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Wednesday, November 13, 2013

The 50th Birthday

50回目のBirthdayおめでとう。そっちに行ってもうすぐ5年だな。もうあまりこっちに来なくなったね。

お墓参りもあまり行けずゴメン。まあこっちの生活が忙しいし、そう度々来られても困るだろうしな。
ちゅけはダイビングに夢中みたいだ。もう彼自身の世界だから親が心配しても仕方ないね。何かに夢中になるのも大切な体験ではあるだろう。
祐馬は来年の今頃はアメリカに行っちゃってるよ。天国と札幌とアメリカと、離ればなれは寂しいけど気持ちが繋がっていれば大丈夫だよね。
じんは世の中の厳しさに直面しながら今がんばってるぞ。

洗濯機を買い替えるぞ!優子がいなくなってからずっとおばあちゃんに頼っていたからね。そうやって、みんな自立していくんだ。悪いけど優子からも離れていくぞ。絶対に忘れはしないけど。


Sunday, November 10, 2013

ふらふら病

そう、フラフラしすぎなんだよ。
1泊で済む仕事の前後にくっつけて3泊してしまなみ海道往復とか。
学会出張の名目で海外をフラフラしたり。

もともとオレはフーテンの寅さんなんだと思う。
でも、寅さんや壇一雄に比べれば遁走したって規模の小さい、他愛ないものだ。

ひとところに落ち着けず、現状に満足できず、もっと他に良いことあるんじゃないかと、あちこち可能性を追い求めてフラフラする。
いや、別にbetter chanceを求めているわけではない。現状がダメなわけではない。十分にOKでしょ。でも飽きてしまうんだ。
外向的とか発展的とか言えば聞こえは良いけど、要するに落ち着かないんですよ。
高校時代にアメリカに1年間行っていたのが良くなかったな。
日本からアメリカへ現実を総チェンジして、良い体験を得てしまった。
それが、現実を入れ替えるクセがついてしまったんだ。
Flying Doctor、空飛ぶ医者。国境のない医師団みたいに。但し、オレは人類の平和のためにフラフラしているわけではない。自分自身の平和のためにフラフラしている。
もともと男には放浪癖があるんですよ。あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、落ち着くことがない。
だって、その方が楽しいじゃん!

ひとつのところに停滞するのは死を意味する。
学生時代に「今日が昨日と全く同じであることが理想だ」という友達がいて、彼は公務員を志望していた。
俺はちがう。カメレオンと同じなんだ。静止ている獲物は認識しない。
虫が動いたら、自動的に捕食行動が惹起される。
犬と同じだね。相手が目の前でじっとしていると何もしない。相手が逃げると追いかけはじめる。

よくそんなことやっていられるわね!
そうだよ。愛着というアンカーで僕を繋ぎ止めていた優子がいなくなったからじゃないか!優子の責任だからな。天国で反省していなさい!!
結婚して、家庭を作って、子どもを産み育てて、、、
糸の切れたタコの親じゃ困るでしょ。
優子がいたからオレは根を張っていた。
でも、優子が居なくなり、子どもも空に飛びたとうとしている。
子どもも老親もいる。
子どもがもっと幼かったら、子どもがアンカーになり得た。
でも、子どもたち自身が今は北海道に、アメリカに、高校に風船のように頼りないけどそれなりに飛び立とうとしている。
今、根を張らねばならない事情はあまりないんだよ。全くないわけではない、あるのだけど、子どもが小さい頃よりは、奥さんがいた頃よりはそんなことしなくてもいい。

その一方で、Professional/occupational self はしっかり自前のアンカーを作って根を張っている。その部分では問題ない。いや、だからこそハンドルのあそびを得ようとしているのかもしれない。

問題はPersonal selfの部分での立ち振る舞いなんだ。
じゃあ、いったいオレはどうしたいんだ?
今のままフラフラ気球に乗って彷徨いたいのか?
あるいは碇に繋がって母港に停泊したいのか?
まあ、人生の航海も終盤戦に近づいている。
遅かれ早かれ廃船の時は来る。
最後の航海は今しか出来ないのなら、もう少しフラフラしてもいいかな?
てか、いつまでフラフラしているつもりなんだ?
優子の責任だ!
いや、優子のおかげだ!

