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Friday, March 26, 2010

星が森に帰るように

この3日間、徳永英明のMを強迫的に何度も繰り返し聴いている。前に進めない。
この3日間、夜遅くまでハードな研修だった。しかも明日の講演の準備が進んでいない。

もう叶わない想いなら
あなたを忘れる勇気だけ欲しいよ

優子を忘れる勇気がないんじゃない。前に進めないわけじゃない。
勝手に、前に進んじゃうんだ。

それで良いじゃないか!
自分、もしかしてお前は高度を下げ、まだ山を降りる準備ができてないんじゃないか?
五十を過ぎ、ピークは過ぎたのわかってるんだろ?
ひよっとして、まだ次の山を探してるんじゃないか? 次のキャリアとか、次の愛とか。
まだ、見えないうちからその存在を前提に勝手に心配してる。
もっと焦らず、リラックスできないのか?どんな素晴らしい山行だって、いつかは山を降りるんだぞ?そんなに生きつづけることに固執していたら、高度を下げられないだろ!
降りるというのはな、宝を一つひとつ手放していくことなんだぞ。また別の宝を探し出してきたら、いつまでたっても降りられないじゃないか!
優子を放しても良いんだぞ。

星が森に帰るように、自然に消えて
小さな仕草も
いつまでもあなたしか見えない私も

今までみたいにパンパンに満たさなくても、少なくなっても構わない。
充ちて生きられるよ。
リラックスして、ゆっくり降りて行こう。
宝は探し回るものじゃない。自然に見えてくるよ。
あっても、なくても大丈夫。
ホントに?

Thursday, March 25, 2010

悲しみの発達

Tiki、


私たちの関係のこと、ずっとこうやって考え続けていてくれて、本当に有難う。


Nostalgia to Sadness・・・・
Tiki のブログ空から読んで思ったの。
付き合い始めたころのドキドキする情熱が、時を積み重ねて穏やかで何より居心地のいい情愛に成長していくように、失った悲しみも穏やかないとしさに変わっていくんじゃないか・・・って。
愛情のかたちは、時を経て二人の間で常に変わっていくんじゃないかしら。それは悲しいことじゃなくて、新生児が大人へ成長していくような自然な発達かもしれない。


夫婦の愛情の形は生死の世界を分け隔てても、発達し続けるんんじゃないかな。私への愛情が私を失った悲しみになってTikiに込み上げていたころから、時を経て、Tikiの私への愛情が穏やかないとしい思い出に成長しているんじゃないか?って思ったの。


Tiki のブログに私への愛情が一杯詰まっているのが読めるの。だから、悲しめないことを寂しがらないで・・・
悲しまなくても、あなたの愛情はいっぱい、いっぱい伝わってくるの。
私たちの子どもたちをあなたが全身全霊をこめて愛しんでいる・・・
その中にあなたの私へのメッセージもたくさん読み取れるの。


悲しみが伴わなくても、私はTikiの中に生きていられるようになったのよ、きっと。
悲しみが薄れることは、忘却じゃないのよ。
Tiki がいつか新しい愛に出会ったとき、その人は私のTikiへの影響も含めてTikiを愛してくれているはず。だから、Tikiの中の私をも含めて愛してくれるんだと思うの。私も愛されているわけ。それだけ私はTikiの一部になっていると思うんだけど・・・違うかなあ?Tiki がTikiである限り、私は今のTikiに影響を与えた妻として、ずっと一緒にいられるの。
これからも見守っているね、Tikiと子どもたちのこと。


優子


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まいったなあ。
仕事中にiPhoneでこのメールチェックしちゃったから、職場でボロボロ。
帰りの地下鉄銀座線でまた読んでボロボロ。対面の人、ヘンに思っていただろうなあ。
でも、それでいいんだよ。今の僕にはちょうどよい便秘薬。

昨日から、徳永英明がカバーしたにはまっちゃってね。エンドレスに繰り返して聴いているよ。プリプリのオリジナルより感動する。

...あなたのいない右側に
少しは慣れたつもりでいたのに
どうしてこんなに涙が出るの
もう叶わない想いなら
あなたを忘れる勇気だけ欲しいよ...

きっと焦ってるんだと思う。このままだと、そのうち悲しみが枯渇しちゃうんじゃあないかってね。悲しみがなくなったら、自分が自分でなくなっちゃうようで、恐いんだ。身体の一部だった優子は、もはや悲しみの中でしか出会えないから。

そうだよな。
優子のいうとおりだよ。そんなに焦らなくても良いんだ。
そんなにオレは記憶力に自信がないのか?
きっと、優子のいうように、そのうちいつか無理しないでも、普通になれるよね。
穏やかに大切に、心の中に置いておけば良いじゃないか?

