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Wednesday, June 3, 2009

5ヶ月目

優子、、、

という具合に、ここで優子に呼び掛けるの5ヶ月の間、続けてきたけど、どうしたものか考えちゃうよ。
いやね、まだまだ僕の中に優子は満ちているから、優子のことを書き出し(掻きだし)たいのだけど、別に優子と対話しているふりしなくてもいいじゃん。
もうそろそろ、ゆっくり優子を離していってもいいかなと思えてきた。
それほど、優子を呼び込み、しがみつかなくてもいいじゃない。

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というわけで、
読んでくれているみなさんへ

タイトルを変えます。
今まで⇒妻との往復書簡 Letter to Wife in the Wind
これから⇒優子とみんなの往復書簡 Letter to Yuko in the Wind
これからも、優子にまつわる僕の気持ちは書くけど、みんなもね。
祐馬(ユウマと読むそうです)も時々乱入してきそうだし。

6月14日(日)に、お墓参りに行こうと思います。ちゅけは部活で忙しいから、祐馬とじんと一緒に。
来て下さる方がいたら、ご連絡ください。

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マリちゃんへ
とても心温まるお手紙、ありがとう。
2か月前にこのお手紙を戴いたら、ポロポロ泣きながら読んでいたと思います。でもその悲しみも、ようやく最近落ち着いてきました。
 マリちゃんは、僕が優子と付き合い始めて、一番はじめに紹介してくれた親友のひとりでした。私にとって、マリちゃんや理香ちゃんは、若かったころの優子の思い出そのものです。覚えていますよ、たしか、渋谷でしたっけ。マリちゃんと始めてお会いたのは。その後も優子からはたくさんマリちゃんのことを聞かされていたので、お目にかかった時間以上に、私の中でマリちゃんのイメージは大きかったように思います。

臨床で、危機に直面している人たちと多く接していると、誰でもその人が元来持っている性格傾向を無意識のうちに尖鋭化させることによって、危機に対処しようとするみたいです。落ち込み気味だった人はますます落ち込み、怒りっぽい人はますます怒りだし、依存的な人はますます依存するという具合に。僕の場合、優子の突然の死に直面し、もともとactiveな性格がますますひどくなり、hyper-activeになり、その状態が今でも続いているように思います。たくさんの人に救いを求めました。最もきつかったお葬式までの1週間は、子どもの保育園仲間の親たちに毎日来てもらい、優子の親友だった理香ちゃんに九州まで会いに行ったりもしました。仕事は結局、忌引きで1週間休んだだけで、すぐに職場に復帰しました。さすがに辛かったけど。

多分、僕はまわりの人から相変わらず元気に見えると思います。事実、そのようにふるまっていますので。しかし優子を失った深い悲しみは、hyper-activeな表層の振る舞いとは別の次元で、僕の心の中にずっと潜んでいます。よく、ニュースなどで、災害や犯罪にまきこまれた遺族たちの、「あの日から、時間が止まったままです」というようなコメントを耳にしますね。今まで、理屈でしかわからなかったその気持ちがよくわかるようになりました。5ヶ月経った今でも、誰かと一緒にいたり、仕事などの作業をしている時以外は、好むと好まざるとにかかわらず、優子のことを自然と思い出してしまいます。変ですよね、結婚して優子とふたりの生活が安定している時はぜんぜんそんなことはなかったのに。いつも優子を思っているというこの状況は、付き合い始めた頃以来のことです。その当時は楽しい思いでした。しかし、今思い出すのは悲しい思いばかりです。1月3日、スキー場で優子が突然倒れ、必死で人工呼吸を続けているあのシーンが繰り返し想起されます。自分自身、思い出すことを禁じていないので、意図せず突然襲ってくるようなflashbackではないのですが、そのシーンが心の中に留まり、流れていってくれません。結局、そうやって優子のことに気持ちが戻っていくと、あの日、もしくはそれよりも前の過去に戻っていってしまいます。あの日以降、優子は存在しなくなっちゃったので。

確かに、客観的に考えれば、優子は幸せな人生を全うしたのだと思います。僕は自己の死を恐れる人間です。優子はその点、淡泊というか心臓の病以降、自分の死をすごく身近に感じていたし、そのことに執着も恐怖もあまりないようでした。自分の命はそんなに長くはないということは、時々発する言葉の端々にも表れていました。残された家族の悲しみを別にすれば、優子は幸せだったと思います。逝き方も最高ですよね。スキーを最後まで楽しみ、痛みも苦しみもないままに天国へ瞬間移動しましたから。僕にとっても、ふたりだけの時間に、必死にキスする中で最後の時間を過ごせたのは、最高に幸せなことなのかもしれません。ようやく、こんな風に考えることもできるようになりました。

