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Thursday, January 3, 2013

4年目

お墓参り、前回いつ行ったっけ?
忘れた、、、
ホント、久しぶりだよね。寒かったけど海が澄んでいて奇麗だったね。途中の高速道路からは白い富士山もくっきり見えたし。
ちゅけはもう札幌に帰っちゃった。祐馬とじんと3人でお墓参り。
帰り道に今晩のお魚でも買おうかと思ったらマグロ市場はまだお正月休みだった。市場が開いていないのかね。午前中から出かけてお昼には戻ってきた。じんはおじいちゃんと書き初めの宿題。祐馬とパパは本門寺に初詣。そうだ、カイ君も連れて行こう。

(年末の会話)
ねえパパ、1月3日どうすんの?
いやあ、どうしようかね。特に考えてもいないのだけど、、、。何かしたい?
祐馬、わざとらしいのイヤなんだよね。みんなと集まって楽しくやろうよ、、、
じゃあ、保育園の連中を呼ぼうか。
だれを呼ぶの?
Aさんと、Bさんと、Cさんと、、、
Dさんは?パネル作ってくれたんでしょ!?
そうだね、いいよ、呼ぼうか。でもあまりたくさんだと大変じゃん!
だって、ママが死んだときは部屋中いっぱい人が来たじゃん!
まあそうだけど、そこまでしなくてもいいんじゃない!?

残念ながら、年ごとに優子を想うintensityはどんどん落ちていく。
「あの時以来、時間が止まったままです、、、」
とよく言われる気持ちはわかる。しかし私の場合、進んで欲しくない時と、否応なしにずんずん進んでしまう時とのギャップに悩んでしまう。
子どもたちは良いんだよ。どんどん進みなさい。どんなに変わったって、成長したって、Childhood Memoriesは消えるはずない。ママの記憶も消えるはずない。45歳のまだ元気なままのママのmemoryで凍結させることができるね。おばあちゃんにならなくて済んだから優子はラッキーだ。私も心配することはないのだろう。どんなに進もうが変化しようが、優子の記憶は変わらず保存され続ける。

PTSD (=Post-Traumatic Stress Disorder)の逆バージョンがPTG (=Post-Traumatic Growth)なんだそうだ。Singaporeでのプレゼンテーションでは震災後の日本文化の復興をPTSL (=Post-Traumatic Stress Life)という造語で説明した。病気になっては困るけど、ごく普通でいいんだ。超楽観的な欧米的価値観ではすぐ「成長」したがるが、なにも成長(grow)しなくたっていい。

でも、確かに成長はしたのだと思う。優子を失ったストレスに向き合い跳ね返すために、何かが必要だった。優子を失わなければ、その何かを発動する必要はなく、平穏無事な生活で事足りたのだ。それは何か?

1)人々との出会い・サポートネットワーク。
 一番大切な関係の喪失を埋め合わせるため、たくさんの関係性を築いてきた。子どもたちとの関係。ふたつの腎臓の一つがなくなり、残った一つしかなくなった。そりゃあ大切でしょう。子どもたちにとっても、父親にとっても、重要度は増した。母親に次ぐNo. 2のparenthood statusからNo. 1 (Only One)に格上げされた。
 老親との関係。孫と関わる大切な役割を担ってもらっている。
 保育園仲間から、友人から、教え子から、講演会の聴衆まで(この4年間、優子ネタを相当使ったし)。そしてブログの読者。多くの人を巻き込み、私のsecurity networkを作っていった。優子を失わなければ、ここまでやる必要もなかったのに。