とりあえず、今のところは悲しみの便秘症。出さないと苦しいだけんだ。

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追伸  
って、・・・優子ちゃんあっちでこれ読んでなんて思ってるかなあ・・・?
優子ちゃんの気持ちは私よりTikiのほうがずっとわかると思うので。
十衛兵


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あっちの優子のことなんて、もうどうでも良いんですよ。勝手にいなくなっちゃったんだから。むしろ大切なのは、僕らの心の中の優子。よく耳を傾けたいな。
十衛兵さん、いつもありがとう!

追伸)
優子への愛(=悲しみ)を抱いたまま、新たな愛を育んでも良いの?
もし、新たな愛が僕の悲しみを癒してくれたら、優子への愛は消えちゃうんじゃないの?
それでも良いの?

Wednesday, March 24, 2010

Nostalgia to Sadness

We explore our emotions deeply in our MKP meeting. Last night, I found myself in the group to be less sad than I used to be a year ago. The 一周忌 in last January was very good opportunity for me and all the people there to process our emotion. I have been successful with my mourning journey in that sense, but at the same time, I want to be in touch with my sadness more than I am now. Sadness is the only means I can feel close to Yuko. Loneliness comes in when I am not with 優子. Sadness prevents me from deep sense of isolation. I am physically and rationally ready for a new relationship, but emotionally not. I still want to be with 優子 more than anybody else.

なんか、最近、思うように悲しみが出て来ないんだよなあ。
それは悲哀の仕事をうまくこなしているという良い兆しなんだけど、同時に、まだ悲しみは離したくないなあ。だって、悲しみを忘れたら、優子を忘れることになるから。

Monday, March 22, 2010

卒業生pizza party

卒業生を家に招いて、毎年恒例のピザでもてなす。
僕自身、そういうtreatをされたからね。
小学校の伊藤先生、中学の吉澤先生、高校の斎藤先生、大学の稲村先生、ロンドンでのJohn Byng-HallとRobin Skynner。そういえば、みんな学生だった僕を呼んでくれた。今は、それを教え子に伝えているだけなんだけど。

ちゅけはバレー班の卒業生と焼き肉コンパで不在。
祐馬とじんと一緒に会食した。なぜか祐馬の親友のさえちゃんも合流して。
毎年、学生たちの反応が面白いんだよね。
「先生、家ではホントにお父さんやってるんですね。」
当たり前だろ!まあ、大学では先生しかやってないからね。学生クンたちには興味深くうつるでしょう。
「先生の育った家もこんな雰囲気だったんですか?」
そりゃあ、比較のしようがないけど...
「お父さんとこんなにたくさん話さなかったなあ...」
ああ、そういう意味での雰囲気ね。確かに、僕の育った家にも父親は実在していたよ。
臨床家族で出会う多くの父親不在家族に比べればね。
だから、今までも、意図せず普通に僕は父親として実在してたんだろう。
優子を失い、ひとり親になってからは、もっと意図的に、子どもたちの前にいるようにしているのかもね。...子どもたちのためでもあるし、僕自身のために。

Friday, March 19, 2010

学生たちの晴れ姿

今日は大学の卒業式、そして謝恩会。
卒業生にとっては一生に一度の晴れ舞台。教員にとっては毎年繰り返される年中行事。
学生は毎年入れ替わり新しくなる。教員は代わらず残り、老けてゆく。

振袖+袴姿の女子学生たちは馬子にも衣装。普段はそんな目で見ていないけど、正装すると美しい。始めは淡々と学位記(卒業証書)を渡していたが、ふと数年後の祐馬の姿を彼女たちに重ね、胸に込み上げてきた。「教師の気持ち」より「親の気持ち」の方がずっと迫力あるね。

どうも最近の記事は娘ネタが多いと自分でも思う。優子がいた頃は、父と娘は間接的な関わりでよかった。でも、今、ふたりの関係はモロ真正面から向き合おうとしている。
でも、なぜ娘?息子たちは違うの?
She is so demanding, but boys are not.