 45歳で逝くなんて、ちょっと早すぎるよなあ
、、、とよく言われるし、僕自身もそう思います。でも、本当にそうだったんでしょうか?ずっと幸せだったとしても、45歳では早すぎて、90歳だったら十分に全うしたと言えるのでしょうか?それは、平均寿命と照らし合わせただけの基準であって、相対的なものなのじゃないでしょうか。
 まだ、子育ての途中だった?
 子どもたちは、14,12,10歳でした。あと5年早かったら、9,7,5歳。母親の喪失によるダメージは大きかったでしょう。あと5年遅かったら19,17,15歳。母親の喪失にも十分に耐えらえる年齢でしょう。そういう意味では、この年齢は微妙です。10歳は、子ども時代から思春期へ差しかかる入り口です。母親との愛着を緩め、分離・自立しはじめる時期です。第一の親(母)から、第二の親(父)へ、そして社会へとシフトしていく時期です。母親でなければダメだという時期は過ぎたはずです。母親不在で、父親ひとりの子育ても、父親さえ逃げずにしっかり親役割を担えば、問題ないはず。理論的にはそう言えます。
 優子自身の仕事、つまり個としての優子は、まだ途中だった?
 確かに、もっとやりたいこともあったでしょう。通訳として、あと20年は社会に貢献できたはずです。経験を積めば、さらに高いところに登れたかもしれないし、途中でコケたかもしれません。60歳を過ぎれば、だれでもゆっくり山を下り始めるのでしょう。そこまで全うした方が幸せで、途中で死んで全うしなかったら不幸だったんでしょうか。達成した結果にこだわるのではなく、活動するプロセスを重視するとすれば、優子は通訳の仕事や趣味の活動など、たいへんだ、たいへんだと苦労しながら成功と失敗を繰り返し、そのプロセスを楽しみ、また苦しんでいました。もしあと20年続けたとしても、それは変わらなかったでしょう。
 こんな風に考えれば、家庭生活の面でも、社会生活の面でも、45歳は早すぎるぞ、というのは残された僕らの悲しみの都合であって、優子本人にとってみれば、早いとか遅いとかは、あまり関係ないことなのかもしれません。
 優子と僕の関係が幸せであったのなら、もっとその幸せを長く続けたかった、、、なんてことも、今だから言えることです。優子が居る時には、幸せを感じたり、ケンカしたり、幸せかどうかなんて達観して考える余裕はなく、楽しみ、そして苦しみながら毎日の生活をやりくりしてました。

 幸せって、それを失ったときにに初めて気がつくものですね。僕は優子を喪失したことについては不幸だけど、他の面での幸せに気づいていないだけなのかもしれません。
ちゃんと普通に食事を楽しめる幸せは、健康な歯や消化器を失ったら気づくのでしょう。
ちゃんと普通に排尿できる幸せは、前立腺肥大症や尿閉になったら気づくのでしょう。
金持ちでなくても、普通にお金がある幸せも、お金がなくなったら気づくのでしょう。
子どもがいる幸せは、子どもを失ったら気づくのでしょう。(これは、今でも気づいているけど)

 しかし、いくらこんな風に考えても、自責の念が全くないわけではありません。なぜスキーに行ったのだろう、行かなければよかった。もう一本滑ってから上がろうと欲張らず、疲れた子どもたちと一緒に上がっていれば、、、あるいは、心臓の病をもっとちゃんとケアしていたら、、、など、考え始めたら尽きません。そう考えても仕方がないと理屈では理解しても、気持ちをなかなか切り換えられるものでもありません。

その一方で、日常生活はどんどん前に進んでいきます。3人の子どもたちは、新しい学校・学年に進みました。僕の仕事も相変わらずの忙しさです。家族と過ごす時間を確保するために、いくつもの仕事を昨年度末で切りましたが、別の新しい仕事が入ってきたり、なかなか思うようにいきません。元気にふるまい、どんどん前に進む自分と、優子に留まりちっとも前に進めない自分のふたつの間で引き裂かれる思いです。

 この5ヶ月間、もし仕事を休んでひとり落ち込んでいたとしても、現に行っているように元気なふりをして沢山の人に救いを求めたとしても、優子を失った悲しみの大きさは変わらなかったような気がします。ただ、時間の経過が救ってくれるように思います。

 喪失からの1ヶ月後、3ヶ月後、そして今5ヶ月後の自分を振り返っても、だいぶ回復してきたように思います。なにより力になったのは家族です。子どもたちの世話は大変ですが、祖父母にも手伝ってもらい、なんとかやってます。むしろ、子どもたちの存在が私の生きがいを支えてくれています。子どもたちはいろいろ要求してきて、決して僕をひとりにさせてくれません。優子が抜けた孤独を感じる余裕を与えてくれません。子どもたちの存在が、ある程度、優子の穴をカバーしてくれているように思います。

