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Monday, September 26, 2016

どうしてこんなに悲しいんだろう


悲しいだろうみんな同じさ。同じ夜を迎えてる
風の中をひとり歩けば、枯れ葉が肩でささやくよ
どうしでだろうこのむなしさは。誰かに逢えば鎮まるかい?
こうして空を見上げていると、生きていることさえむなしいよ
 
これが自由というものかしら。自由になると淋しいのかい
やっと一人になれたからって、涙が出たんじゃ困るのさ
やっぱり僕は人にもまれて、皆の中で生きるのさ
 
人の心は温かいのさ。明日はもう一度ふれたいな
独り言です、気に留めないで。時にはこんなに思うけど
明日になるといつもの様に心を閉ざしている僕さ
(曲・歌:吉田拓郎、1971)

これは高校の頃、自分の部屋で、フォークギターでおそらく一番良く歌っていた曲だ。
当時の心境をよく言い当てていた。
親からの自立心が芽生え、「自由」な自分を見出していた。
すると寂しくなる。孤独が見えてくる。いくら家庭や学校に信頼できる人で満たされていても、孤独を感じることを、むしろ求めていた。
Sexualityの芽生えだったんだろう。

優子と結婚してからは孤独が消滅した。優子と子どもたちと仕事で僕の日常生活は満たされた。というか、満たされ過ぎた。普段の日常は自由や孤独を感じる隙間もないほど、幸せを感じる暇もないほど、幸せだった(と思う)。
寂しいどころか、その対極のウザい。
時々、出張やゴルフに出かけてふぅとひと息、束の間の独り自由を味わい、家に遅く帰って優子におこられていた。

そして今、思春期に逆戻りだ。
この曲が心情にフィットする。
子ども達が自立して親元から離れ、私の安全弁であった親は老いて、亡くなり。
多忙な仕事も手放し。
何より優子が一番先に去っていったから。

それでも人は周りにたくさんいる。寂しくなんかないはずなんだけど、それでも寂しい。

強がりを言えば、
それで良いんだよ。寂しくて良いんだ。
どうせ死ぬ時はひとり寂しいんだし。
一定の寂しさをあらかじめ保持しておいた方が人に優しくなれる。
前みたいに日常が幸せで忙しくなってしまうと、周りを押し退けてそこから飛び出したくなる。まだパズルのピースみたいにハマりたくはない。

人を求めようとすればするほど、寂しくなる。
それで良いんだよ。
若い頃は、寂しさが原動力となった。
今もそうかもしれない。

お腹が空くと辛いけど、食べ物にありついた時に、とても美味しくなる。
飽食しちゃうと、美味しくなくなるし、太ってメタボになる。
やせ我慢していた方が良いんだ。。。

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