優子を失って心にぽっかり空いた大きな穴を、一生懸命埋め合わせようとしてきた。
たとえば、人たちとのつながり。
それはそれで良いのだけど、その一方で、穴は穴。ぽっかり空いていることを恐れず、空けたままでもいいんじゃないか。それも、人生を深く味会うためにあっても良いんじゃないかと思うようになった。
悲しく、辛い。こんな気持ち、味わいたくない。でも、それって、人生でしょ。
本来、人生って辛く、悲しいじゃない!人は皆、それを視界から外すためにいろいろ努力して、幸せをつかもうとやっきになっている。
優子を失ったからといって、僕は不幸になったわけじゃありませんよ。優子がいなくたって、幸せに繋げるネタはある。子どもたち、そして仕事(社会の中の役割)、友人たち、家族(親と妹)。でも、そうやって取り繕っても、本当は人生はかないんですよ。
二人称の死は、一人称の死:自己の生命の儚さ、死を想い出させてくれる。
そりゃあ辛く、悲しいよ。でも、優子の死を乗り越えられたんだから、自己の死の恐怖も乗り越えられるんじゃない、なんて自分のことを考えられるようになった。今までは避けていたことを、ここまで深めることはあまりなかった。
大きな穴を埋め合わせようとする試みは、悪くはない。それと同時に、方向としては逆だが、心の穴を埋めず、そのまま悲しみ・孤独を残しておきたい。それは、自分の心の深層へ降りてゆくことができるpathwayでもある。
可能性としては、もっと直接的に穴を埋めちゃうことだってできるはずだ。この一年余り、僕の主観の中にいた優子という存在を見つめ、吐き出してきた。その結果、かなり彼女を相対化できつつあると思う(ホントかな?)。
そう、優子はこの20年あまり、僕の存在の一部だった。でも、僕は僕。優子は優子。たったひとりの人間じゃん!人間なんて、何億人もいる。その中で、とてもattractiveで、素敵な人だった。でも、優子だけが素敵なわけじゃない。この世界には、素敵な人がたくさんいる。別に優子と比べてどうのこうの比較する必要なない。
なぜ、優子が素敵だったかと言うと、それは僕の主観的な世界の中に唯一、ひとりだけ入れ込んだから。受精卵みたいに。卵子は、一つの精子を受け入れ受精したとたん、まわりにバリアを張り、他の精子の侵入を拒む。優子と僕は、お互いにcouplingしたために、他の親密性の可能性を閉ざした。
ひとりだけ、僕の内部に包み込んだのが優子だったからね。その喪失は耐えがたいんだ。
でも、優子は突然、勝手に消滅しちゃったから、僕の心の中の特等席は空席になった。この一年あまりは、今まで20年間座っていた優子が下に落とした食べ残しを掃除していたからお待ちいただいたけど、もうそろそろOKだよ。優子が座っていた温もりも冷め、食器も片付けてテーブルも拭いたから、どうぞ次の人、座ってください。
もしかしたら優子よりもっと素敵な人が来るかもしれない。そしたらすごいじゃん!天国の優子が嫉妬するよ。でも、優子には気兼ねしないからね。優子は勝手にあっちに行っちゃって、僕から離れたんだろ?僕は僕で、自分の人生を、優子がいないところで再構成するから。退職した人は、後任人事に口を出さないでください。
優子の次の、新しいパートナーさんいらっしゃい!
そんな人、この世の中にいるの?
いるという保証はないし、いないという保証もない。Optimisticな僕としては後者に期待したいんだけど。
でも、空席は、新しい人で満たそうとしなくても、空席のままでも意味があるということに、最近気がついた。
Yuko. November 12th, 1963 to January 3rd, 2009. Died at the age of 45.
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Sunday, May 23, 2010
Survive(喪失の再構成)
ブログをいつも楽しみに拝見させて頂いています。
しばらく更新されていらっしゃらずどうされたかと心配しておりました。
また、再開され、ほっと致しました。
今後も楽しみに拝見させていただきます。
どうもありがとう!