長くなってしまいましたが、これが喪失5か月後の気持ちです。
読んでくれてありがとう。

Saturday, May 30, 2009

祐馬のおしゃべり 3

二日ぶりの祐馬です。

実は今日、ちょっとしたニュースをお伝えしたくやって来ました。
決着が着いた!!
やっと、やっと、ワンちゃんが飼えるようになりました!
嬉しーー! ビーグル犬です。
おうちに来るのは最低でも祐馬とちゅけの期末が終わってからだから夏休みぐらいになるかな。でも、絶対草津には連れて行きます!!
ハイキング、登ろうね。
名前がまた問題なんですよね。パパは「優子」がいいとか言って。祐馬は「ゆず」がいいと思うんだけどなぁ。グループのゆずじゃなくて、単にゆずって言う響きが好きなのよね。

優子はさすがに呼びにくいよぉ!!ちゅけは顔が外国だからカタカナがいいとか言ってるし。一応、男の子にしようと思ってるからさ。じんは言ってることがイマイチ理解できない。。。
じゃあ、、、「和寿はっ!?」パパが「桜井は?」ちゅけが「ほくろは?」←ひどいよねー!!いっつもほくろって言うんだから!!
せめてお顔を見てから決めようと思うけど。祐馬は自然とか、緑にちなんだような名前がいいんです。みなさん、何かアイディアがあったらどんどん教えて下さい!
参考にさせて頂きたいです。


↑ちなみに、ワンちゃん祐馬の5回分の誕生日プレゼントなんです。。。(泣)

明日は梅田小の運動会だね。土曜日はほとんどの学校が延期になったんじゃないかしら。。。晴れるかなー?

Thursday, May 28, 2009

祐馬のおしゃべり 2

昨日、ブログを書いたらなんだか楽しくなっちゃって。
だからまた、書きます!
と、言ってもほとんどミスチルの話題なんですけどね。。。(汗)
今は8時42分だから沢山書けるよ!

なんか今日ね、ママの夢見たんだあ。でも忘れちゃった。。。
なんだっけ、、、?
もう四十九日もとっくに過ぎてママはもう、お空の、見えないとこ?

ちがうんだよねえ。なんかね、ずっと祐馬の後ろに居る感じがするよ。なんかね、重なってる感じ。
で、時々祐馬に話しかけようとするんだけど、祐馬がびっくりしちゃうから言いかけて引っ込むの。分かってるんだから。別に隠さなくてもいいのにねえ。そーゆうとこシャイなんだよねええ。「みなちゃん、、、泣き声や笑い声でコジンを見送ってあげてくだちゃい。。。」じゃないんだってば!パパ。見送るなっつーの。見送ってほしくないの!
見送ったらそれで終わりじゃん、それこそ本当のシヌになっちゃうんだから。
じゃあ、お通夜とかでは何やるかって?「身体がなくなってもお元気でね」って。
空気になって、みんなが吸い込んで、今度はみんなの中で生きるの。
話せなくても、その人の中で生きてるから中から声が聞こえるの。
一人で二役演じてんじゃないよ?
よく関わった人とか、仲が良かった人にはその人(コジン)も好きだからよく会いにきてくれるの。そして、話しかけてくれるんだよ。そりゃ、その人は一人しかいないんだから、祐馬の中にだってママは時々居なくなるよ。他の人に会いに行ってるからね。
で、ふと、思い出してくれた人には小さく響いてくるの。「思い出してくれてありがとう。今度会いに行くね。」って。お手紙みたいに。
って祐馬は思うけどね。ちがう??
ほら!今、響いてきた!「こうゆう事書いてくれてありがとう。」って。。。
話しかけられた時ってすごい気分があったかくなるから、分かるよ。
おわりっ

次、ミスチルっ。
祐馬もユーチューブ探ってたら面白いの、見つけたよ!
「Mr.Children トーク」で検索してみて☆JEN(鈴木さん)がとっても楽しい☆☆
あと、、、Mステの時のトークとか。
AnyのPV撮影現場とかもイケる☆
で、あと2,3曲紹介させていただけますと、最近気になったんだけど、
「youthful days」デス。これはPVもあって、、、。ユーチューブで見れるよ。ちょっと怖いけど。。。 あのね!!!首がとれるの。。。桜井さんの。ひえーーっ!!
2番は実話をうたってるそうで。
あとはねえ、、、「蘇生」!!「優しい歌」とかも好きよ。
もーー、、、毎日イヤホン耳にしながら大声で歌ってるから、(気づいたらうたってる。。。)おかげで「歌上手いね」ってみんなに言われて。友達曰く、「地声で歌ってるから」だって(苦笑)
カラオケトレーニング!?
でもね、いざ!歌うとなったら音がボックスに充満して音外しまくりで恥ずかしいんですよ。。。この前、分かった。カラオケ自体はすごく好きなのにねえ。。。
がんばるぞー

お風呂入んなきゃ、、、。
10時6分。。。二時間近くやってるのか。。。
祐馬、打つの遅いからさー。
今日は長く書いたぞー!!  でわでわ、またね。


  



      「youthful days」はいいぞーーーー!!!!

