Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Sunday, November 13, 2016

53回目の誕生日

優子
53回目の誕生日、おめでとう!

あやうく忘れるところだったよ。
じいちゃんがそっちに行ったから賑やかになっただろう。
じいちゃん二人はそっちで、ばあちゃん二人はこっちで頑張っているよ。

じんは大学受験生だよ。
あまりしゃべらないなあ。まあそういう時期なんだろう。と言いながらも、肝心のことはわりとしゃべったりしているから、良しとしよ。受験のことも全部本人任せだよ。優子ならもっと関われって怒るだろ、きっと。だけど、関わりようがないし、じんの意思決定を信頼してやるのが一番なんだよ。これはオレの方針なんだから天国の優子には文句を言わせないぞ。

祐馬はもうすぐメルボルンから帰ってくる。冬休みが3ヶ月近くあるから、久しぶりに長くいるぞ。また騒々しくなるな。まあそれも良いか!祐馬が一番遠くにいるのに、ネットを介して一番たくさんしゃべってるよ。まあ父親としてはそれが一番嬉しいけどね。大学生活は大変だ~ってぐちをこぼしながら、しっかり頑張っているよ。

ちゅけは札幌でM1。あいつの動向はあまりつかめないんだ。つかむ必要もないというか、もうあいつに任せるしかないからね。学費は出してやってるけど、生活費はバイトしながら頑張っている。就活関連で東京に来るたびに、なんとなく大人の雰囲気を漂わせているよ。そう、子どもたちはもうすぐ大人になっちゃうんだよ。優子は信じられないだろ。

オレはまあ元気でやってるよ。仕事もマイペースでやりたいことやってるし、海外にも行ったりしてるし(行き過ぎか)。最近、優子の後釜をどうしようかななんても真剣に考え始めているんだ。どうしようかなぁ、、、
べつにもう一つの「家族」を作るつもりはないし、でもひとりってのも淋しいし。優子がいれば、こんなこと考えなくて済んだのに、どうしてくれるんだよ!でも、優子がいなくなったから、考えられるっていう面もあるけどね。考えるの面倒だけど、結構楽しかったりして。

Friday, October 21, 2016

石垣島

に行って来るよん。
鎖骨もどうにかくっついたし、チャリ乗って来る。
優子を失ったから、ウジウジしてるとか、もう関係ないからね。
誰がなんと言おうと、俺はオレのやりたい事をやる。誰も止められないんだ。

俺は強い。
と同時に、とんでもなく弱い。
その事は自分でわかってるんだ。優子はわかっていなかった。
弱さを受け止めて、修正する強さだって持ち合わせているんだ。
もうすぐチェックイン@羽田空港だ。
石垣島は30℃だってよ〜!

Tuesday, October 11, 2016

29回目の結婚記念日

優子
もう、いつまでも、どれだけ僕を苦しめるんだ!!?

なんて、優子に八つ当たりする必要はもうないんだけどね。
ちょっと言ってみただけだよ。はははは!

いやあ、今回は大変だったよ。
7年半経って、もう優子の喪失からはすっかり立ち直ったつもりでいたんだけど、甘かった。
ぼちぼち本格的にグラウンドゼロに大切な建物を再構築しようと基礎を掘り下げていたら、まだまだ残っていたんだよ、テロの残骸が。
優子を失った悲しみじゃないけど、喪失感とか、急に家出された怒りとかがね。まあ、それだけじゃない、僕が老いて能力を失っていくことに対する恐怖心もあるんだけど。
そんなでかい岩の塊にぶち当たって、うまく基礎の杭を打ち込めないんだ。ぐらぐら傾いて倒れそうになる。ホントに倒れるところだったよ。

でも、優子の力を借りる必要はない。もう当てになんかしてないから。
大切な人が何人もいるんだ。
その人たちの力を借りながら、なんとかやっていくしかない。
うまくいくかどうかなんて、やってみるしかわかんないでしょ!
そんな自信なんてないけど、やるしかないんだよ!

なんで、それが結婚記念日だったんだ!?

