だいぶ前から、ずっと言い続けてたよね。
そうなんだよな。
クラス会とか飲み会とか、昔の友人たちにはもう10年くらい前から言ってたかなあ。
私としては、
確かに、ふつうそう思うよな。
せっかく訊いてくれたから、少し整理して考えると、、、
★僕がやりたいことをできる大学じゃなかったから。
精神科の臨床、特にカウンセリング(心理療法)
そりゃ、贅沢だ!と言われればそうなんで、研究内容・
もっとやりたいことに集中したい!
やりたくないことはやりたくない!
本を読んだり、原稿を書く時間がほしい!
というあたりでしょうか。
★大学でなくてもできる。
じゃあ、
僕の研究は、いろんな患者さんの話を聞いて、
日本じゃ少ないけど、欧米では個人開業して、学会に出て、
5分診療で、たくさんの患者さんを診て、
まあ、
★職人芸
私のやってることは、
★社会に貢献する。
なんてことをだいぶ前から考えつつもダラダラ大学人をやっていて
社会に貢献するって、
私の分野は、精神的な危機を救うみたいなことですから、
うつ病とか統合失調症とか医学的病気としての精神的危機は薬で治
喪失とかトラウマとか不登校・ひきこもりとか夫婦不仲とか、
私が本や論文を書いて、
数限りある患者さんしか関われなくても、「苦しいのが治りました!
★定年後の見通し
65歳の定年後は、
65歳すぎてからよりは、
これで答えになってる?
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優子さんと一緒にオフィス探しを始められ、
そうなんだよね~。
記録を振り返ってみると、具体的に動き出したのは、優子が亡くなるほんのひと月ちょっと前だったんですよ。自分でも気が付かなかった。
・2008年11月23日に優子と一緒に開業フェアみたいなのに行ったんですよ。
東京国際フォーラムの会場に、医院開業関連企業みたいなのがたくさんブースを出し、
これから開業しようとしてる医者が集まり打合せするわけ。
家を持とうとする人の住宅展示場みたいなもんだね。
開業とか僕はぜんぜんわからないから優子にもついて来てもらって、ふたりで見て回ったんだけど、いまいちピンとこなかったんだよね。医療器具とか、他の医院と重ならなくて人が集まる立地調査とか、看護師さん募集要領とか、僕の場合にはあまり関係ないことばかり。
今日、来ても収穫はあまりなかったね。これからどうしようかねえ。
なんて優子と昼ご飯を有楽町で食べながら相談していたことを覚えている。
その時点では、いつ開業しようかなんていう具体的なプランはなかった。
その2か月後に優子が亡くなり、開業どころじゃなくなった。
でも、記憶があいまいだけど、優子を失って3ヶ月後くらいには、具体的な時期を決心していたと思う。たしかリカちゃんにも話してたよね。
2009年度の新学期が始まり、まず学部長に話したんだ。人事関連はとても大変なことはよくわかってるから、早めに伝えとかないと大学に迷惑をかける。今年度、そして来年度の末に辞めさせてもらいますと、2年間弱の余裕をもってお伝えしたんだ。でも、その時点では学部長、どうせ妻を亡くしたショックで変なこと言ってんだろうみたいに思ってたんじゃないかな。
その秋には、一番近くで仕事をしている同じ分野の准教授に意向を伝えたら、とてもびっくりして、そんな~、絶対やめないでくださいと懇願されました。確かに僕の抜けた穴によって一番影響を受けるのは彼女でしょう。どうも済みません。
で、2010年度の新学期になり、学科会議で「辞めま~す!」とオープンにしたんだ。
さあ、具体的に動き出そう、と思ったけど、何から始めていいかよくわからない。
オフィス引っ越しのコンサルタント会社3つくらいと相談し、学生時代の友人の税理士さんとも相談したけど、そんなに急ぐ必要もないことがわかった。
忙しくなったのは2010年の暮から。
物件探しを始めた。不動産屋が見つけてきた物件を見て回り、20件くらい見た段階で、今の物件に決めて。
それから、契約(これも結構面倒で時間がかかる)、内装のプランニング、設計、そして工事。
仕上がったのが5月末で、今週が内覧会。来週から開院!
なんか、長いようで短い道のりだったなあ。
ついにやっちゃったよ、優子。
優子がいなくたって、できたぞ。
でもまあ、よりによって優子の喪失で人生一番つらい時期に、人生一番大きな転換期をぶつけなくたって良かったのに。
開業プランはもう少し塩漬けにして、2-3年引き延ばしても良かったのに。
そう、そうしても全然かまわなかったんですよ。
でも、心情的には、優子を失ったからこそ、今、動かざるを得なかった。動きたかったんでしょうね、きっと。
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