スローライフ

優子

一昨日、ゴルフのコース・レッスンに行ってきたよ。
普段、鳥カゴ練習場で見てくれているプロと一緒に、スコアも付けずにコースを回り、実践の場で練習するんだ。
プロは、2か月前、突然狭心症の発作が起こり、優子と同じ冠動脈形成術、つまり血管に土管(ステント)を通して補強工事をやり、退院してきて始めてのコースレッスンだったんだ。7週間のブランクを感じさせず、がんばていたよ。

彼は60、僕は50。この年代って、健康で若々しい人から、ヨボヨボのおじいさんみたいな人の差って大きいよね、という話になったんだ。僕は、毛の生え際もまだそれほど後退していないし、腹囲を除けば割と若く見られてきた。コーチも仕事で身体を鍛え、今までは若々しかったはずだ。
 でも、ふたりとも、それぞれの意味で死線をさまよい、今までは意識せずに無条件で与えられた健康な命が、いかにあっけなく崩れてしまうものか、身をもって体験したわけだ。今までは、若さののりしろがあったから、多少無理しても、十分に挽回することができた。でも、実はそういう年代じゃないんだよね。一見、普通でも、身体の中では徐々に老化が始まっている。それが、いつ表面に出来るかというだけの問題のようだ。彼は、タバコやめたよ。
 生活習慣病(成人病)が何であるか、それを防ぐにはどうしたらよいか。大学の授業で学生たちに教えてるくらいだから、知識としては十分わかっているんだ。若々コースとヨボヨボコースの分かれ道もよく知っている。でも、わかっちゃいるけど止められないのが生活習慣なんだ。
 江藤淳は、妻を失ったショックから、済し崩し的に人生の終わりに向って行った。伴侶を失うのは、それくらい強烈な体験だからね。でも、僕はそうするわけにはいかない。子どもたちのためにも、僕自身のためにも、今までの人生をリセットし、再起動させるんだ。
 そのためには、ボロボロ、ガタガタの身体じゃどうしようもない。自分の心ばかりでなく、身体もしっかりケアしてあげないといけない。
 食生活⇒時々、ドカ食い、深酒する癖をやめよう。最近は夕食で洋食つくって、ワインを1本あけちゃうもんなあ。これはよくない。じんまで、パパ、お酒やめなよ、と注意してくれる始末。あと、良くないことはわかっていながら、寝る前についついウイスキーやら焼酎やら飲んじゃうんだ。ツマミも食うし。これらをやめよう。まったく禁酒するわけじゃない。適度に食べ、飲めばいいんだ。ちゅけの高校入学から始まったお弁当の習慣は良いね。続けよう。そして、毎晩、晩酌する必要はない。ドライな日を増やし、飲んでも、1杯まで。それ以上、飲んでもしかたないでしょ。
 運動⇒2-3日/wのチャリ通勤は利くね。半端な距離じゃないから。それにゴルフ、テニス、スキーを加えれば、年齢相当、もしくはやり過ぎでしょう。無理はしないように。
 体重⇒チャリを始めたころ、半年で7kg減ったんだよな。でも、そのあとリバウンドで元に戻ったけど。今、71kg。身長から計算した標準体重は58kg。これは無理だ。せめて、1割減の66kgを目指そう。いくら運動しても、食う量を減らさないと意味ないんだよな。
 ストレスの緩和⇒今までのように、仕事をパンパンに詰めて、がんばり、拡大・上昇を目指すライフスタイルはもう要らない。スロー・フード、スロー・ライフ。本当の意味で充実した生活を送ろう。無理する必要はない。

Wednesday, May 27, 2009

祐馬のおしゃべり

こんばんは!
久しぶりにパパのブログにお邪魔させていただきました。祐馬です。
今回、突然現れたのは特にお伝えしたい事があった訳でもなく、
ただお喋りがしたいから遊びに来ました。
無駄話ですがお付き合いして下さい! ! !

そういえば、、、もうすぐ5月も終わりだな~。
5月終わり=ミスチルのコンサートツアーも終わりってことですね!
さあ、これからいっぱいテレビに出るかなー。要チェックですね!みなさん。。。
あ!ちなみに、ある人にメッセージです。
「ほころび」っていう曲があるんです。(知ってるかもしれませんが。。。)
このうたは桜井さんがap bank fesの開催地でもある「つま恋」の自然と芝生を思いながら作ったうたなんです。とってもさっぱりしてて、爽やかな気持ちの良いうただと思います。もし、知らなかったら是非聴いてみて下さい。なんだったら、あたしのipodも貸しますよ。あはは。来週の金曜日はとっても楽しみにしてます!!