2)物語の創造。
 喪失は、失ったままだと何が起こったのか理解できない。優子を失わなければ、これほどたくさん考え、たくさん書く必要はなかった。普通の(defaultな)時間・人生であれば際立たせる必要も意味もない。普通ではない、特殊な、traumaticな出来事に対して、それはどういう意味なの?自分にとって、家族にとって、今にとって、今後にとって、、、、?
よくわからないから、その意味を一生懸命考えて見出さなければならない。そうしないと、不可解の渦に巻き込まれ、自分を見失ってしまいそうだった。たくさん悲しんで、でも悲しむだけだったらしゃくだから、どうにかpositiveに意味づけようとわざとらしくこじつけたり。結局のところNegativeでもPositiveでも良いんですよ。その両者がごっちゃになって、生きていくために新たな意味づけを迫られた。まあ、それは終わりのない物語なのだけど、それを綴ろうという動機づけ、綴らずにはいられない状況に陥った体験は、psychotherapistとしては確かに成長したのかもしれない。

というのが、私にとってのresilienceなのかな。
さて、そろそろ夜の集まりの準備にとりかからねば。今晩はラザニアとクスクス・サラダでも作ろう。あとはみんなが適当に持ち寄るだろうし。

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今日はどうも。久しぶりに会えて嬉しかったです。

子供たちのこと(パパもですが)、いつも心配してますがどうしたらよいのかよくわからなくて何も出来なく申し訳なく思ってます。
でもみんな心身頭ともに上質な筋肉に恵まれてるからね、大丈夫。
とはいっても色々あるでしょうし中年オバサンと変な?おじさんでお役にたてることがあればいつでも声かけて下さいね~。
お休みなさ~い

Monday, December 31, 2012

大晦日

例年、大晦日の晩は定番の手巻き寿司にスパークリングワインを飲んだくれ、紅白の最後も年越しそばも逃して寝てしまう。今年も手巻き寿司だがドライにした。娘は友だちと年を越すと出かけ、息子たちは紅白と録画した「ガキの使い」を交互に見ている。

酔えば気持ち良いけど、なにもできなくなるのでもったいない。昨日も親戚が集まり昼間から飲み、明日の元日も飲むだろう。今日ぐらいはドライにしておこう。

ここに書く頻度が下がってきたということは良いことなのだろう。でも「卒業」はしたくない。いつまでもブログを大切に書き続けていたい。優子に関する記事はあまり書けなくなってきた。でもいろいろ書きたいことはある。あと書く場所もいろいろある。こちらのprivate blogと、official blog、それにFacebookやTwitter。どこに何を書いたらよいか、どう使い分けるかまだよくわからない。とりあえずここに書いてから編集することにしよう。

ふだんのルーチンワークから解放される年末年始。
年賀状を書いて、大掃除をして、買い物をして、、、
年末年始のやるべきことを済ませたら、けっこうヒマ。(になるはずだったが、大掃除が終わらず、ヒマではなかったが)
書かねばならない原稿はたくさんあるし、本も読みたいし、、、
ヒマな時だからこそ出来ることはたくさんあるのだけど、それはひとまず置いておいて(と言って結局やらない)、心をemptyにして1年間を振り返る。
この1年は私にとって何だったんだろう?

今、大切な人を見送ろうとしている。中学時代の恩師の吉澤先生。詳しくは別に書いたが、病気の進行が予想を超えて早く緩和病棟で「その時」を迎えようとしている。私の家族ではない。しかし、私のライフサイクルの中でとても大切な人だ。そういう人を失っていく。私の愛着はどうなったんだろう?

子どもたちの成長:
ちゅけは巣立った。でも今は帰省している。元旦には札幌に戻るという。
次はいつ帰るんだ?
2月の後半。
そうだな授業も終わるし。まあ、割と頻繁に帰るよな。別れを惜しむほどでもない。
昨日、親戚に久しぶりに会ったらじんの成長ぶりに驚いていた。そう、どんどん成長する年代だね。