読んでくれている事が、とても大きな支えになります。
優子を失ってから、たくさんの喪失・悲嘆に関する本を読んだのですけど、そのひとつ、ニーマイア編「喪失と悲嘆の心理療法:構成主義からみた意味の探求」を1年ほど前に手に取ってみたんですよ。悲嘆の心理療法は、従来、大きく空いた心の穴を埋め、もとの状態まで回復することを目標としていました。僕は社会構成主義が好きなのだけど、この本の言わんとしている事は、喪失から回復していく過程で、自己の意味と他者との関係性を再構成(作り直す)し、新たに見出すことなんです。
でも、それを読んだ1年ほど前は、始めの2-3章しか読み進めませんでした。「新たな意味」なんて考えたくなかったから。確かに、得たものはいろいろあるということはわかっていた。でも、それはあくまで突然あいた大きく深い穴を埋めるための手段にすぎず、良いことなんかじゃない。そんな風には考えたくないと、思考を停止させていました。大きなマイナスのために必死に補ったモノであり、プラスなんかじゃないと。
最近、ようやく穴はなんだかんだ言いながら、かなり埋まってきて、補ってきたモノ自体に意味があると認められるようになってきました。この1年4ヶ月体験を、UPs & DOWNsとしてまとめようかな。
The First Yearに考えていたこと
DOWNsだけだった。
UPsも見ようと思えば見えなくはなかったが、見ること、つまりそれに価値を与えることを拒否していた。
DOWNs
・今までの人生で体験したことのない深い悲しみ。優子は僕の身体の、identityの重要な一部分だった。それを失った痛み。それを想起すると圧倒的な感情に押しつぶされた。
・生活の変化。2人で切り盛りしていた家族マネージメントをひとりでやらなくてはならない。
収入の大きな部分を優子は担っていた。それがなくなった。だからといって貧しくなったわけではなにのだが、子どもたちは、「パパ、うちは大丈夫なの?」と結構心配していた。
家事(掃除、洗濯、食事、家のメンテナンス):掃除と家のメンテは確実に後退した。もともと優子がいるときでも、それほどきれいにやっていたわけではないが、さらに悪化した。洗濯⇒おばあちゃんに全面的に依存している。食事⇒朝食、弁当づくり、時間がある休日の夕食などは僕がやってるけど、それ以外はおばあちゃんにやってもらっている。
Now (The Second Year)
DOWNsとUPsの両者を客観的に考えられるようになった。
DOWNs
今までより増えることはない。一年目が、優子を失った底だった。それ以降は、もっと下がることはなく、上がることのみ。DOWNsについて、もう恐れることはない。
UPs
Survive(喪失の再構成)
生き永らえたという自信。
今までにない経験。それを経験する前は、自分がいったいどうなるのか分からなかった未体験ゾーン。それが既知のゾーンに変化した。
うつ症状、行動異常、異常思考、生活上の機能不全、家族の問題・・・何も出現しなかった。生きる気力も低下しなかった。その自身。
悲しみ・苦しみをどうにかするために、心のバランスを保とうとするために、今まで理屈では知っていて、精神科医として患者さんたちに進めてきたことを自分で総動員した。気持ちを封じ込めず、あらゆる機会を利用して表現してきた。それによって、いろんな人たちとの出会いがあった。
既知の人たちとの交流を深めた。
保育園の仲間たち。子育てという共通体験を介して、夫婦ともに築いてきた関係。優子との関係も、僕との関係も同等に(優子の方が多いかな?)あった人たち。相手も男性・女性、夫婦ペアでよく知っている。彼らとの縁を深めた。
友人たち。疎遠になっていた昔の友だちとの交流が再開した。
多くの人たちとのネットワーク。危機に陥ったからこそ、賦活できた絆。
しばらく更新されていらっしゃらずどうされたかと心配しておりました。
また、再開され、ほっと致しました。
今後も楽しみに拝見させていただきます。
どうもありがとう!