Wednesday, November 6, 2013

久しぶりに優子が出てきた。

来島海峡大橋はしまなみ海道で一番大きな橋だ。第一、第二、第三と3つの橋が連なり、全長4キロ、高さは65メートル。対岸は遠すぎて見えない。斜め前方は大海原。見下ろすと来島海峡の渦潮が見え、大きなタンカー船も行き来する。
渦潮を眺めていると海の広大さが広がる。ここを自転車で疾走していると、空を飛んでいる感覚になる。

この海は全地球に繋がっているんだ。連想がどんどん広がる。
沖縄の海にも、久米島のはての浜にも繋がっているんだ。
そこに4年前に撒いた優子の灰は、全世界の海に回っているのだろうな!

じんが出てきた。
冷たくなった優子の身体がスキー場から戻り、家の居間で寝ている。
おやすみ!
じん、ママにおやすみ言うか?
ふだん感情を表さない小4のじんが、冷たくなった優子の髪を愛しそうにそっと撫で、
おやすみだけを言うはずが、
「ねぇ、ママ〜、お願いだから生き返ってよう〜〜!」
泣き崩れたじんを私が抱きかかえようとしても、もがいて私の手をすり抜けようとする。
じんが泣いた姿を見せたのはこの時だけだった。私はしょっちゅう泣いていたけど。

ついで、葬式の場面が出てきた。
MKPの仲間とともに天の優子を引き摺り下ろし、優子に話しかけるシーン。
まず、私が見本を見せて、子どもたちとお義母さんにもやってもらった。
「ふざけるな!!」
空に向かって再び叫んでいた。
「優子が心臓悪いのは知っていたよ。でもこんなに早く逝くことないじゃないか!」
このシーンは知人に頼んでDVDに録画されているはずだ。未だそれを観ていない。永久保存版。消えて欲しくない、保存しておきたい。その思いから録画を頼んだ。まだ観る気はしない。観なくても、心の中にしっかり保存されているからその必要はない。
サングラスの下で涙が頬を伝う。

対岸に着き、橋を降りればもう出てこない。現実に戻る。
残りの5つの橋でも出てこなかった。他の橋は来島海峡大橋に比べれば短いんだよね。対岸が見える。空を飛ぶ感覚は消えてしまった。

後日談)「来島海峡大橋」をいろいろググっていたら、建設中の1998年に橋げたが落下して7名の工事関係者が犠牲になる事故があったのね。その後も自転車レースで歩行者の死者が出たり。
栄光の裏には影がある。このあたりの空には多くの魂が飛び交っているんだ!

Saturday, November 2, 2013

愛着を手放す辛さ

ちゅけは札幌で元気でやっている。ダイビングに夢中だ。
「良識ある大人」の目線ではちょっとやりすぎ、常軌を逸している。やるべきことはちゃんとやっているのか?
若者の目線からすれば、熱意を打ち込める対象があって良いんだよ。うまくいって自信を獲得し、失敗から学ぶことができる。彼女にのめり込むよりはダイビングの方が安全だろう。自分自身の経験からしても。
だから、何も心配することはない、、、と理屈では考える。
大学もちゃんと行っているし(成績までは知らないが)、ダイビングも、バイト仲間も、しっかり適応できているじゃないか。

それなのに、あいつから離れる時が辛いんだ。
全をひとり北の大地に残し、東京に戻る時。
心がひよひよする。さみしいわけでわはない。
あいつを残してしまって大丈夫なんだろうか?
自分てやってゆけるんだよな。
でも本当に大丈夫なのか?フォローしなくていいのか?
何かあったら責任をとらないといけないんじゃないか。

親が子どもを離す辛さは保育園に子どもをあずけ始めた頃からあった。
冬、園の寒い板の間に震えて泣いている(ように見えた)。彼を保育園に残して仕事にいかねばならない。保育園でちゃんと面倒を見てくれるだろう。もちろん信頼している、、、というか信頼したい。任せなければダメなんだ!

去年、入学時にはキャンパスを一緒に見に行った。アパートの家財道具を買いに行った。夏には妹弟を連れて行った。あいつがちゃんとやってるか確認しなくちゃいけない。信頼してるよ。でも、見届けないといけないんだ。

これって日本人的な心性?
オレオレ詐欺は日本に特有でしょ。

子どもがダメになっていくシナリオを作ってしまう。
「君はOKだよ」という方が辛い。
子どもを手放し、関われなくなってしまうから。親の心配の行き場を失ってしまう。

「君はまだダメだ」という方がまだ楽なんだ。
親が心配しないといけない。親が子どもにかかわり続けることにより、親の心配を子どもに投影することができる。その方が、親はまだ良いんですよ。