Tuesday, September 27, 2016

おばあちゃんの世界と生きがい

おばあちゃんは、もういつおさらばしても良いのよ。
おばあちゃんのエンディングを考えてるの。
私、たくさん宝石があるのよ。それをどう分けるか。
おじいちゃんからもらった婚約指輪は優子さんにあげるつもりだったんだけど、どうしようかな。
Tikiや優子さんにもらったのは、そのままあげるけど。
あと、誰からもらったのかよくわからないのもあるのよ。

先日、おばちゃんが来た時に、二人で宝石箱の中身を点検したんだって。
これが、ばあちゃんの世界だよ。
家庭を作り、子どもを産み育て、夫を見送るという大切な役目をちゃんと果たした今、もういつおさらばしても良いというのは、よくわかるよ。それで良いんだよね。
おばあちゃんにとって大切なものは、社会的な役割とかではない。家族と、おばあちゃんの財産=宝石なんだ。不動産とか貯金もあるけど、おばあちゃん自身が管理していないから視野にない。小さな、小さな世界。それで良いんだよ。

じいちゃんは自分史や年表みたいなの何度も書いてたでしょ。それがじいちゃんの世界なんだ。自分が社会と家族の中に築いてきた世界を確認したいんだ。ものとしては多少の著作くらいで、土地もお金も大したものは残っていない。やっぱ人だろうね。

パパ自身の世界って何かね?
パパはもうボチボチ自分の世界を創り上げて、外から眺めて確認してもいい年齢に来ているんだけどね。その世界はまだなんとなく完成していなくて、手を離せないでいるって感じかな。
ママが死んじゃって、パパの世界が、がらりと変わったし。この先また変わらないとは限らない。
リタイアすればもう固定するんだろうけど、パパはまだリタイアしてないんだ。仕事的にも自分史的にも。まだこの先変わるかもしれないし。現役でいたい。

------------------

ばあちゃんはじいちゃんと一緒に近所の囲碁クラブ通っていたけど、じいちゃんが亡くなって行かなくなっていた。でも最近、週2回ほど以前と同じペースで出かけるようになった。

久しぶりに囲碁に行ったら4勝したのよ。でも家を空けている間に、宅急便のご不在連絡票が入ってると、罰を言われたみたいで。。。

ご不在票が入っていたって、全然問題ないんだからね。
そんなの気にしないで、外に出て良いんだよ。

フゥ〜ん!!

そう言っても、納得できていない。
そう、郵便を受け取り、家の出入りをちゃんと把握していることが、おばあちゃんに残された大切な役割だからね。

------------------

ばあちゃんはATMを使うのもじいちゃんが亡くなってから。
それまではじいちゃんがお金の管理をしていたみたいなんだ。

今日、郵貯のATMで5万円おろしたんだけど。
お金、出すだけじゃなくて、また自然に入ってくるんでしょ?

そうだよ。通帳みれば確認できるんだけど、わかる?

ひととおり通帳を眺めて、

これで良いんでしょ?

そういうの、自分で確認できる?

わかんない。

自分で判断できない。別に認知が始まったわけではなく、ばあちゃんはそういう習慣がなかったんだ。

おばあちゃん、大丈夫だよ。おばあちゃんが長年おじいちゃんに尽くしてきたから、ご褒美で、ばあちゃんが死ぬまで、じいちゃんの年金が自然に入ってくるから、大丈夫だよ。

そうなの?
ありがとう。

おばあちゃんは、田舎の割と裕福な旧家で育ち、お見合いで結婚して、専業主婦として働いた経験はなく、決してリッチではなく、でも決して貧乏ではない公務員のおじいちゃんの給料が自然に入ってきていたんだ。守られてきた世界。
そう、お金は自然に入ってくるもんなんだ。
おばあちゃんの世界はそれで良いんだよ。

Monday, September 26, 2016

どうしてこんなに悲しいんだろう


悲しいだろうみんな同じさ。同じ夜を迎えてる
風の中をひとり歩けば、枯れ葉が肩でささやくよ
どうしでだろうこのむなしさは。誰かに逢えば鎮まるかい?
こうして空を見上げていると、生きていることさえむなしいよ
 
これが自由というものかしら。自由になると淋しいのかい
やっと一人になれたからって、涙が出たんじゃ困るのさ
やっぱり僕は人にもまれて、皆の中で生きるのさ
 
人の心は温かいのさ。明日はもう一度ふれたいな
独り言です、気に留めないで。時にはこんなに思うけど
明日になるといつもの様に心を閉ざしている僕さ
(曲・歌:吉田拓郎、1971)

これは高校の頃、自分の部屋で、フォークギターでおそらく一番良く歌っていた曲だ。
当時の心境をよく言い当てていた。
親からの自立心が芽生え、「自由」な自分を見出していた。
すると寂しくなる。孤独が見えてくる。いくら家庭や学校に信頼できる人で満たされていても、孤独を感じることを、むしろ求めていた。
Sexualityの芽生えだったんだろう。