優子を失いもうすぐ4年。喪失の痛みと再建についてシンガポールでしゃべった。
再建、、、どう自分の愛着を再建していくのだろう。生田のおばあちゃん曰く、まだ若いのだから、そのうちいい人を見つけて、、、」
いやあ、、、息子たちは関心もないのだけど、祐馬のチェックが厳しくて、、、「パパ、どこに行くの?だれと会うの?」みたいなチェックが入る。ウイークデーは酒は飲まないと宣言してしまったもので、つい缶ビールを冷蔵庫から取り出すと祐馬に取り上げられるんですよ。
そう、子どもたちは一番の愛着対象だ。でも僕自身はどうなるんだろう?まだ若いのか、もう若くはないのかよくわからない。封筒のノリしろみたい。若い頃は粘着力がちゃんとあった。重ねただけでしっかりひっつくことができる。それを無理に引っぱがされてしまった。もう一度、新たな対象と封をしたくとも粘着力がなかなかうまくいかない。

もっとも年のせいだけではない。若い頃だって同じだろう。みんな悩み、迷いながら試行錯誤している。パートナー(愛着対象)を求め、ひきこもりの人たちは社会への適応を求め。みんな自分の居場所を求めているんだ。ドメスティックな居場所、そしてパブリックな居場所を。得てしまえば自明のことでも、得ようとするプロセスはそう簡単でもないはずだ。

今年の海外は5回だった。
3月にVancouver、IFTAに参加。Davidとふたりでいつもやってるinternational case consultationを発表した。
5月にSan Francisco。AFTAでは何も発表しなかった。仲間との再会・交流がメイン。
8月にソウル、日韓の会議にコメンテーターとして参加した。学会の国際交流委員長として交流するのが仕事。来年は日本の当番。北海道でやろうか!
10月に台北を二往復。SVのトレーニングと、国際患者をひとりみて、大学で講義して、旧交を温めて、急がしい出張であった。
12月にKuala LumpurとSingapore。KLでは6人の仲間でconsultation合宿。SingaporeではHong Kong, Tokyoに続けて三回目のCIFA。大会場でPlenary session。

確かに、海外での交流は確かなものが得られた。
学会で原稿なしで発表できるんですか?
若い頃と、年配になってからの差。
英語でも原稿なしでできるって?そりゃあそうなんですよ。まあそう出来る人は確かに少ないかもしれないけど、それは日本の特殊事情ですよ。アジアの学会でも、Hong Kong、Singaporeの人はごく普通に。韓国、台湾あたりだって、professional level、つまり大学教員とか学会で中心になってがんばっているくらいの人たちなら、ふつうに英語を使ってますよ。日本くらいですね、そうできないのって。

海外でしゃべったほうがむしろ楽。日本では「当たり前」でしゃべる意味もないようなことを、海外では堂々としゃべることができる。

、、、ダメだ、もう眠くなった。

Tuesday, November 27, 2012

子どもたちとの大切な時間


ねえ、パパ。今度の休みの日、広尾に行くの?
うん、行くよ。
祐馬たちミッドタウンに昼間行くんだけど、夜、ごはん食べに行こうよ。
えっ、(内心うれしいが、迷惑そうな口調で)、、、外食ったって、じんがいるだろ?それに、友だちも連れてくるわけ?
うん。
何人?
ふたり。パパは横でビール飲んでれば良いから。
う~ん、、、どうしようかな、、、
ねえ、行くの、行かないの?友だちに連絡しなくちゃいけないから、早く決めてよ!
じゃあ、、、(イヤそうに)わかったよ。行こう。

じん、今晩は祐馬と外食するけど、じんは夕メシどうする?ばあちゃんに頼むか、それともコンビニで何か買ってくるか?
じゃ、オレ、自分で作るよ。
えっ、、、(絶句)、、、そうか。そりゃあがんばってやってごらん。食材はどうする、買えるか?お金を置いておこうか?
あとで請求するから良いよ。パパ、オレのこと、心配しなくても良いよ。
あっ、そうか、、、じゃ、がんばれよ。

えー、私、恵比寿って初めて!
あまり知られてないけど、恵比寿って結構おしゃれなんだよね。
ねえ、これって飲み屋?
基本的にはカレー屋だよ。でも飲めるし。
外食なんて、久しぶり~
そうかぁ。。。子どもはあまり外食しないもんなぁ。というか親がしっかりしているから毎日ちゃんと家で食べさせてくれるんだよな。
でもたまにはこうやって友達のお父さんにご飯を連れて行ってもらうって悪くないでしょ!