Friday, October 11, 2013

札幌の夜

Uさんが学会に呼んでくれて札幌に来た。
昨夜、千歳空港に着いてちゅけを呼び出し、ばかでかい駅ビルのユニクロで買い物。
おとん、ダッフルコート買ってもいいかな?
おぅ、いいよ。
ふたりの息子は素直なんだよな。草食系か?親に反抗しないのか?
その分、ひとりの娘が十分に反抗してくれる。彼女は肉食系だよね、まだevidenceはないけど。
ハラ減った!
昼メシ食ったんだろ?
いや、、、
朝メシは食ったんだろ?
いや、、、
おまえ何やってんだよ!パパはこれから友だちからジンギスカンを一緒に食おうと誘われているけど、おまえも来るか?
おぅ!
マブダチ夫婦はちゅけの赤ん坊時代から知っている。
ちゅけが1−2歳の頃、一緒にハワイ行ったの覚えてる?
いや、さすがにそれは覚えていないけど、、、
肉を気持ちよいほどたくさん食べて、次はちゅけのバイトしている居酒屋に行くか!?
おぅ!
ちゅけの案内で店に入ると店員仲間がちゅけを笑顔で迎えてくれる。
ああ、こいつは皆から受け入れられているなぁ、、、父親はついこと細かく観察してしまう。
いつも厨房だから客として入るのは初めてなんだよね。
社員割引で料理は半額にしてくれるって!
二十歳まであと4ヶ月だけど、良いよな。梅酒を2−3杯飲んでいた。
パパも生チュウを3杯いったかな。
それが昨夜。

今日の学会講演を終えて、ちゅけのアパート近くの安ビジネスホテルに泊まる。
おまえの部屋に泊まれるか?
いや、それは無理。散らかっているから。
夜に部屋を訪ねる。まあ散らかってはいるけど、パパの学生時代の経験があるから何も言えない。
もうメシは食ったのか?
おぅ。友だちと食ってきた。
明日はどうするんだ?
午前中からバイトだ。
明後日の日曜日は?
ダイビング。
えっ、この季節にもまだ潜るのか?
うん。
一人暮らしを始めて1年半。まあ仲間も居場所も確保して、それなりに適応しているようだ。
昨夜は一緒に飲んだ。サシではなかったが、大人の仲間に違和感なく入ってくれるのが嬉しい。
今晩もまた飲むわけにもいかないしな。アパートで小1時間もいれば男同士話題も尽きてしまう。じゃあ、パパはもうホテルに戻るから。次に会えるのは正月か成人式の1月だな。それまで頑張れよ!、、、って何をどう頑張るわけ、と自問自答。握手をして部屋を出る。
べつにおまえのことを心配したり詮索するつもりじゃあないんだよ。ただ、一緒に居たいだけなんだ。
子どもは親のアイデンティティだ。
そのアイデンティティを再構成して、親は家族ライフサイクルを進めていかねばならないと、昼間に学会で講演したばかりじゃないか!
そこに不安感が含まれていると、前に進むことは困難になる。

ひきこもりのA君のお母さんは、「母子分離が出来ていない」と数年前まわりから言われたことがトラウマのように残っている。母親が思いっきり心配する息子から離れろというのは拷問に近い。

B子さんは最近、調子が悪い。主治医の私から見ればそれも一時的なこと、立派に成長してますよと伝えても、両親は不全感を抱き、B子さんを心配し続ける。親役割から卒業できないんですよ。夫婦仲が悪かったことがB子に影響しているのでは、、、子どもへの贖罪から離れることができない。子育てという全課程を修了しないと、修了証書をもらうことができないんですよね。

親の気持ちが痛いほどよくわかる。ちゅけは心配ないはずだ。ちゃんとやれている。不安を抱く必要はないはずだ。私は楽天的で不安の少ない人間のはずじゃなかったのか?
でもでも、親の不安は理屈を超えて存在し続ける。
子が親から離れる方がよっぽど楽だ。少なくとも私の経験からすると。
親が子どもから離れる方がよっぽど難しい。
愛着ってそういうものなのだろう。
それでも目の前に居なければ、忘れることができる。
目の前に現れると、愛着が再構成され、喪失感を毎回味わう。
なんだ、これは祖母がお盆の里帰りから東京に戻るとき、いつも流していた涙だったんだ。女性はいいよな、おばあちゃんは良かったよな。そうやって表現できるから。
私はせいぜい握手とブログでしか表現できない。

