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Sunday, May 23, 2010

孤独の効用(喪失の再構成)

優子を失って心にぽっかり空いた大きな穴を、一生懸命埋め合わせようとしてきた。
たとえば、人たちとのつながり。
それはそれで良いのだけど、その一方で、穴は穴。ぽっかり空いていることを恐れず、空けたままでもいいんじゃないか。それも、人生を深く味会うためにあっても良いんじゃないかと思うようになった。
悲しく、辛い。こんな気持ち、味わいたくない。でも、それって、人生でしょ。
本来、人生って辛く、悲しいじゃない!人は皆、それを視界から外すためにいろいろ努力して、幸せをつかもうとやっきになっている。
優子を失ったからといって、僕は不幸になったわけじゃありませんよ。優子がいなくたって、幸せに繋げるネタはある。子どもたち、そして仕事(社会の中の役割)、友人たち、家族(親と妹)。でも、そうやって取り繕っても、本当は人生はかないんですよ。

二人称の死は、一人称の死:自己の生命の儚さ、死を想い出させてくれる。
そりゃあ辛く、悲しいよ。でも、優子の死を乗り越えられたんだから、自己の死の恐怖も乗り越えられるんじゃない、なんて自分のことを考えられるようになった。今までは避けていたことを、ここまで深めることはあまりなかった。
大きな穴を埋め合わせようとする試みは、悪くはない。それと同時に、方向としては逆だが、心の穴を埋めず、そのまま悲しみ・孤独を残しておきたい。それは、自分の心の深層へ降りてゆくことができるpathwayでもある。

可能性としては、もっと直接的に穴を埋めちゃうことだってできるはずだ。この一年余り、僕の主観の中にいた優子という存在を見つめ、吐き出してきた。その結果、かなり彼女を相対化できつつあると思う(ホントかな?)。
そう、優子はこの20年あまり、僕の存在の一部だった。でも、僕は僕。優子は優子。たったひとりの人間じゃん!人間なんて、何億人もいる。その中で、とてもattractiveで、素敵な人だった。でも、優子だけが素敵なわけじゃない。この世界には、素敵な人がたくさんいる。別に優子と比べてどうのこうの比較する必要なない。
なぜ、優子が素敵だったかと言うと、それは僕の主観的な世界の中に唯一、ひとりだけ入れ込んだから。受精卵みたいに。卵子は、一つの精子を受け入れ受精したとたん、まわりにバリアを張り、他の精子の侵入を拒む。優子と僕は、お互いにcouplingしたために、他の親密性の可能性を閉ざした。
ひとりだけ、僕の内部に包み込んだのが優子だったからね。その喪失は耐えがたいんだ。

でも、優子は突然、勝手に消滅しちゃったから、僕の心の中の特等席は空席になった。この一年あまりは、今まで20年間座っていた優子が下に落とした食べ残しを掃除していたからお待ちいただいたけど、もうそろそろOKだよ。優子が座っていた温もりも冷め、食器も片付けてテーブルも拭いたから、どうぞ次の人、座ってください。

もしかしたら優子よりもっと素敵な人が来るかもしれない。そしたらすごいじゃん!天国の優子が嫉妬するよ。でも、優子には気兼ねしないからね。優子は勝手にあっちに行っちゃって、僕から離れたんだろ?僕は僕で、自分の人生を、優子がいないところで再構成するから。退職した人は、後任人事に口を出さないでください。

優子の次の、新しいパートナーさんいらっしゃい!
そんな人、この世の中にいるの?
いるという保証はないし、いないという保証もない。Optimisticな僕としては後者に期待したいんだけど。
でも、空席は、新しい人で満たそうとしなくても、空席のままでも意味があるということに、最近気がついた。

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