ご馳走さま~!
ご馳走さま~!
ご馳走さま~!
美味しかったね。お腹いっぱいになったね。
だってパパ、あんなにたくさん注文するんだもん!
今度は、カレーは二人にひとつぐらいで良いかもね。

家に戻ると、部屋中が油の焼け焦げた匂いが充満している。寒いのに窓が開け離されている。
じん、ひとりで大丈夫だったか?
うん。チャーハン作ったよ。
ああ、それは良かった。
、、、なにサラダ油を新しく買ったのか?まだあったのに。
だって足りないもん。
まだ、これだけ入っているよ。これで十分だろ!?
いや、少ない。ほら、ここに書いてあるだろ!
ああ、「男の料理」本ね。
「おタマいっぱいの油で煙が出るまで熱する」って、それ中華鍋の場合だよ。ふつうのフライパンはやらなくて良いんだよ。
そんなこと知るかよ。本に書いてある通りにしかできないもん。
まさか、オマエ、この鍋で煙を出したの?
そうだよ。
う~ん、、、、まあ仕方がない。
で、うまく出来たのか?
ちょっと塩辛かった。
まあ、そうやって経験すれば、次はきっともう少し上手くいくようになるよ。
よくがんばったな!

Monday, November 12, 2012

49回目の誕生日

おめでとう!
実際に生きていたら「めでたくないよ~」とか言っていたかな?
まあ、母上が亡くなった今でもバースデーカードの習慣が残っているのは、たとえ家族がバラバラになったとしても「家族」としての繋がりは消えないという象徴なんだと思う。天国からでもこのカードを読んでいてくれたら嬉しい。

Happy Birthday, Dear ママ!!

Sunday, November 11, 2012

のんびりした休日

久しぶりの何も予定が入っていない日曜。
先週の日曜は台湾だった。来週の日曜は仕事が入っている。
のんびりしたいのだけど、のんびりできない。
朝食はホットケーキを作り、昼食は息子とラーメンを食いに行く。ついでに酒のカクヤスでビールとワインの宅配を頼み、ユニクロで子どもの服を買い、肉のハナマサで肉とトマト缶と子どものお菓子を大量に買った。食料品のストックが家にあると何となく安心する。
部屋の掃除をしなくちゃいけないのだけどやらない。
本や文献を読み始めたら寝むくなっちゃいそう。
ポケーっとテレビでも見たらよいのだろうけど、できない。
隙間の時間があったらブログか何かを書いている。
PC依存あるいはブログ依存かもしれない。
Dog Year的な生き方なのかもしれない。
ドッグイヤー. 「犬の一年」。成長の速い犬にとっての1年は人間の7年に相当するという意味。技術革新など変化の激しいことのたとえ。
夕飯は買ってきたスジ肉の塊を圧力鍋で煮込もう。ワインを飲んだら夜はそのまま寝ちゃうかな。それとも飲まないで仕事かブログしようかな。
まあこれが私にとってののんびりした休日なのだろう。

というようなことをどこに書いたら良いのだろう。
優子とは関係ない話なんですけど。
Facebookに書いても良いけど、今イチあそこはpublicにしちゃったからプライベートなことは書きにくい。140字にまとめてTwitterでつぶやいても良いのだけど、こっちも客層が微妙に違うし。
外は冷たい雨が降り始めた。

