感受性訓練の一環として、自分の子ども時代を振り返るワークを展開した。
見本を示すために、まず僕がやったのだけど、父親との関係について話した。
僕の妹が生まれてから、小学校に上がる前後まで、パパのおっぱいを触りながら寝ていた話。
これは、著書にも書いた話で、僕としては、止めたくても止められなかった恥ずかしい子ども心という文脈でしゃべったのだけど、グループメンバーからは僕の思惑とは全く違い、子どもにずっと付き添っていた父親の愛情というフィードバックをもらった。
確かにそうだよな。でも、僕は今まで気がつかなかった視点だ。
父親不在、希薄な父子関係が巷に氾濫する中で、僕はしっかりとした父との愛着関係を築けたのだろう。
優子というかけがえのない愛着対象を喪失した逆境になんとか耐え忍げている根底には、両親との確固とした対象関係が土台にあるからだろう。
それは、過去の体験ばかりでなく、現在でも続いている。
土曜日は、仕事の僕に替わり、ちゅけの高校の保護者会に80歳になろうとしている父親が出席してくれた。週末なのに、出席したのは父親が一人だけで、あとは母親ばかりだったんだって!
父親さえ出にくいところへ、祖父が出てくれるなんて!!
仕事を抜けられない僕に替わり、小中高、いずれの保護者会や学校行事にも参加してくれている。
子どもと孫たちに向けられた、この深い愛情が、僕らを支えてくれているよ。
日曜日、父の好物のスイートポテトを買って帰宅した。
子どもたちが父の日を祝ってくれるのはもう少し先だろうなんて両親と話していたら、3人の子どもたちが突然まとめてやってきて、子どもたちの手作りカードと、祐馬の手作りケーキと、ちゅけが通信添削の賞でもらったシャープペンを恥ずかしそうに手渡してくれた。
僕がカードを読んでいると、ちゅけは恥ずかしそうに席をはずしちゃった。
祐馬:「パパ、また泣いたら!?」
僕:「もう、泣いてるよ!」・・・とうっすら感動の涙。
僕が受けた愛情が、子どもたちにもしっかり伝わっていることを確認できた、ほっと安堵の父の日でした。
本当に、いい子たち。
ReplyDeleteパパがどんなに頑張っていたか、しっかり見ているんだね。
よい父の日じゃ(涙涙)
なんだかとてもホッとする父の日情景。
ReplyDeleteしっかり受け継がれていくんですね。
子どもってホントよく見ていると思います。
子どものタイプによるのか?育ちによるのか?
・・・分けて考えることはきっとできないんでしょうね。
回りの大人ができることは、子どもの個性に寄り添って、生きる力をどれだけ大切にできるかどうか、、、おじいちゃまが自然にされてきたことだと思うのですが、それを自然にできる大人って、今の世の中、意外と少ないんじゃないかな(自分も含めて)と。
そんな視点からも、保育園仲間は貴重なんだわ~、、、とよく思います。
子どもって、親なしでは生きていけませんものね。どんなタイプの子でも、どんな育ちをしても、親のことホントよく見てると思いますよ。
ReplyDelete逆に、親は子どもなしでも生きていけるから、子どもをよく見ている親がいる一方で、あまり見ていない親も結構いますよね。というか、どうやって子どもを見たらよいのかわかっていない親とか。どうやって子どもを見たらいいの、接したらいいの?そばに仲間がいて、親子のやり取りを見てると、ああ、そうすればいいのねみたいに、パクることができたりして。
昨日は、小学校の公開授業だったんですよ。ちょっとだけ顔を出すつもりが、保育園仲間に廊下や校庭で出会ってね。「もうすぐ、ワンちゃんが来るんだ~」なんて楽しいおしゃべりでした。