくるくる周回していた宇宙船が、小さな噴射で今までの軌道をヒョイと変更し、大気圏に降りるみたいに。あるいは、弾みをつけて月に向けて飛び立つように。
今日、職場で小さく噴射するんだ。
だから、眠れなくなっちゃったみたい。
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