Tuesday, November 6, 2012

3年10ヶ月

3年10ヶ月ねえ、、、
ずいぶん遠くまで来たもんだ。

3日は海外だったよ。
あなたのことなんかぁ、ちっとも思い出す間もなくチョー充実してたよ。
だいたい僕は海外に出るとempowerされる。だいたい優子と知り合ってから親しくなったのもアメリカだったものな。
特に今回は親日的な国だったこともあるけど、メインのワークショップ5日間も楽しかったが、現地の友人たちと会食し、大学院の授業にゲスト出演し、患者もひとり診てきた。一石五鳥くらいだったよ。
帰ってくれば、留守中に溜まっていた仕事が押し寄せてくる。
昨日は、締め切りを過ぎた原稿をどうにか仕上げた。
今日は、一日相談予約でいっぱい。
明日も打ち止めだよ。
日々の生活は充実感で満員御礼。超、埋まっている。

それなのに、埋まらない何かがある。

Sunday, October 14, 2012

アホ電話


<日曜日の夕方>

もしもし、中学生のお子さまのお母さまはいらっしゃいますでしょうか?

どちらさまですか?

〇〇家庭教師センターの、、、

お母さまは死にました。

はっ、、、大変申し訳ございません。
それでは、あの、、、

では、失礼します。

はっ、はい、、、

Thursday, October 11, 2012

結婚記念日


パパ、今日は結婚記念日でしょ!?

そうだよ。よく覚えているね。
生きていたら、今回が銀婚式なんだよ。

ふぅ~ん!

優子、結婚記念日おめでとう。

なんてなぁ。書く気持ちにもならへんし。でも、ブログを続けるからには書かんとあかんし。
いや書きたいんだよ、ホントは。でも、書くほどの気持ちの高まりを得られない。なんか無理やり書いている感じ。
そこまでしなくたって良いじゃん。なんだか強迫的だね。

でも、オレはどこに行くんだろう?
一昨年と去年の同じ日のブログにそう書いてあるので、今年も一応定点観測として置いてみる。

(一昨年は)
今みたいに迷っているのは、若い頃だった。
大学を出て、優子という伴侶を得て、留学・就職、そして三人の子どもたち、、、
選択肢をひとつずつ選びとり、歩む道は確定していた。安心して迷うことなく、家族というパーティーを組んで稜線を縦走していたんだよ。
そしたら、急に同行者が足を滑らせ谷に落ちて消えちゃった。

(去年は)
まだ、同じ様に迷っているなあ。進歩してない。でも進歩してる。

今年は?
もう迷ってはいない。
新しい仕事もどうにか続けている。
子どもたちは前に進んでいる。
ふつうの人が当たり前に人生に迷うレベルまでには回復した。
でも、まだ迷っていたい。回復したくはない。
、、、ってのは贅沢な話なの?

(afterthoughts)
でも、やっぱり迷っていると思う。
自分がとても寂しがりやなのがよくわかった。
絶対、ひとりでは生きていけないことは確かなようだ。

Friday, October 5, 2012

3年9ヶ月

月命日だからって、別にもう書くこともないんですけど、、、
かと言って、止めたくはない、何かを書き続けていたいのだけど、、、
ホント、ないんですよ、書くことが。今日いち日考えていたんだけどね。

この前の日曜には、余命1年というY先生に会い、
火曜はN先生のお通夜、
明日は3ヶ月前に伴侶を亡くした同僚のM先生とランチ、
考えてみたら先週も、今週も、パートナーを自死で亡くしたクライエント2人と会ったんだ。
あっぴの父さんも久しぶりにブログ書いていたし。

死がこんなにも身近になってしまった。
お通夜の香典返しについてくるお茶漬けみたいな塩の小袋ねえ。
あれ、清める必要ないじゃん。死はケガレでも忌み嫌うものでもない。
身近にあって、常になんとなく考えているものになっちゃった。
その方が居心地が良いからね。

、、、と、この程度しか書けないんですけど。

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追伸
つまり、Incentive とIntensity が薄れつつあるんですよ。
今まではかなり強烈にあったのに。
そういうのがなくちゃ、なかなか文章って書けませんものね。