話し変わって、、、三中は3週間後には期末試験ですよ!!
どーしよー。。。もうそろそろ勉強始めないと!って事で、今日は机の上をきれいにした!!  でも試験が終わったらもう、夏休みですよお☆
今年も皆でハイキング行きたいなあ。でもね!!今年は一人減っちゃった代わりに一人増えるんですよ!きっと楽しいよお。
みなさん、たくさん草津来てネ!!

と、ゆー事でもう11時20分。眠いです。。。寝なきゃ。
寝よ。   おやすみなさーい、、、みんな。

Sunday, May 24, 2009

Psychic Virginity

Hi Yuko,

I saw my therapist today.

It was my fifth session, and had rather positive talk.

Listening how I was doing, she commented I was surprisingly doing well in my mourning process. I think she is right My pain is not very active any more. I cried a lot for the first two sessions or so. The pain was so powerful at that time, maybe for two to three months, that I had used every opportunity to get it out using anybody available. But today, I did not feel I had to express my painful emotion any more. I am not saying my pain of losing you out of sudden has disappeared. It is still here deep in my heart, but more stable, and smooth on the surface like your pyramid stone.

 Why am I so successful? I told her I did not want to say that I am a professional therapist, I know how to grieve, so I can do it in a short time, I have finished within a half year, and that’s it. I know I have not finished at all; I do not want to finish. I want spend the whole rest of my life so that you stay with me in my life.

If I say I am good in grieving, I can only say it is because of the support I am receiving from a lot of people around me. I am lucky to have my extended family close to me. The basic needs of our daily chores are properly met, like food, laundry and housekeeping. I owe large part of them by my mother. Eugene is securely attached to his grandfather. We had the same household as 二世帯住宅, but the emotional door between them are closed to keep our independence when you were alive. I think that was a right decision to keep the proper distance. But since you were gone, the two households became one big family. It is funny although I lost you, I feel my family became bigger with six people in it.

I owe a lot to my children too. They keep me busy, and never let me be alone at home. I sometimes feel it is too demanding especially from my daughter. Yuma used to be closely attached to you as a mother, but her emotional needs now turns onto me. I know you two had lots of good times and conflicts as mother/daughter dyad. Now this kind of emotional tension and closeness are replicated into our father/daughter dyad which I obviously welcome even though it may be demanding. There are so many people around me at home and at work. I never have time and space to feel loneliness which I appreciate as a typical extrovert.

I know theoretically how to go through this difficult time, so I deliberately seek support from people outside of the family. I have been lucky enough to have so many close friends and colleagues who emotionally support me. Writing this blog helps me for great deal. I can write exactly what I feel; both pain and joy. I want to have somebody to listen to my voice and know me, but I do not want to force anybody. People would choose to visit my blog out of their own wills, some quite often, and other less often, all according to their needs and wants. I appreciate them so much. It does not work like this if it is an e-mail, which I deliver them, and they have to read it with no choice of their own.

So this is how I know how to survive during this challenging time. It is all because of you all; my family, friends and people who come to read my blog, that made me possible to thrive.

It is indeed a life-long process of my grieving work. I would not release the pain of losing you, Yuko. It will always way in my heart, but not in a destructive way to interfere my prospective life, but in an empowering way. I never had such a substantial human pain in my life. My therapist phrased it as I finally lost my psychic virginity to become a matured wounded healer who really knows the client’s deep pain. Yuko, you initiated me to become a proper therapist! She also mentioned I should use your spiritual energy for my creativity. My next task in my professional career is writing a new book. I will dedicate it to you. Yuko, you have to be with me working on the book which I have already started.

So this is the empowering use of your deceased energy. It still exists firmly inside of me. You must also help me finding my next partner. Not now. Later.

優子

西魔女とは今日が5回目になるけど、ほめてくれたよ。喪の仕事、しっかりやってるって。これは、自分の力じゃないよね。一番大切な人を失った痛みを、人によって癒されている。これが家族の力だね。逆境で、どれほど家族がその潜在力を発揮できるか。家族って、素晴らしいよ。このブログの力もすごいね。人を繋いでくれる。みんな、自分の気持ちで来てくれるんだ。決して、押し付けではない。それが嬉しい。

優子を亡くした痛みは、残りの人生、一生、持ち続けるよ。僕の人生を台無しにする痛みではなく、僕を救ってくれる痛みとしてね。セラピストとしての童貞をやっと失ったね、だって。西魔女はうまいこと言うよ。50を過ぎて、やっと大人になれたのかな。次の本は、優子にdedicateするからね。今までの本もあとがきにちっちゃくそうしてきたけど、今度は、前扉に、恥ずかしいほどでかくね。だから、僕にちゃんと力を吹き込んでくれよ。