優子と結婚してからは孤独が消滅した。優子と子どもたちと仕事で僕の日常生活は満たされた。というか、満たされ過ぎた。普段の日常は自由や孤独を感じる隙間もないほど、幸せを感じる暇もないほど、幸せだった(と思う)。
寂しいどころか、その対極のウザい。
時々、出張やゴルフに出かけてふぅとひと息、束の間の独り自由を味わい、家に遅く帰って優子におこられていた。

そして今、思春期に逆戻りだ。
この曲が心情にフィットする。
子ども達が自立して親元から離れ、私の安全弁であった親は老いて、亡くなり。
多忙な仕事も手放し。
何より優子が一番先に去っていったから。

それでも人は周りにたくさんいる。寂しくなんかないはずなんだけど、それでも寂しい。

強がりを言えば、
それで良いんだよ。寂しくて良いんだ。
どうせ死ぬ時はひとり寂しいんだし。
一定の寂しさをあらかじめ保持しておいた方が人に優しくなれる。
前みたいに日常が幸せで忙しくなってしまうと、周りを押し退けてそこから飛び出したくなる。まだパズルのピースみたいにハマりたくはない。

人を求めようとすればするほど、寂しくなる。
それで良いんだよ。
若い頃は、寂しさが原動力となった。
今もそうかもしれない。

お腹が空くと辛いけど、食べ物にありついた時に、とても美味しくなる。
飽食しちゃうと、美味しくなくなるし、太ってメタボになる。
やせ我慢していた方が良いんだ。。。

Friday, September 23, 2016

愛される自信

一番大切なのは、その人を心から愛している自信があるか、
愛されているという自信があるかということ。

fear of rejection
捨てられることへの怖れ。その逆が、捨てられないという安心。
いつかは別れが来る。死別か、離別かわかんないけど。それを怖れていたら、そこを隠さないといけない。普通はそうするでしょ。でも思い切って別れと死に向き合えば、もう怖れるものはなくなるんだ。

Nothing to loose. Nothing to hide.
失うものはもう何もない。隠すものも。
自分に正直でいられる。

怖れなくても良い、怖れと不安から自分を解放してやれば、とても楽になる、自由になれる。

死と別れに向き合いたくなくても、たまたま向き合っちゃって、仕方がなくもがき苦しんで、そこを乗り越えたら、もう怖れるものはなくなる。
人は強くなれる。

自分の弱さにも向き合える。

でも、乗り越えるってホントはとてもたいへん。ビビっちゃうよ、どうしても。
不安になっちゃう。
そこで、始めに戻って来るんだ。
自分は愛されているんだって確信できるか、
自分が愛されているっていう部分に自信を持てるかってことなんだ。
愛されたという確信が、人を愛する確信に繋がる。

「それは、我慢も遠慮もせず、自分を出せて、自分のしたいこと、そして相手のしたいことをお互いに受け入れ合うことです。」

Tuesday, September 13, 2016

じん、よく言ったぞ!

おぅ、オヤジ。オレやっぱ国立やめようかと思うんだ、、、

ふだん、勉強や受験のことパパが聞いても何も言わずうるさがっているじんが、めずらしく神妙な顔をして、椅子に座って、突然言い出した。
おっ、来たか!
パパもテレビを消してじんに向き合った。

おう。どうしたんだ?

いや、もう科目が多すぎて、さすがに追いつかないんだ。

ああ、そうか。ぜんぜん構わないぞ。祐馬だって私立なんだし。お金のことは気にするな!

済まない、、、

じんの尊敬する兄貴は公立高校から国立大に行った。
じんがケンカばかりしていた(今はもうやらないか?)姉貴は公立高校から外国の大学に行っちゃった。
パパもママも公立高校だった。
じんも行きたかったよな。でも公立高落ちちゃって、私立校へ。
そのリベンジで国立大に行きたかったんだろ。今まで公立大に行くんだと頑張っていたもんな。それがじんのプライドだったんだ。じんはひとりでよく勉強しているよ。パパが何か言うとうるさがって「オヤジは何も知らないだろ!」としか言わないけど、パパはそう思っている。

そう。目標を高く掲げて頑張るんだ。それは正しいことだ。
東大を目指せ! 甲子園を目指せ! 金メダルを取るんだ!
くじけるな! 困難に立ち向かえ! 最後までやり通せ!