読んでくれている事が、とても大きな支えになります。
優子を失ってから、たくさんの喪失・悲嘆に関する本を読んだのですけど、そのひとつ、ニーマイア編「喪失と悲嘆の心理療法:構成主義からみた意味の探求」を1年ほど前に手に取ってみたんですよ。悲嘆の心理療法は、従来、大きく空いた心の穴を埋め、もとの状態まで回復することを目標としていました。僕は社会構成主義が好きなのだけど、この本の言わんとしている事は、喪失から回復していく過程で、自己の意味と他者との関係性を再構成(作り直す)し、新たに見出すことなんです。
でも、それを読んだ1年ほど前は、始めの2-3章しか読み進めませんでした。「新たな意味」なんて考えたくなかったから。確かに、得たものはいろいろあるということはわかっていた。でも、それはあくまで突然あいた大きく深い穴を埋めるための手段にすぎず、良いことなんかじゃない。そんな風には考えたくないと、思考を停止させていました。大きなマイナスのために必死に補ったモノであり、プラスなんかじゃないと。
最近、ようやく穴はなんだかんだ言いながら、かなり埋まってきて、補ってきたモノ自体に意味があると認められるようになってきました。この1年4ヶ月体験を、UPs & DOWNsとしてまとめようかな。
The First Yearに考えていたこと
DOWNsだけだった。
UPsも見ようと思えば見えなくはなかったが、見ること、つまりそれに価値を与えることを拒否していた。
DOWNs
・今までの人生で体験したことのない深い悲しみ。優子は僕の身体の、identityの重要な一部分だった。それを失った痛み。それを想起すると圧倒的な感情に押しつぶされた。
・生活の変化。2人で切り盛りしていた家族マネージメントをひとりでやらなくてはならない。
収入の大きな部分を優子は担っていた。それがなくなった。だからといって貧しくなったわけではなにのだが、子どもたちは、「パパ、うちは大丈夫なの?」と結構心配していた。
家事(掃除、洗濯、食事、家のメンテナンス):掃除と家のメンテは確実に後退した。もともと優子がいるときでも、それほどきれいにやっていたわけではないが、さらに悪化した。洗濯⇒おばあちゃんに全面的に依存している。食事⇒朝食、弁当づくり、時間がある休日の夕食などは僕がやってるけど、それ以外はおばあちゃんにやってもらっている。
Now (The Second Year)
DOWNsとUPsの両者を客観的に考えられるようになった。
DOWNs
今までより増えることはない。一年目が、優子を失った底だった。それ以降は、もっと下がることはなく、上がることのみ。DOWNsについて、もう恐れることはない。
UPs
Survive(喪失の再構成)
生き永らえたという自信。
今までにない経験。それを経験する前は、自分がいったいどうなるのか分からなかった未体験ゾーン。それが既知のゾーンに変化した。
うつ症状、行動異常、異常思考、生活上の機能不全、家族の問題・・・何も出現しなかった。生きる気力も低下しなかった。その自身。
悲しみ・苦しみをどうにかするために、心のバランスを保とうとするために、今まで理屈では知っていて、精神科医として患者さんたちに進めてきたことを自分で総動員した。気持ちを封じ込めず、あらゆる機会を利用して表現してきた。それによって、いろんな人たちとの出会いがあった。
既知の人たちとの交流を深めた。
保育園の仲間たち。子育てという共通体験を介して、夫婦ともに築いてきた関係。優子との関係も、僕との関係も同等に(優子の方が多いかな?)あった人たち。相手も男性・女性、夫婦ペアでよく知っている。彼らとの縁を深めた。
友人たち。疎遠になっていた昔の友だちとの交流が再開した。
多くの人たちとのネットワーク。危機に陥ったからこそ、賦活できた絆。
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