Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Friday, October 11, 2013

札幌の夜

Uさんが学会に呼んでくれて札幌に来た。
昨夜、千歳空港に着いてちゅけを呼び出し、ばかでかい駅ビルのユニクロで買い物。
おとん、ダッフルコート買ってもいいかな?
おぅ、いいよ。
ふたりの息子は素直なんだよな。草食系か?親に反抗しないのか?
その分、ひとりの娘が十分に反抗してくれる。彼女は肉食系だよね、まだevidenceはないけど。
ハラ減った!
昼メシ食ったんだろ?
いや、、、
朝メシは食ったんだろ?
いや、、、
おまえ何やってんだよ!パパはこれから友だちからジンギスカンを一緒に食おうと誘われているけど、おまえも来るか?
おぅ!
マブダチ夫婦はちゅけの赤ん坊時代から知っている。
ちゅけが1−2歳の頃、一緒にハワイ行ったの覚えてる?
いや、さすがにそれは覚えていないけど、、、
肉を気持ちよいほどたくさん食べて、次はちゅけのバイトしている居酒屋に行くか!?
おぅ!
ちゅけの案内で店に入ると店員仲間がちゅけを笑顔で迎えてくれる。
ああ、こいつは皆から受け入れられているなぁ、、、父親はついこと細かく観察してしまう。
いつも厨房だから客として入るのは初めてなんだよね。
社員割引で料理は半額にしてくれるって!
二十歳まであと4ヶ月だけど、良いよな。梅酒を2−3杯飲んでいた。
パパも生チュウを3杯いったかな。
それが昨夜。

今日の学会講演を終えて、ちゅけのアパート近くの安ビジネスホテルに泊まる。
おまえの部屋に泊まれるか?
いや、それは無理。散らかっているから。
夜に部屋を訪ねる。まあ散らかってはいるけど、パパの学生時代の経験があるから何も言えない。
もうメシは食ったのか?
おぅ。友だちと食ってきた。
明日はどうするんだ?
午前中からバイトだ。
明後日の日曜日は?
ダイビング。
えっ、この季節にもまだ潜るのか?
うん。
一人暮らしを始めて1年半。まあ仲間も居場所も確保して、それなりに適応しているようだ。
昨夜は一緒に飲んだ。サシではなかったが、大人の仲間に違和感なく入ってくれるのが嬉しい。
今晩もまた飲むわけにもいかないしな。アパートで小1時間もいれば男同士話題も尽きてしまう。じゃあ、パパはもうホテルに戻るから。次に会えるのは正月か成人式の1月だな。それまで頑張れよ!、、、って何をどう頑張るわけ、と自問自答。握手をして部屋を出る。
べつにおまえのことを心配したり詮索するつもりじゃあないんだよ。ただ、一緒に居たいだけなんだ。
子どもは親のアイデンティティだ。
そのアイデンティティを再構成して、親は家族ライフサイクルを進めていかねばならないと、昼間に学会で講演したばかりじゃないか!
そこに不安感が含まれていると、前に進むことは困難になる。

ひきこもりのA君のお母さんは、「母子分離が出来ていない」と数年前まわりから言われたことがトラウマのように残っている。母親が思いっきり心配する息子から離れろというのは拷問に近い。

B子さんは最近、調子が悪い。主治医の私から見ればそれも一時的なこと、立派に成長してますよと伝えても、両親は不全感を抱き、B子さんを心配し続ける。親役割から卒業できないんですよ。夫婦仲が悪かったことがB子に影響しているのでは、、、子どもへの贖罪から離れることができない。子育てという全課程を修了しないと、修了証書をもらうことができないんですよね。