松下さん、うちに来てもブログの祐馬ネタ出さないでね。最近、祐馬は全然ブログ読んでないから。

Thursday, March 18, 2010

チャリ墓参と三崎漁港

優子

お正月以来だから3か月ぶりだな。
海外出張キャンセルで出来た予定のまったく入らない一日。どう使おうか考えたけど、優子のところにやってきたよ。ちゅけも期末試験が終わり一緒に来ようかなとか言っていたけど、結局班活が入り叶わなかった。また、子どもたちとカイ君と一緒に来るけど、とりあえず今日はひとりで。

チャリを京浜蒲田で折りたたみ、京浜急行で三浦海岸まで輪行。約1時間の車中が結構使えてね。パートナーを10年前に自死で亡くした友人が、どん底からの回復の軌跡を綴った手記を送ってくれたんだ。仕事モードの普段は読めないけど、こういう時、ゆっくり読みながら、僕自身の回復の旅に思いを馳せることができる。子どもたちやおばあちゃんと来なくても、ひとり旅も結構意味があるんだ。

三浦海岸駅でチャリを組み立て、霊園まではほんの10分で行けちゃうけど、今日はその先、三崎漁港まで足を延ばしたよ。30分程度で大した距離じゃないけどけっこうup downがあってね。それなりの走り応えがあった。ちょうどお昼時、それなりの観光客向けのお店もあってね。マグロを食べてきたよ。おみやげに、今話題の大西洋産の本マグロも買ってきた。

それでも3時過ぎには家に戻り、原稿も多少進めることができた。夕食はマグロの刺身に、エドヒさんレシピの和風ポトフ。圧力なべで20分煮たら肩ロースの肉塊がボロボロに柔らかくなったぞ。

祐馬のKitson

ねえ。今度、オーストラリアに行くのに洋服をギャップで買いたいなあ!
いいよ。おばあちゃんにおねだりしたらいいじゃん。

さっそく、おばあちゃんに電話して週末に一緒に行く約束を取り付けた。

あとさ~、バッグはキットソンのを買いたいんだけど!
なに、それ??
それは、おばあちゃんとは別で。駅ビルにあったから見に行きたい。ついでに飛行機の中で読む本も買う!
じゃあ、日曜日の午後なら買い物ついでに一緒に行けるよ。

というわけで、先週の日曜日、祐馬とふたりで買い物に行った。
お目当てのバックはあったものの、
これ、安すぎる。きっとにせものだよ。やっぱ、ネット通販で買う!
なんで、バッグなんかわざわざ買うの?ママが使ってたバッグがまだたくさんあるから、それ使えばいいじゃん!
ヤダ!ださいもん。
祐馬、自分のお年玉で買うからいいでしょ!
まあ、それならいいけど。

夕食後、一生懸命、ネットで調べている。

祐馬、早くカイ君の散歩に行きなさい!
うん、じゃあ、これ買ってから。パパ、カードの番号入れてよ。
散歩に行ってきたら入れてやるよ。
なんで!!買物先にしてよ!
ダメ。散歩が先だ!
なんで、パパはいつもそうやって祐馬のじゃまするの!?今、散歩行こうと思ってたとこなんだから。先に、買い物済ませたいの!
ダメ。パパの言うこと聞きなさい!

どっちが先でもいいのだけど、お互いに譲るわけにはいかない。祐馬は興奮して泣きながら抗議する。

ダメだからね!
いいもん、じゃあ自分でやるから。
どうぞ!

住所、氏名まで入力するが、クレジットカードのところで止まってしまう。
横にいるパパを睨みつけるが、私は知らん顔。
しばらく踏ん切りがつかない様子だったが、ついに決心して、カイを散歩に出掛けた。
帰って来たら、ふつうの表情。

おかえり!じゃあ、注文してあげようね。
うん。

という経緯の末、昨日、宅急便で品物が届いた。
なんだ、ふつうのバッグじゃん!
お祖母ちゃん⇒ママ⇒からの伝統を受け継いでるね。それとも女性はみんなバッグをいくつも持つわけ?実用品と考える男性は、大きさ別にひと通りあれば十分なのだが、まあファッションの一部ととらえれば、いくつも欲しい気持ちは分からないでもないけど。

パパはね。しっかり自己主張する祐馬は好きだけど、世の中、そううまく通らないからね。100%を追い求める力も必要だけど、小さく傷つき、妥協していく中で60-70%の自分でも認められる力を持ってほしいんだよ。

飛行機用に買ってきた2冊の本はすぐに読んじゃった。

また、別の本、買ってよ!