でも、行き詰り、にっちもさっちも行かなくなるときだってある。
この時期、言い出すのは、センター試験の科目選定があったからなのか、先生に何か言われたのか、そこまではじんも言わないからわかんないけど。

それで良いんだよ。
目標を下げることは敗北ではない。むしろ勝利なんだ。
プライドを捨てず、無理とわかっていても、当初の目標に突っ走るって、なんか強いように見えるけど、実は現実を見るのが怖くて否認しているからなんだ。
現実を受け入れ、今まで自分を支えてきたプライドを再調整するって方がよっぽど難しいし、それを自分で受け入れるってのは、実は強いことなんだよ。

おやじに金を使わせたくない。
それがおまえのプライドなんだろ!?
パパがそれくらいの金は持っていることはじんも知っているだろ。
金があるないの問題ではなくて、じんは親がかりが嫌なんだよな。自立したいんだよな。

今の段階で国立を視野から外し、受験科目を減らして集中するのは賢明な策じゃないか。
その線でがんばりなさい。自分で行きたい大学を選び、ベストを尽くしてごらん!

Tuesday, July 26, 2016

おばあちゃんと墓参り

に行ってきたよ。

ばあちゃんにとっては4月の納骨以来、初めての墓参りだ。じいちゃんが亡くなってからほぼ半年だよ。もうちょっと近ければ気軽に行けるんだけどね。


人の世話になりたくないばあちゃんとしては、今回電車とバスで行く予行演習をして次回からは一人で行けるようにしたかったみたいだけど、諦めたみたい。方向音痴で最近はめったに電車さえ使わないばあちゃんにとって、やっぱ無理だな。

ばあちゃんはお墓の前でハンカチ出して、静かに泣いてたよ。何も言わずに。

ふだんこうやって涙を流す機会もあまりないしな。

♪ 私の~お墓の前で~、泣かないで下さ~い。 ♪

とか歌にもあるけど、実は泣いた方が良いんだよ。
死んだ人にしてみれば、自分のお墓の前でいつまでもビービー泣かれるのはイヤだろうけど、遺された人にしてみれば、辛いけどやらなくちゃいけないプロセスなんだ。

大切な人を失うと、心のタンクに哀しみが溜まり、心が重たくなってうまく動かなくなる。
タンクの蛇口を開けて、溜まった涙を流してやらなくちゃならない。別にわざわざ蛇口を開けなくても、時間がたてば少しずつ自然に蒸発していくから、何とかなるんだけどね。でも、時間がかかるし、思い切って出しちった方が、その時は辛いけど、後が楽なんだ。

パパも今回お墓参りして、多少は悲しくなるかなと思ったけど、もうなれないんだよね。
べつにもう優子はどうでもいいし、じいちゃんはまだ半年だからお名残り惜しいかなと思ったけど、そうでもないんだ。もう二人とも、天国で勝手に楽しんでいてくださいって感じで。

優子、じいちゃんゴメンなさい。

泣きたくても泣けないってのも、ちょっと残念だよね。
やっぱしちょっぴりは悲しくなりたいというか、悲しみもパパの人生の一部として取り込んでいた方が、まっとうなような気がするんだよね。

あとは、ばあちゃんをどうやってあっこばちゃんのとこへ連れていくかだな。
パパの時は、あらゆる人々を使って悲しみを出しまくっていたけど(ちょっとやり過ぎたかな!?)、ばあちゃんの場合、それができる相手は極めて限られているんだ。友だちだってあまりいないし、子や孫や、気心の知れた甥・姪くらいなもんなんだ。
その中でも、ばあちゃんが同じ目線で気持ちを許せ合えるのが妹のあっこばちゃんなんだ。

ばあちゃんは四国に行きたくても、タケシの世話になりたくないとか突っぱねるし。
どちらにせよ、パパは秋にしまなみ海道でチャリの大会があるから、その時にばあちゃんを連れていけば問題ないんだけどね。

ばあちゃんは、四国ののんびりとした田舎町で生まれ育ち終戦を迎え、しばらくしてからお見合いでじいちゃんと結婚して、単身東京にやってきたんだ。当時の愛媛・東京間は、今の東京・メルボルン間より遠かったんじゃないかな。ずいぶん寂しかったと思うよ。
当時、女性としてはめずらしく四大を卒業したのに仕事もせず、専業主婦として子どもを作り、夫を支え、60年間ずっと東京で暮らしてきた。おかげでじいちゃんはしっかり社会に貢献して、ふたりの子どもも、まあ無事に育って、5人の孫もいる。