親の気持ちが痛いほどよくわかる。ちゅけは心配ないはずだ。ちゃんとやれている。不安を抱く必要はないはずだ。私は楽天的で不安の少ない人間のはずじゃなかったのか?
でもでも、親の不安は理屈を超えて存在し続ける。
子が親から離れる方がよっぽど楽だ。少なくとも私の経験からすると。
親が子どもから離れる方がよっぽど難しい。
愛着ってそういうものなのだろう。
それでも目の前に居なければ、忘れることができる。
目の前に現れると、愛着が再構成され、喪失感を毎回味わう。
なんだ、これは祖母がお盆の里帰りから東京に戻るとき、いつも流していた涙だったんだ。女性はいいよな、おばあちゃんは良かったよな。そうやって表現できるから。
私はせいぜい握手とブログでしか表現できない。

優子の4年9ヶ月も、結婚記念日(何回目かも、もう数えない)もブログに書き留めることができないまま通り過ぎてしまった。愛着対象が目の前に居なければだんだんと忘却できるんですよ。いまは愛着というより執着だね。
------
一昨夜は、大変頼もしいご子息にもお会いでき、本当に楽しかったです。

私も、よその子だったら頼もしいと思うと思います。
でも、自分の子はそうは思えないんですよ。
ちゅけのプラス面も見ているけど、不十分な面だってたくさん知っているし。なにしろ、ゼロからスタートしたんだからね。
それは、親自身の不十分な面にも繋がるわけです。

Monday, October 7, 2013

学生時代の仲間とテニス合宿

もう12-3年続いているだろうか、毎年秋に大学時代の仲間と1泊泊まり込みでテニスをしている。
大学5-6年生に国家試験を控えた自主勉強会の仲間5人+高校山岳部の仲間。気の置けない学生時代の仲間だ。
軽井沢は既に紅葉が始まっていた。
学生時代もよく授業をサボりテニスをした仲間たちが、30年後も同じようにテニスをしている。汗を流して、温泉に浸かり、マッサージで筋肉をほぐし、ホテルでビュッフェ・レストランで会食。その後は部屋で遅くまでワインを傾け昔話に花が咲く。
類は友を呼ぶ。私以外はみな外科に進み、運動が好きな体育系。そんなオトコたちの青年期の思い出話は他愛ない下ネタばかり。何歳になっても童心(?)に返り、普段のマジメな社会人・家庭人の鎧を脱ぎ、心おきなくそういう話をできる仲間は大切だ。

学生時代、私はどちらかといえば劣等生だった。自信を持てず、不安を抱え訳のわからないまま突っ走っていた。傍から見れば国立大の医学部はエリートコースだろうが、当事者たちはそうは思わない。
卒業試験に通るか、国家試験に受かるか、医者になれるんだろうか、何科の医者になるんだろうか、自信も保証もなくただ多分どうにかなるだろうという期待と希望で不安を押さえ込んでいた。
勉強に自信がなかった私は内科を選ぶこともできず、体力でカバーする外科か産婦人科かなと思ったけど、なぜか精神科を選んでしまった。ホントに精神科で良いんだろうか?国家試験受かるんだろうか?

連中と一緒にいると、そんな学生時代の漠然とした不安がよみがえってくる。彼らは一緒に勉強も悪いこともするちょいワル仲間であり、ライバルだった。何度も何度も繰り返される試験をこなし、通るヤツと、落ちて追試を受けるヤツ。私は追試の常連だった。
そして30年後の今は、開業して儲かっているヤツ、大きな病院の外科部長でがんばっているヤツ。みんな成功している。まあ、こういう場に出てこれるのはそれなりに上手くいってるという自負を持てるからなんだろう。

本当に児童精神科で良かったんだろうか。
紆余曲折があって、今に至っている。成功も失敗もたくさんした。
もっと別の道を選択した方が良かったんじゃないだろうか。
この人生で良かったのだろうか?
普段はそんなこと言っていることはできない。不完全な自分の力を信じて前を見るしかない。

連中と一緒にいると、まだ若く不安だった頃の心情に戻ってしまう。
ちょっと辛いのだが、自分の原点に戻る貴重な機会なんだよな。
何しろ彼らと一緒にいると安心する。
優子を失った時も、いち早く駆けつけてくれた仲間だ。

また、来年の秋には再会する。
それまでは会うこともないだろう、きっと。