13回目の命日も、スキーに行ったよ。
元旦と二日は双方の子どもたち4人が集まりガヤガヤにぎやかに。
三日はちゅけだけ残り、奥利根スノーパークへ行ってきた。
ちゅけはスノボ。私はスキー。
由美も一緒についてきた。
レストハウスがリフトで一段上ったところにあるんだよね。
そこまでキャーキャー言いながらリフトに乗って。
僕らが滑っている間は、レストハウスでケイタイいじって待っている。
いじらしいよね、そこまでして僕にくっついてきてくれるんだよ。
元旦と二日は双方の子どもたち4人が集まりガヤガヤにぎやかに。
三日はちゅけだけ残り、奥利根スノーパークへ行ってきた。
ちゅけはスノボ。私はスキー。
由美も一緒についてきた。
レストハウスがリフトで一段上ったところにあるんだよね。
そこまでキャーキャー言いながらリフトに乗って。
僕らが滑っている間は、レストハウスでケイタイいじって待っている。
いじらしいよね、そこまでして僕にくっついてきてくれるんだよ。
いつまでこうやって祈念日の記事を書いているんだろう?
第一、ブログだってほぼ書いていないし。
父親と母親の場合、命日の日取りさえ覚えていないし(Googleカレンダー見ればわかるけど)。
仏教式なら十三回忌。
でもこれは12年目にやるわけだ。
このブログって僕が死んだ後も残っているんだろうか?
亮子のFacebookも誰も何もしないから残っているもんな。
それは、それですごいね。
紙の本は当分は残るけど、そのうち紙が焼けて無くなっちゃうし
電子媒体なら、残そうと思えばいくらでも残るか?
ま、そこまで残す意味もないんだけど何となく安心だったりして。
このブログも、そんな感じで過去の遺産になってもいいのかね、もう。
他に書いているブログがいろいろあるし。
子どもたちは成長してるし、ここに留まる人は誰もいないんだよ。
そうやって前に進んじゃうのね。
それで良いのでしょう。。。
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