コーヒーを飲みながらPCを立ち上げ、メールをチェックし、昨夜、家でした仕事をUSBメモリに吸い上げる。 今日は比較的ゆっくり。子どもたちの登校を見送り、自分も出勤。
ホントはチャリ通したかったけど、天気予報では夜から降り出す梅雨空。
車で出かける。 カーステレオに、今はまっているSalyuを流し、ひとしきり涙も流し。 仕事は二ヶ所。昼は大学で授業と会議と雑務をこなし、今晩の研修の準備。
締め切りが迫っている原稿には手をつけられず。 夜は車で都心に移動し、研修の講師。 9時に仕事を終え、帰宅。
じんはもう寝てるけど、上のふたりはまだ起きている。週末だもんな。 普段どおり、何の変哲もない一日だったけど、それでいいの? ちょうど6ヶ月前の今日、人生でありえない最大級の変哲を経験したばかりなのに。 何か、特別の日じゃないといけないんじゃないの? みんなを呼んで法要をするとか。 家族で会食するとか。 一日、落ち込んで優子の悲しみにくれ、誰にも会わず引きこもっているとか。 そのいずれでもなかった。 あえて、普通の日だったよ。
だって、全然普通だもん!
いくらでも、元気にできるさ。
うつ症状なんて、ぶっ飛ばせ。意欲・食欲、問題なし。
チャリで鍛えた身体も健康。
子どもの前では、いつもの父親でいられるし、食卓には笑いもある。
仕事はばっちり、グイグイ力強くやっている。
でも、祐馬さあ、桜井さんには悪いけど、この半年、パパの中で、ママがずっと生き続けてるってのも、結構つらいよ。
祐馬の中でもママはちゃんと生きていると思うけど。
てか、ママが居てくれないと、パパはやっていけそうもないというもの事実なんだ。
でも、時々、ママはもう、パパの中から消えてくれないかな、早くどこか遠くに行ってくれないかなと思うこともあるんだ。
だって、現実には居ないのに、心の中に居るのは、とっても辛く、悲しくなっちゃうじゃん。
その深い悲しみは、半年たっても、ぜんぜん変わってないんだ。
悲しみだけ消えて、ママがパパの中に落ち着いて居続けてくれるってのが理想なんだけど、そううまくいかないみたい。
ママはね。この21年間、パパの何の変哲もない生活を、毎日ずっと見ていてくれたんだ。
パパも、ママのこと、ずっと見ていたし。
何も話さなくても、ケンカしていても、海外出張していてもね。
そういう人が、急に消えたんで、パパは生きる基盤を失ったんだ。
でも、本当は、パパは幸せなんだよ。
ママがいなくても、たくさんの人が、パパを見ていてくれている。
じんも、祐馬も、ちゅけも。じじとばばも。
たくさんの友達や、保育園仲間や、仕事仲間や、学生たちも。
それに、このブログだって、きっとまだ知らない、いろんな人が読んでくれているんだろう、って明るい予測を立てることもできる。
こうやって、普通に、元気そうにできるのも、きっと、みんなが支えてくれるからだよ。
それなのに、とっても悲しく、不安なんだ。
ゴメン。それは祐馬たちも同じのはずだよね。
大丈夫だよ。
パパは、ママの抜けた分、二倍にして、君たちのことを、バッチシ見ているからね。
まだちっちゃいカイちゃん、みんなで元気に育てようね!
カイちゃんと一緒に、君たちも、安心して育ちな!
それって違うと思いまーす。桜井さんの事しか言わないけど、その詩の意味って桜井さん自身が「死んだら・・・?」って思ってちょっと不安になったんじゃないの?
ReplyDeleteそう思えば
って言ってるんだからあくまでも桜井さんの思い込みで、そう思ってたらぁー・・・これからの生活、それでごまかせるし、死んでもそう思ってたら楽に死んで行ける
たとえ桜井さんの「君」がなんて思うかなんてそれは「君」の自由なんだしね。
パパが「君」!!ママが桜井さん!!(ママがどう思ってるかはしらないけど)
by 祐馬
そっか。桜井さんのは乗り込む側の気持ちなんだね。
ReplyDeleteパパは、乗り込まれた側の気持ちを説明しいたんだよ。
祐馬、するどい!
そういう意味じゃあ、ママも生きている時、桜井さんみたいに思っていたかもしれないよ。ママは心臓の病気があるから、いつ逝くかわからないかも、っていう不安は、いつも持っていたと思うんだ。そんなこと、あまり言わなかったけど、時々、その片鱗が見えたりしてたからね。
でも、ママは自分が死んでも、子どもたちやパパの中で生き続けるから大丈夫って、言い聞かせていたかもしれないよ。そこまでパパのこと信頼していたかどうかはわからないけど、少なくとも祐馬やちゅけやじんの中には、確実に生き続けてるでしょ?祐馬の心の中のママちゃん、大切にしてあげてね。
ちょっと重い?