そうですよね、高校入学から卒業まで、天国の優子ちゃんに見守られて、そしてTikiさんに支えられて、
Tikiさんも、優子ちゃんが昇天されてから、
ちゅけくんも、
ありがとうございます。
3年前の合格発表で高校に来たのは優子を失った翌月でした。
その時の私は悲しみの真っ最中で、この喜びだけが孤立していました。
子どもたちにとって、この3年間はどうだったのかと振り返っても、特に何があったわけでもないように思います。
ちゅけはバレー班に打ち込み、
祐馬はパパにぶつかり、えっちゃんやRyokoさんやおばちゃんに支えてもらい母親役を投影し、
じんはじじばばと一緒に寝て、体操教室で体を鍛えていました。
3人とも特に甘えて退行するわけでもなく、問題行動やパフォーマンスの低下もなく、親の目から見れば淡々と過ごしていたように思います。
私は悲しみを表現しまくってましたが、子どもたちはしません。大人のような表現力もなく、悲しみを内包したままなのではないか。
祐馬は母を亡くした次の週に初潮がありました。喪失の痛みが彼らを大人にさせたように思います。それが良いことなのか、良くないことなのか、今の段階ではまだよくわかりません。
少なくとも父親にとって、今日の卒業式は余裕をもって喜ぶことができました。
この学校に足を踏み入れるのも今日が最後でしょう。
保育園は送り迎えする親の居場所でもあったけど、小・中・高と進むにつれて親は関係なくなります。
Rite of Passage (通過儀礼)
彼らの成長の儀式を見守るeye-witness役として関係者が集まるだけです。
泣いている人、いたでしょ?
そうだね、卒業生のうち何人かは泣いてたかな。
というか、パパも泣いたけど。
ふぅ~。。。(ため息)
今回、入場行進のときは大丈夫だったよ。
でも、「旅立ちの日に」とか歌うじゃん。パパあれ弱いんだよね。しかもみんな合唱コンを経験してるからよく声が出ているんだ。その迫力で歌われたら感動せずにはいられないよ。
突然ですいません。色々考えさせられました。
ReplyDeleteコメントありがとうございます。
ReplyDelete何を考えられたのですか?