やっぱ、二時だ。
昨日は、優子の職場のなーさなんと、保育園のぎーさんカップルが来てくれたよ。いろいろ、話しできて。
ついでに、優子の本を何冊か持って行ってもらった。おかげで、部屋の書類の山が少し減ったぞ。
しかし、やっぱり優子は僕の気持ちをわかっていないねえ。何年一緒にいたと思っているんだ!?
別に、僕は家族のプライバシーを切り売りしているわけじゃないんだよ。なぜ、書かなくちゃいられないか、僕の気持ち、わかっていないでしょ!?
時々、自分の感情に押しつぶされそうになるんだ。悲しみ。怒り。後悔。不安。などなど。
今、現在は、すごい孤独感。優子を失った孤独だよ。
子どもたちも、じじばばもいるし、まわりにはたくさんの人たちがいてくれる。でも、孤独なんだ。
まるで、自分の身体の半分を失ってしまったような。それを、いつかは取り戻せるかも、優子が戻ってくるかも、なんて、まだ半信半疑だったりして。それを、本当に受け入れることは、まだできていないと思う。
でも、こういう激しい気持ちを、僕が抱えているわけにはいかないんだ。ぜったいうつになっちゃうよ。
こうやって、優子に語りかける口調で、僕の気持ちを読んでくれているであろう人たちに伝えてさ。それで、他者と繋がっている安心感を得て、孤独を癒そうとしているんだろね。
優子がいるときは、もちろん、そんなことする必要なかったさ。ケンカしていようが、海外出張中だろうが、優子と繋がっていたからね。ケンカしてたときって、すごくstressfulに強く繋がっているじゃない!孤独じゃなかった。
でも、今は、孤独なんだ。
それに、子どもたちのことだよ。
子どもたちがこれから成長していく中で、不幸であってはいけないんだ。
若くして母親を亡くし、不幸な家庭に育ったのではなく、
母親は亡くしたけど、幸せな家庭に育ちました、というシナリオを与えてあげなくちゃいけない。
そのために、父親が不幸であってはいけないんだ。
昨晩は、鍋を囲んで、野菜をたくさん食べ、残りご飯でおじやをして、子どもたちも楽しそうだったよ。
でも、心の仲間では分からない。もしかしたら、みんな、楽しさを演じていただけなのかもしれない。
確かに、優子が心配しているように、僕は焦り過ぎている、ってことは認めるよ。
あたかも、伴侶をなくしたら、○○kgの喪の作業量があり、それを消化しない限り幸せにはなれないぞ、だから早く消化しなくちゃ、というように考えていたりして。
しかし、実際は、じわじわゆっくり湧き出てくる悲しみに、時間をかけて向き合っていかねばならないてこともわかってはいるんだけど。
わかったよ。プライバシーには気をつけるよ。
別に、うちの日記帳じゃないんだから、今日、あんなこと、こんなことがありましたとか、出来事を書く必要はないんだ。書きたいのは、僕自身の心情の変化なのだから、そこに集中するよ。
子どもたちの名前なんかも、別の名前に全部編集して変えることもできると思うんだ。面倒だけど、必要ならそうするから。
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