先日、ばあちゃんは
「もう私はいつでも、おさばらしても良いと思ってるから。」
とか言っててね。
たしかに、夫を見送り、子どもたちを船出させ、楽しいことも辛いこともいろいろあっただろうけど、ばあちゃんの時代の規範に照らせば、ちゃんとやるべきことをやって、人生の目的を全うしたんだよ。身体は健康だけど、聴力も体力も精神力も弱くなり、世の中に付いていけなくなっちゃって、どんどん取り残されるし、生きていても新たな楽しいことが生まれるってわけでもない。ばあちゃんの気持ちもわかるし、無理にお引き留めする必要もないわけなんだけど。

ばあちゃんには、静かに、安定して山を降りて行ってもらいたい。

じいちゃんの時もそうだったよね。
少しずつ自分を失っていく。社会的役割も、体力も、健康も、気持ちも、意識も、、、。痛みを伴わずに失えるって、けっこう難しいと思うよ。

子どもが成長して、自分を獲得していくプロセスもけっこう大変だし、痛みを伴う。今、子どもたちは3人ともその最中なんだよ。自分たちは夢中でわからないだろうけど。
子どもが大きくなるとき、親やまわりの支えが必要だったのと同じように、
老親が小さくなっていくとき、だれかの支えが必要なんだ。その役目は子どもが担ったりするけど、子どもがいない場合だってあるしね。

ばあちゃんが故郷に帰って、子ども時代に戻ったら、楽に小さくなれるんじゃないかなと思ってね。
でも、ばあちゃんの故郷の生家も両親もなくなっちゃって、唯一残っているのが、あっこばちゃんかなと思って。

先日、ばあちゃんの本家の甥が四国から来てくれてね。甥姪4人を集めて会食したんだ。短い時間だったけど、ばあちゃんは楽しかったみたいよ。その後、
「また、時にはああやって会食しようね。」
と言ってるんだ。

キミたちも、ママのお墓参りする時には、ばあちゃんを連れて行ってやってね。



Sunday, June 12, 2016

不安スイッチとおばあちゃんの認知症

ばあちゃんの認知症が始まったかな、、、という感じなんだよね。

玄関のドアのカギを開けられないんだ。
私が、普段使っていないもう一個の鍵も閉めたもんで、おばあちゃんが開けられない、外に出られないってパニックになっちゃったんだ。イレギュラーなことが起きるとダメなんだよね。その後カギを縦にしたら開いて、横にしたら閉まってというごく単純なことが飲み込めなくて何度も繰り返すんだけど、「わかった」と納得がいかない。じんが30分くらい付き合ってなんども説明して、その後パパも同じようにずっと付き合っていたんだけど、ダメなんだよね。ちゃんと問題なく開け閉め出来ているに、「できたんだ」と思えないみたい。
「もう、おばあちゃんダメだなぁ」が口癖になっちゃって、すごくめげちゃうんだ。
その後、いつもの朝の打ち合わせで、「帰宅は6時、夕食はOK」みたいなことをカレンダーに書き込むんだけど、それができないんだ。ペンを持ったまま固まっちゃって、「なんて書いたらいいかわからない〜」という状態。
自分ができなくなっちゃったということはよく分かってるから
「あぁ、おばあちゃんもうダメだなぁ」と、さらに落ち込む。
それでいて新聞読んだり、いつもの碁の集まりとかルーチンの慣れてることは普通に出来るんだよね。今晩も一緒にご飯を食べたんだけど、買い物・炊事・料理はちゃんとできるし、食卓での会話もいつもと同様、耳が遠いだけで、頭は普通に働いているんだ。
認知症って、こうやって少しずつ始まるんだよね。初めは特定のことだけ部分的にあれ、おかしいなという具合なのが、徐々に他の分野にも及んでくる。

心配なこと、不安なこと、びっくりすることなどなんらかの否定的なストレスが加わると、パニック発作、つまり不安スイッチがオンになっちゃうんだ。すると思考停止状態に陥っちゃう。emotional overloaded つまり心がその感情で一杯になっちゃって、理性が働かなくなっちゃって、アタマが止まっちゃうか、暴走し始める。

パパもママが死んだ後、2−3ヶ月間は、自分の心の動きが止まる(うつ状態)か、暴走するんじゃないか(変な行動を起こすとか)と心配だったけど、なんとかそうならずに済んだけど。