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我が家でも昨日、同じようなことがあって、同年代のゆまちゃんと重なって見えました(苦笑)

うちは今週の日曜日に小学校の友達と「としまえん」に行きたいと言い始め、私は「よみうりランドならいいけど、としまえんは都市を通るからダメ」と反対。
本人は、みんなのうちはいいって言ってるのにって、引き下がらず。

みんなの家がよくてもうちはダメとお互い譲らず(苦笑)。

結局、一緒に行くと話していたお友達のママから電話が来て、「としまえん」はダメってことになり、遊園地じゃなくてももっとお金のかからないところへ行くようにと、近場の大きな公園を提案したら、あっさり「明日、友達と相談する」ってことでした。

Blogのコメができないので、メールにてコメントでした。




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どこでもあるよね、こういうの。
何のことはない、以前は見過ごしていた日常のひとコマが、今はとても貴重に思えてきてね。

Wednesday, March 17, 2010

春色弁当

菜の花は、近所の八百屋で、半分花が開いちゃったのを安く買ってきた。湯がいてからバター炒め。
豚と玉ねぎのショウガ焼き。
と、キムチ

左がパパ。
右が息子。

Sunday, March 14, 2010

週末のレシピ

時間と気持ちに余裕ができると、食生活にエネルギーが向く。
土曜日の晩は、ラザーニャと野菜サラダ。ハナマサでひき肉を大量に買ってきて、ミートソースとホワイトソースをたっぷり作る。以前は缶詰のホワイトソースを買ってきたけど、小麦粉から自分で作れるようになったぞ>優子!
それに、ほうれん草も加えて、栄養たっぷりのラザーニャ。サラダはSizzlerみたいなアメリカっぽいサラダバー風。生ハムと生ほうれん草、トマト、アボガド、新じゃが、セロリ、きゅうり、アスパラなど別々の皿に盛って自由に取り分ける。
子どもたち曰く、食べ過ぎてメタボになっちゃうよ!
パパは赤ワイン飲み放題でご機嫌!
明日は、ヘルシーにしようね。

今日の夕食は和風。白身魚のみそ焼き、菜の花とカニかまのヨーグルト和え、肉じゃがとぶりあら汁。食後はホワイトデー・セールで買ってきたコージーコーナーのエクレアをじじばばと一緒に楽しむ。

明日の弁当は、アナゴのひつまぶしだ。大葉も買ってきたから、あとは朝に錦糸卵を作るだけ!

ほんとうに向き合うって?

人に向き合うって、本当はすごく勇気が必要なことです。
遠い人はどうでもいいんです。
近い人、親密な人が一番たいへんです。自分の人生に直接関わるから、どうしても多くを期待します。
違いと葛藤を乗り越え、相手に近づく勇気。
相手を信頼し、心配せず離れてゆく勇気。
でも、そうそううまくはいきません。気持ちの負担が大きすぎます。さらに一歩押し出すと、相手に飲みこまれてしまうか、家族の微妙なバランスが崩壊してしまうかもしれません。
条件さえそろっていれば、そんな大がかりなことをしなくても、小手先の修復で十分にやってゆけます。でも、もっと大きな小手先では効かない問題に直面したら、どうしても向き合う勇気が必要になります。

結局、相手に向き合うためには、自分自身と向き合わねばなりません。
自分の悲しみ、後悔、自責と向き合おうとする勇気を、過去の記憶が大きな不安となってくじけさせます。不安感は、大胆な行動を麻痺させます。

自分と向き合うとは?
自分のnegativeな体験(悲しみ、自責、失敗、恐れ、怒りなど)を心の中に隠してしまい込むのではなく、表象に取り出してみて、点検します。比較的軽いやつなら、自己点検で大丈夫です。それまで培ってきた自信や成功体験を使って、OKだよ!と肯定し、negativeからpositiveにひっくりかえしてあげます。
でも、重いやつ、特に自分の生活史の中に埋め込まれたnegativeな体験はやっかいです。その中にpositiveな鉱脈を見つけるのは至難の業。古びた昔の炭鉱に久しぶりに立ち入れば、昔の想い出がよみがえる不快感と、崩壊する恐れに向き合わねばなりません。ひとりでは危険です。その作業を見守り、支えてくれる人がどうしても必要になります。しっかり自分に寄り添い、守ってもらいながら掘り進めると、ふとpositiveのかけらを見つけたりします。そこを頼りにもう少し掘り進めてゆくと、negativeだった基盤の部分自体を、そっくりpositiveに立て直すことができます。