Saturday, May 23, 2009

予期不安

ひとみさん曰く:
> 考えちゃってる訳でも、尻込みしている訳でもないんですよ。
> なにもかもが、楽しい。
> 振り返らなくても、現在進行形で幸せ。

だったら、全然問題ないんじゃない?
今を楽しめば良いんですよ。

予期不安=悲観的なことが将来起きるのではないかと想像すること

優子が、こんなことになるなんて、全く想像していなかったよ。
でも、それは医学的には正しくないんだ。
僕の医学部時代の中途半端な知識をもってしても、こうなることは想像できたはずだ。冠状動脈が多発性の狭窄を起こし、20年前にパイパスとステント術で一番の狭窄部位はなんとか広げ、血行状態も日常生活に全く不便がない程度に維持されているものの、動脈造影でみれば、狭い部分はたくさんあった。主治医も「グラフト(移植した血管)もだいぶ痛んできたし。どうしようかなあ。」とは言うものの、とりあえず現在、問題なく生活しているから、それ以上、何か治療すると判断しにくかったのだと思う。もしやるとしたら、さらに別のバイパスをくっつけるか、さもなければ心臓移植??しかし、これらの治療にはリスクが伴う。かえって悪化する可能性だって。あと、○年しかもたないとか、現在の心機能が低下し、痛みや苦しみがあるとか、日常生活が制限されるのであれば、あえてリスクを伴う治療も考慮しただろうけど、とりあえず、ぜんぜん困らず、しっかり生活していたんだもの。
冠動脈パイパス術は、ふつう動脈硬化に伴う高齢者に行われるから、20年後、30年後にどうなってるかというデータはほとんどない。しかも、川崎病に伴う多発性の動脈瘤のケースはなおさらだろう。だから、優子の病気は、進行していく癌のように「余命あと○年」というものではなく、「血管が詰まる可能性は一般人よりはるかに高いけど、詰まらなければ問題なし。詰まっちゃったらオダブツ。その詰まっちゃう確率だって、よくわかっていない。」という程度の判断になるのだろう。少なくとも、この20年間はセーフできたからね。かといって、これからの10年、20年がセーフか、アウトかってことも全くわからなかったんだ。とまあ、僕は理解している。
優子の病状をよく知っている友人のりゆき医師と飲んだ時に、
「おまえ、奥さん、ヤバいんじゃないの?」
と言われたって、
「ああ、そうかもね。」
と返すだけ。何も予期不安はなかったよ。
そうなることは、予想できたけど、予想しなかったから。

> 幸せって、貯金みたいなものなんですかね?
> 貯められるときに貯めておいて、不測の事態に備える?

いやあ、僕はわりと現金主義というか、幸せは貯められないと思うよ。利息もつかないし。
虫歯を考えてみましょう。
いくら、20年間健康な歯だって、いったん虫歯になったら痛いからね。20年間の貯金なんか役立たないよ。
第一、幸せって、その最中は、幸せだって感じないでしょ。
幸せになったとき、たとえば独身から結婚して二人になったときとかは感じるけど、新婚時代が終わり、結婚生活が当たり前になっても、相変わらず「幸せだ、幸せだ」とは感じていないでしょ。

僕らのことも、今だから、優子が死ぬ前は幸せだったとか、優子は幸せな死に方をしたとか言えるけど、優子が生きていた時は「幸せ」とか思わなかったよ。

要するに、幸せは貯められません。
過去がどうであれ、今、現在、幸せかどうかが大切です。
逆に考えれば、過去がどんなに不幸でも、たとえ大切なものを失っても、
それを切り離すことができて、現在が幸せなら、幸せになれると思います。

Friday, May 22, 2009

発熱

気分は最悪!
一昨日あたりから頭痛、のどの痛み、鼻水があって、ちょっとヤバいかな。昨日、熱を計ってみると36.0℃の平熱なんだよね。いっそ、A型の疑いかなんかで、1週間くらい(PCは持ち込んで)隔離してくれないかなと地元の保健所に電話したんだ。

保健師)海外や関西に行ってますか?
僕)いえ、名古屋は行きましたけど。
保健師)まわりに、インフルエンザらしき人はいますか?
僕)らしき、、と言われてもわからないけど、、、
保健師)では、近くのかかりつけのお医者さんに行ってください。

どうも、隔離してくれないらしい。
今日も大学に行ったのだけど、だるくて、だるくて。でも熱は平熱なんだよね。
僕が風邪ひくとちょっと大げさというか、自覚的にはすごく辛くなる。
授業やろうと思ったんだけど、やる気がなくて。
優子の忌引き明けで心がガタガタ震えていたときでも、授業やる気はあったぞ。
よっぽど風邪や発熱の方が響くのかあ。

学生にうつしちゃ悪いからという理由で、午後は休講にして早く帰ってきたよ。
体温は37.9℃。
祐馬に言ったら、
祐馬)お医者さん、行ってきなよ。
僕)大丈夫だよ。ただの風邪だよ。
祐馬)その身体でご飯を作られる身にもなってよ。
僕)パパのこと、心配してくれるんだね。
祐馬)ううん、インフルエンザだったら面白いと思って。
僕)何が面白い???・・・まあ、しょうがない、祐馬の言う通りお医者に行ってくるよ。