Tuesday, October 2, 2012

三人称の死


お通夜に行ってきました。
どうにも気持ちが収まらないので書かせていただくと、、、、

弔問客は長蛇の列。
お焼香の後、中高時代の同級生の方と研究室の学生さんとちょっとお話ししました。
肩が痛くてずっと五十肩だと思っていて、8月に検査入院したときは、すでに全身ガン組織だらけ。原発臓器がどこだかわからない原発不明ガン。
一時期、脳出血も起こしたけど持ち直し、2週間くらい前までは意識もしっかりとしていたとか。
抗がん剤治療を始めようとしても全身状態が悪化して続けられず。
遺族席にはご老親もいらっしゃったそうだけど、お顔を見ることができませんでした。祭壇にはものすごい数の生花。

6月のサンフランシスコの学会では懇親会を抜け出して、ツーショットの「デート」もしたし、7月の打ち上げでは一緒にお酒を飲みました。
高橋規子さんに続き、学会では貴重な女性を失いました。

、、、と事実を並べてみてもどうしようもないんですよね。
何かが見えてくる訳でもない。

知人にたくさん会いました。
「何でこんなことに、、、」
「惜しい人を亡くしました、、、」
涙する人もいたけど、私は泣く気にならない。というか、泣く必要もない。

しょせん、三人称の死。
55歳。私とタメなんですよね。
「人生、一寸先は闇なんですね。」
そうなんだけど、だからといって一人称の死には結びつかない。

大学教授という社会的役割の真っ最中。本を何冊も上梓して、弟子をたくさん抱え、the prime of life。子どもたちは立派に成人して親役割も全うしたし。

優子は45歳だった。親役割が中途半端でしょ。
40代だったら「あまりにも早すぎる死」
50代なら「あまりにも」は削除して「早すぎる死」くらいかな。
60代なら「早い死」
70代は、まあ「ふつうの死」

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先日、中学時代の恩師Y先生を尋ねた。
「肝臓がんの末期であと1年くらいだろう。」
と平気で語っていた。
「傘寿も祝ったし。もうじたばた思い残すこともないんですよ。気がかりなのはこの人のことだけ。」
死の恐怖さえ克服することができれば、死と向き合うってホントは幸せな時なのかもしれない。生と向き合い、生きている実感をグイと引き寄せることができる。 
死は時限爆弾。震災や津波よりも、よっぽど確実にやってくる。でも、いつやってくるかわからないと、とりあえず先延ばしにする。
一人称の死は絶望と恐怖を、
二人称の死は悲しみを生む。
だから、考えずに先延ばしにしたくなる。でも、いつか直面する時がくる。
三人称の死は何も生まない。

中釜さんは一人称の死にどう向き合ったのだろうか?
悲しみ・恐怖・絶望は限りない苦痛だが、生きる意味にも直面する時なのだ(思考能力が保たれているという前提で)。
期間非限定のオープンな死だと、生はまだ見えてこない。
期間が限定されたクローズドな死だと、生(生きる意味)が凝縮されてぐっと濃いものになる。

「あと半年の命だったら?」
毎年はじめの授業で学生たちに投げかけていた。
・大学をやめて、世界旅行をして遊び回る。
・大切な人と一緒に過ごす。
・昔の友人に会いに行く。
・写真や思い出の品を残すために整理する。
・写真や思い出の品を処分して整理する。
・家族や恋人に「ありがとう」と言う。
・今までと変わらない毎日を過ごす。

「半年」と限定すれば人生、何が大切で何をするべきかが見えてくる。
「3年」でもよいかもしれない。
しかし、「30年」になると焦点がぼやけて見えなくなってしまう。

地位や業績や財産や人望や、、、
そんなものはどうでも良い。
量は意味を果たさなくなる。質が大切。
家族との交流。大切な人との時間が、生きる意味を創造してくれる。