優子の4年9ヶ月も、結婚記念日(何回目かも、もう数えない)もブログに書き留めることができないまま通り過ぎてしまった。愛着対象が目の前に居なければだんだんと忘却できるんですよ。いまは愛着というより執着だね。
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一昨夜は、大変頼もしいご子息にもお会いでき、本当に楽しかったです。

私も、よその子だったら頼もしいと思うと思います。
でも、自分の子はそうは思えないんですよ。
ちゅけのプラス面も見ているけど、不十分な面だってたくさん知っているし。なにしろ、ゼロからスタートしたんだからね。
それは、親自身の不十分な面にも繋がるわけです。

Monday, October 7, 2013

学生時代の仲間とテニス合宿

もう12-3年続いているだろうか、毎年秋に大学時代の仲間と1泊泊まり込みでテニスをしている。
大学5-6年生に国家試験を控えた自主勉強会の仲間5人+高校山岳部の仲間。気の置けない学生時代の仲間だ。
軽井沢は既に紅葉が始まっていた。
学生時代もよく授業をサボりテニスをした仲間たちが、30年後も同じようにテニスをしている。汗を流して、温泉に浸かり、マッサージで筋肉をほぐし、ホテルでビュッフェ・レストランで会食。その後は部屋で遅くまでワインを傾け昔話に花が咲く。
類は友を呼ぶ。私以外はみな外科に進み、運動が好きな体育系。そんなオトコたちの青年期の思い出話は他愛ない下ネタばかり。何歳になっても童心(?)に返り、普段のマジメな社会人・家庭人の鎧を脱ぎ、心おきなくそういう話をできる仲間は大切だ。

学生時代、私はどちらかといえば劣等生だった。自信を持てず、不安を抱え訳のわからないまま突っ走っていた。傍から見れば国立大の医学部はエリートコースだろうが、当事者たちはそうは思わない。
卒業試験に通るか、国家試験に受かるか、医者になれるんだろうか、何科の医者になるんだろうか、自信も保証もなくただ多分どうにかなるだろうという期待と希望で不安を押さえ込んでいた。
勉強に自信がなかった私は内科を選ぶこともできず、体力でカバーする外科か産婦人科かなと思ったけど、なぜか精神科を選んでしまった。ホントに精神科で良いんだろうか?国家試験受かるんだろうか?

連中と一緒にいると、そんな学生時代の漠然とした不安がよみがえってくる。彼らは一緒に勉強も悪いこともするちょいワル仲間であり、ライバルだった。何度も何度も繰り返される試験をこなし、通るヤツと、落ちて追試を受けるヤツ。私は追試の常連だった。
そして30年後の今は、開業して儲かっているヤツ、大きな病院の外科部長でがんばっているヤツ。みんな成功している。まあ、こういう場に出てこれるのはそれなりに上手くいってるという自負を持てるからなんだろう。

本当に児童精神科で良かったんだろうか。
紆余曲折があって、今に至っている。成功も失敗もたくさんした。
もっと別の道を選択した方が良かったんじゃないだろうか。
この人生で良かったのだろうか?
普段はそんなこと言っていることはできない。不完全な自分の力を信じて前を見るしかない。

連中と一緒にいると、まだ若く不安だった頃の心情に戻ってしまう。
ちょっと辛いのだが、自分の原点に戻る貴重な機会なんだよな。
何しろ彼らと一緒にいると安心する。
優子を失った時も、いち早く駆けつけてくれた仲間だ。

また、来年の秋には再会する。
それまでは会うこともないだろう、きっと。

Monday, September 23, 2013

停滞の週末

シルバー・ウイーク。
この2回の連休は全くどこも出かけずずっと家にいた。
こんなことホントにめずらしい。
基本的に私は狩猟民族なのか、男の性(サガ)なのか、フーテンの寅さんなのか、じっとしておれず、ウロチョロしないと落ち着かず、こんなのんびりペースは耐えられないのだが、幸か不幸か来週から年内の週末はほとんど泊りで家にいない。明日からも仕事が立て込んでいる。
だから、のんびり停滞の週末を受け入れることにした。

子どもたちは出払っている。
パートナーでもいれば何かするのだろうけど、それもいない。
ヒマだ~!

しかし、こういうのが貴重なんでしょ。少し自身を落ち着けて、集中して本を執筆できる良いチャンスでしょ。来週の講演の準備を時間をかけてpreziで作ることができた。
あとは、こんなブログ書きに逃避しないで、本の原稿を書かねば!