行ってみたけど、インフルエンザはやっぱり陰性でした。
明日も、朝から仕事なんだよなあ。できるかなあ?
どっさりくれた薬を飲んで、夕飯くったら早く寝よう。

前回のブログで「もう読んでくれる人も少ないんじゃないかな」って書いたら、いろんな人から「まだ読んでるよ~」って応援メッセージくれて。嬉しかった。まだ僕は見捨てられていない。

Wednesday, May 20, 2009

父と娘の物語

重松清「ステップ」中央公論新社、2009年4月刊★★★★☆
なんという偶然だろう。これは、もう完全に僕と祐馬の物語だ。
本書を見つけたのは偶然なんだよね。
土曜日の夜、祐馬とふたりでイトーヨーカドーで買い物していて、フードコートの隣にある本屋を通り過ぎる時、たまたま平積みにしていたのを見つけたんだ。帯曰く:
結婚三年目、妻が逝った。残された「パパと娘」の新しい生活

それを見た父と娘の会話。
僕:どうしよう、買ってみようか?
祐馬:...
僕:明日の牛乳とパン買って来るけど、祐馬も来る?
祐馬:ううん、ここで待っている
...と立ち読みしてる。 15分ほどで戻り。
僕:どう、うちと似ている話?
祐馬:ううん、ちがうよ。だって、パパは再婚したいんでしょ?この本のお父さんは絶対再婚しないって言ってるもん。
僕:...(無言)...

桑原繁樹「そして、君はそよ風になった:妻のガン死を乗り越えて--僕と娘の物語」★★★☆☆
よくもまあ、同じ状況の本があるものだ。
ステップをアマゾンで探していて見つけたので、ついでにこっちも注文しちゃった。

今日は、名古屋に出張。N700系新幹線で無線LANが始まったというので試してみたけど、僕のPCでは「電波が微弱」ということでうまく繋がらないんだよね。それで、往復車内で2冊読んじゃった。
名古屋の仲間と会うのは久しぶり。優子が亡くなった直後にも会合はあったのだけど僕は欠席した。でも、みんな僕のブログを読んでいてくれるんだ。もうすぐ5ヶ月。始めのころは、みんなも応援してくれていたけど、もう読んでくれる人も少ないんじゃないかなと思いつつ書いてるけど、こうやって、さりげなく、「読んでるよ」と言ってくれる一言がどんなに救われるか。

で、この二冊、読めば読むほど、うちとそっくり。
重松のはフィクションで、桑原のはノンフィクションという違いはあるけど、両方とも
妻を亡くした父親が、娘と悲しみを乗り越えていく物語。
桑原は実体験の物語。8年たっても、この人、まだもがいている最中だよ。ただ、純粋に読んでいて気持ちが痛くなる。
自分より不幸な人の話を聞いて、自分の幸せに気づくというパターンは避けたいと思いつつ、そう感じてしまった。ガンの闘病生活は壮絶を極める。優子がそれが全くなかったもんね。今までは、死にゆくプロセスがある方が、徐々に喪の作業を進めて行けるから、死後の作業が比較的楽で、僕みたいに突然失った方が、その作業が大変なんだと思っていたが、そうでもないみたい。だれでもいつかは迎える死の迎え方としては、優子はベストだったのだと思えるよ。死に向かう苦しみを全く経験しなかったからね。(心臓病のために、死に向かう予感はあったのだと思うけど、それほど切羽詰まった苦しみではなかったはずだ)

でも、どちらかというと、重松の方が、フィクションであるにも関わらず、共感できたような気がする。苦しみながらも、回復するプロセスを鳥瞰的に描いているからかな。その方が、僕に向いているのかもしれない。その点、桑原さんのはまだ痛すぎるよ。 重松さんの本は、他の思春期ものと同じように、暗い題材を扱っていてもなぜか明るくしてくれる。

そう、僕は優子を失った悲しみや寂しさを一生懸命、消し去ろうとしていたけど、そうする必要はないということに気づいたよ。
悲しみを、胸に抱いたまま生きていけばよいんだ。それは、辛いんだけど、 悲しみを否定せず、胸に抱き、そこで繋がることができたら、きっと優しくなれる。
祐馬は優しい子になったよ。
そう、優子に報告できる日が来るといいな。
そんなことを考えながら最終章を新幹線の中で読んでいると、祐馬からCメールが来た。
祐馬:今日はポカリ買ってきてね!!
僕;わかった。今晩は遅くなるけど
祐馬:冷蔵庫に冷やしておいて
僕:いいよ。
それだけの、何気ないメールの短いやり取りなのに、どんなに気持ちが救われることか。
これから、というか既に難しい年頃に入っている祐馬。
祐馬も僕も、お互いに強がる背後の寂しさで、繋がることができる。