パパんとこに来る患者さんたちもそうだよ。例えば子どもに心の問題が発生すると、親の不安スイッチが入っちゃうんだ。すると暴走して制御不能になって、パパがなんかアドバイスとか言っても全然入んなくなっちゃう。子どものためと思って一生懸命子どもに接するんだけど、その方向がずれているもんで、ますます子どもの問題が悪化してしまう。

人は誰でも過大なストレスが加わるといかれちゃうんだけど、どれくらいのストレスで暴走し始めるか、人によって閾値(threshold)が違うんだよね。健康な人は高いんだけど、心の健康を損なうと低くなっちゃう。おばあちゃんはママの死やおじいちゃんの死でストレスが加わって、さらに加齢もあって閾値がかなり低くなっているんだ。だから普通の人ならなんでもない小さなストレスでもアタマが動かなくなっちゃう。さらに、この閾値が低くなって、常時動かなくなっちゃうと、認知症ってことになるんだろうね。まあそうすぐには進行はしないだろうけど、今後はわからないね。

それに今回はパパが海外に行くってことがあって、ばあちゃんにとっては相当ストレスなんだろうね。じいちゃんも、パパが外国に行って留守にする時に限って調子を悪くしてたし。という意味ではパパにも責任はある。でも、パパもずっとおばあちゃんにつきっきりっていうこともできないしね。パパのやりたいこと、やらなくちゃならないことはあるし、一人暮らしや施設で暮らしている高齢者だってたくさんいるわけだから。

ということなんで、君たちもばあちゃんをよろしくね。孫に会うことがばあちゃんにとっての一番のストレス解放になるから。

Wednesday, June 1, 2016

久々に読み返してみたら、、、

母が、父の遺品を整理していて「これ、Tikiのでしょ!」と渡してくれたのが、このブログの原稿。父が読みたくて、私がプリントアウトして渡したんだよ。ブログを始めてから半年分くらいなんだけど、A4のコピー用紙に100枚以上。随分と書いたもんだねえ。
読み返しても、まあよく書けたもんだ。すごいintensityだよね。我ながらびっくりしたよ。
もちろん、書いてある出来事も、その時、そういう心情だったということも覚えてはいる。でも、相当悲しかったんだねえ。。。その気持ちは主観的に呼び戻すことはできない。
Men's group (MKP)の仲間たちの助けも借りて、当時の悲しみの気持ちを蘇らせようとしたんだけど、残念ながらもうできない。悲しみのタオルがカラカラに乾いて、いくら絞りだそうとしても何も出てこない。
書いていた当時は絞らなくてもちょっと触れればポタポタ垂れてくるほど悲しみの水で溢れていたんでしょうね。今は、それがなくなっちゃった。これも、一つの喪失体験かね。当時の気持ちに戻ることができなくなっちゃった。

それは、残念なことじゃあないんだよ!、、、と仲間が指摘してくれた。
彼は優子のお葬式にも来てくれて、僕のmourning processにずっと付き合ってくれていた。つまり、Tikiは悲哀の仕事をうまくこなしたってことだよ。
確かにそうなんだよね。もうあの当時の悲しみの世界には戻れない。それは良いことなんだ。

そろそろ、このブログを本にまとめてみたらどうだろう?
世の中にはこの種の、家族喪失の体験本がたくさん出ているからね。優子を失った直後は読む気がしなかったけど、しばらくしてから随分読んだ。今は、もう読む気しないけど。ってことは、こういう本を必要としている人は常にいるわけで。
中には、喪のプロセスの現在進行形で書かれた本も結構あった。要するに、僕のブログがまだ熱い頃に出版されたような本で、ああ、こうやって本を出すことで喪の仕事を進めているんだなってのがよくわかる。
僕の場合は、もうその時期は過ぎてしまった。悲しみのタオルが乾いてしまっているから、そういう意味では本を出す必要性もないんだけど。
むしろ、乾いた立場、そして喪の仕事を支援する心の専門家の立場から、僕のmourning processを客観的に解説するみたいな二重構造で書けば面白いんじゃないかってね。そうすれば、僕自身の当事者としての心の姿と、支援者としての姿の両方を見せられるから、営業的にもなりたつんだ。僕自身のニーズというよりは、そっちのニーズから書こうということなんだ。

でも、その前に、一向に進まない本の原稿があるから、まずそっちを仕上げなくちゃダメでしょ。そっちを早々に仕上げて、こっちの方は今が優子喪失7年目で、べつにもう少し後でも、タオルの乾き具合はもう変わんないのだから、待っても構わないでしょ。