Thursday, September 12, 2013

熱き心

優子を失い、なぜこんなに辛かったんだかやっと分かった。
私は熱く突っ込むタイプだったんだ。
若い頃、優子をゲットする期間は四六時中優子のことを考えていた。だから付き合い始めて結婚するまでの3年間、毎晩電話して小一時間しゃべっていた。
必死に嬉しかった。

結婚して僕の一部になったらは敢えて考えなくなった。
そこにいるのが当たり前だから。

そして優子が亡くなり僕の一部から無理やり切り離された時、優子のことを四六時中考えていた。必死に悲しかった。

そんなに必死にならなけれはもう少し楽だったのか?
でも恋愛ってそういうものなんじゃないの?
少なくとも僕はそう思うけど、、、

from iPhone

Friday, August 23, 2013

じんの体操大会

なるほど。ここにもyoutube経由で動画を載せられるんだ。

小5から地域の体操教室に通いだし、今回初めて大会に出場した。
じんは言葉が少なく、自分のことをあまり言わないからなぁ。
でも、途中で飽きることなく中3の今までずいぶん続けたよな!
パパも年1-2回、体操教室内で開かれる発表会には顔を出したりしていたけど、じんがどれほどうまくなっているかとか知らなかったよ。

でも、上のクラスに行けたとか、喜んでいたよな。競技クラスになり、それも競技クラスBから、競技クラスAに上がり、いつの間にかこんなになっていたんだ。

じん自身にしてみれば「失敗だ!」と言うけど、そりゃあ周りにもっと上手な仲間もいるだろうけど、パパにしてみれば十分過ぎるほどすごいことだよ!パパだって、中学の柔道部はずっと補欠選手で大会に出ることは3年間なかったんだ。でも、そんなこと関係ないよね。じん自身の達成なんだ。
祐馬の水泳にちゅけのバレーボール。いくつかのスポーツを試してみた後に自分の好きなスポーツを見出すんだね。良いことだと思うよ。

でも、ちょっと待てよ。じんは体操、小5のいつ頃から始めたんだっけ?
4月から。。。

ということは、ママが死んだのが小4の冬だったよな。その3ヶ月後に体操を始めたんだっけ?
そうだよ。

そうだったのか。パパもそのことはno careだった。
よく続いたよな。
でも、どうして体操を始めたの?
ママを失ったことと何か関係あるの?

と尋ねても、寡黙なじんは何も答えない。
そうだよな。そうやって大人はすぐにママの死を何でもかんでも結びつけようとするね。
じんにしてみれば、そんなこと関係なく、たまたま興味を持っただけだよね。わからないけど。

Saturday, August 3, 2013

4年7ヶ月


30年ぶりで会った皆は、素敵に時を重ねていて、若い頃より努力した輝きがましていて、とても魅力的でした。

確かにみんな「若い」ですよね。というかみんなと会って、若い自分に戻れるんじゃないですか。
若い頃はみんな輝いていた。それ以降、それぞれの道でがんばって、何度も挫折して、立ち上がり、なんとか辻褄を合わせて生きてきているんじゃないでしょうかね。
 

これって、優子ちゃんのおかげなんだ・・・って改めて思いました。優子ちゃんのことで皆が集まって・・・皆は、それからずっと一年に一回集まっているって、優子ちゃんがこの世に残して行ってくれたかけがえのない宝なんですね。

①確かに優子がきっかけだったかも。
悲しみ、あるいは心の痛みって、人を結びつける作用がありますよね。
優子の仲間たちもそうみたいです。
痛みを静かに共有できるって、辛いけど良いですよね。

②あと年齢もあるよね。
私のまわりでも、中学、高校、大学時代のクラスとかクラブとか、40代の半ば過ぎくらいから会うようになりました。仕事も子育てもひと段落する時期というのもあるし、人生にメドがつく時期なんですよ。それまでは一生懸命登っていたんです。昔の友だちっていわばライバルでしょ。登っている最中はそいつらに会いたくなかった。でも、人生の競争から降りたら肩を抱き合えるんですよ。レースのゴールを切ったら、競い合っていた選手たちがお互いを讃え合えるようにね。

③ネットの影響もあるね。
電話で話し合うほどでもないし、人数は多いし、往復はがきを出したり、ネット以前は集まるのも大変でした。今ではメーリングリストとかFacebookとか年に1回集まる時だけでなく、いつも情報交換して話し合えるようになりましたからね。この影響は大きいでしょ。