祐馬はママにこれだけ愛されていたし、今は、パパからも、みんなからもこんなに愛されているんだよ。
そのことを、伝えてあげたい。

Sunday, May 17, 2009

「婚活」時代:中年オトコ編:その4

パートナー間の役割分担

 以前は、結婚後のライフスタイルに対する選択肢がほとんどなかった。つまり、男性が外回り(仕事、収入)、女性が内回り(家事・育児)と、どちらか一方ずつを担当し、お互いに補うという伝統的性役割分業である。しかし、今は、そのあたりがだいぶ自由になり、男女両方が、内・外の両方を適切な配分で使い分けることもできるようになった。男女が新しくパートナーを求める場合、各々が考えるwork and life balanceをどうするか、よく考え、話し合い、すり合わせておくことが大切だ。
 現代のトレンドとしては、女性が男性に経済的に依存し、男性が女性に家事育児を依存しあうという伝統的パターンはあまりはやらない。その理由は、フェミニストたちが言うように、結局このパターンは女性に過重負担がかかるので、避けたがる女性が多いからである。新たなパートナーを求める中年オトコにとって、経済的にも、生活的(家事育児)にも相手に依存せずに自活できる方が、パートナーの選択肢はぐっと広がる。その前提には、男性も女性も、経済的及び生活スキル的に自立していることが前提である。
 しかし、実際には、お互い依存ではなく、ちゃんと対等に働いて、家事育児も平等にして、ワークライフバランスを楽しめる新しい夫婦関係を実現できる男性はまだ少数である(白河, 2008)
 このように、お互いに自立していれば、あえて一緒に住み、生活を共にしなくてもよい。すでに、それぞれの住居を持っているのであれば、生活の基盤はそのまま移さず、週末婚、通い婚というように、限定された時間だけ一緒の時を過ごすという手もある。さらに、婚姻届を出さないのであれば、結婚関係というよりは、恋人関係といえるだろう。


子どもとの関係

 亡くした妻との間に子どもがいる場合、子どもたちへの配慮が大切だ。子どもが幼い場合は、愛着対象としての母親が必要になる。生活を共にするなら、夫婦間のみならず、子どもとの関係がうまく成立することが大切だ。一般に、継母、継父、継子関係は難しいとされている。それを乗り越えるだけの努力が必要となる。
 子どもたちが思春期に達している場合、親子は親離れ・子離れの時期であり、10歳ころから10年ほどかけて徐々に親から分離していく。中年オトコばかりでなく、子どもたちにとって母親を喪失したダメージは大きい。しかし、子どもの年齢がより高く、父親や祖父母などが、安定した家庭環境を提供してあげれば、案外、母親の喪失を乗り越えてしっかり成長してゆける。
しかし、その場合でも、父親に新しい女性ができると、子どもたちは動揺する。パパが亡くなったママを裏切ったと感じ、子どもに向けられてきた父親の愛情が、別の女の人に行ってしまったという喪失感を抱く。新しいパートナーと、子どもたちとの関係を、うまく構築していかなければならない。それがうまくいくために、子どもたちが、母親を失った喪の作業をどれほどこなしているかが一つの指標となる。表面的には元気でも、心の中では母親を失った悲しみが癒えていないこともある。そのことを確認しつつ、父親と子どもが一緒にお墓まいりに行き、母親のことを語り、みんなが、ママを亡くしたことをどう感じているのか、無理のない形でゆっくりと話し合ってゆくとよい。
 パートナーを紹介する時も徐々に進めていく。いきなり一緒に住むというようなことは避ける。まずは、外で会って、「パパのお友だち」として紹介し、ディズニーランドで一緒に楽しい時を過ごすなどして、パパの大切なお友だちであると同時に、子どもたちにとっても大切な人としての関係を深めていく。特に娘は敏感であり、父親を別の女の人に取られたという感覚を持ちやすい。ある程度の段階で、子どもと相談して、お父さんの気持ちを率直に伝えながら、理解を求めてゆく。

老親介護

 中年期は、ライフサイクル上、子どもの成長・巣立ちとともに、年老いた親への介護がテーマとなる。最近は元気な高齢者が増え、家庭介護ばかりでなく、公的な介護システムも徐々に整いつつある。少子化の中で、パートナー双方の親をうまい形でケアしていくことは、何も再婚の場合に限らない。
 妻を亡くした場合、その親との関係をどう維持するか。娘を亡くした親も、夫以上に深く悲しんでいる。亡妻の親と夫との義理関係そのものはそれほど重要ではないが、孫たちとの関係は、親にとって相変わらず重要である。老親にとって、孫との交流は生きがいにもつながる。妻不在の中で、祖父母・孫関係をどう維持できるか配慮が要する。
 このように、パートナー関係を結ぶということは、二人だけの関係ではなく、子どもや親など、家族全体との関係をうまく結んでいくことである。

(続く)